湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆ボロディン:歌劇「イーゴリ公」抜粋(舞曲とだったん人の踊りから終幕)

2016年11月27日 | ボロディン
○チェリビダッケ指揮トリノ・イタリア放送交響楽団(ARKADIA)1962/1/9live・CD

最初の舞曲は随分と俊敏で驚いた。そういえばまだこの時期チェリは俊敏だった。しかし統制もかなり厳しくムラヴィン的ですらある。韃靼人に入ると音響指向が出てきて、横の流れより縦の美しさを重視したタテノリな演奏になってくる。さすがに美しい。弦楽器が構造的に絡む箇所などこのへんの神経質な整え方はあきらかにチェリだ。テンポは安定して遅く、ただリズミカルである。弾むようなバス音域のリズム感に乗れる程度にカンタービレを抑えた表現が独特の美観をはなつ。場面転換してくるくる舞う場面に入っていくとまた最初の舞曲のノリに近くなってくるが、以前の演奏スタイルにくらべアグレッシブさをやや抑え少し引いた整えられた響きをもったドイツ的だったん人をもって、格調高さと興奮を共に煽るオペラティックな表現が面白い。響きはとことん磨かれ乱れの少しもないように厳しく統制されている。聴くぶんには何度でも聴くに耐えうる最高のものだが演奏するのは面倒だろうな。個性の面でどっちつかずな感じはあっても、後年の完全に引いてしまったチェリよりは好きだ。管弦楽としての演奏ではなく恐らく歌劇としての演奏を繋いだのではないか、曲間がいちいち開く。もしくはチェリの意向か。踊りの迫力はドイツの重低音に援護され、しかし再び踊り子が出てくると分裂症的にがらっと場面が切り替わって先ほどの遅いテンポでしっかりしたリズムの上に音楽が極めてメカニカルに整えられる。そのメカニカルというのが現代のメカニカルじゃなくて、蒸気機関の時代のメカニカルというか、すこぶるリズミカルな血の通ったものになっている。スネアに煽られて戦闘状態に畳み込む部分の迫力も凄い。強弱のコントラストがはっきりしていて、いかにもバレエだ。ちょっと速すぎてキッチュなオッフェンバックになってしまったりブラスがこけたりするところもあるが、楽しい終幕はちょっとロシアの迫力とも違って面白い。◎にしてもいいが、まあ○でしょう。

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