今回の旅行の目的は、アンコールワットを観ることにありました。3年前12月24日出発アンコールワット、丁度鳥インフレエンザの大流行、涙をのんでキャンセル、長い間待ち望んだ地、タイにてミニチアを見る機会はありましたが、アンコールの遺跡の広さにビックリ、東京都23区にも匹敵するほどのエリアに62の大遺跡群が発掘されているとの事です。
日本ではちょうど平安から室町時代、9世紀から15世紀にかけてインドシナ半島の中央部にアンコール王朝が君臨、漁業資源の宝庫であるトンレサップ湖の北側、今のシェムリアップに巨大な王都を構えていましたが、王朝滅亡後、この城都は放置され数世紀忘れ去られていまいた。やがて19世紀、樹海に埋もれていた巨大な遺跡群がフランス人によって発見されましたが国際情勢の渦に巻き込まれ、また内戦では戦場にもなり、今日、ようやく私たちが訪れる事ができるようになりました。
アンコールトム
アンコールワットの北、10万人が住み栄えた12~15世紀に栄えた王都で15世紀全半にアユタヤー王との戦いに敗れて放棄されました。木造の王宮や館は朽ち果て、また長年の風化で塔から幾つのもの仏顔が欠落してしまいました。
正面は4面仏顔、左が良い紙、右が悪魔の神
アンコールトムの中は象に乗って観光もできるようです。メンエリア、バイヨン寺院には54基の四面仏顔像があります。
四面仏顔「哀れみ」「悲哀」「同調」「平静」の4つの顔の表情を持ち東西南北を見ています。
レリーフ アプサラ天女や他の回廊の壁画は様々なレリーフで飾られていました。
日本人はいろいろなところで貢献しています。これも日本人により復元作業がおこなわれている所です。全てが復元されるには気の遠くなる年月が必要でしょう。
日本人が始めてアンコールワットに足跡を残したのは江戸時代1632年、回廊の列柱に落書きをしています。肥州武士の森本右近大夫が父親の菩提を弔うために仏像4体を奉納、その当時はアンコールワットは仏教の聖地「祇園精舎」と考えられていました。
象のテラスと呼ばれています。12世紀後半にジャバルマン7世が造営され、はすの花をつかむエラワン神像
ジャバルマン7世の母の霊を弔うために建てられた寺院ですが、巨大な石を踏みつけているガジュマルの根、長い年月を経て崩れ落ちた石はそのままに、しっかりと根を張っている木々を撤去すれば遺跡そのものが倒壊してしまうとの事です。この木の樹齢は3~500年、自然の破壊力の猛威に息をのみました。