つれづれなるままに 1221 米粒

2011-01-22 12:42:48 | 雑記

正月の餅はもう食べ終わったでしょうか。。鏡餅は、大きな神鏡の形をしていて神様の[よりしろ]、鏡餅は、福田とも言い、餅にこめられた福を皆で分けていただく、神から力をいただくのだそうです。ドンド祭に鏡餅が持ち込まれる,現代ではこのような風習も受け継がれる事がなくなったのでしょうか。今は年中餅は店先に並んでいます。餅は日本人が生まれたときから最後までお餅とかかわりを持ってきました。赤ちゃんが出来たと言いお祝いに、犬の日、安産祈願、出産、産後の乳が出るようにと、お餅を食べます。子供の誕生日、100日と餅を背負わせて歩かせ、初節句だと言い、誕生日だと言い、赤飯が登場・・・・子供が学校に上がるたびに・・・成長して成人式・・・結婚式と・・最後の葬儀でもお餅をお供えするところも・・・お餅や赤飯を食べる風習が、ごく当たり前の事として行われていました。友にお呼ばれは、すぐ赤飯を用意します。北海道に嫁ぎ、驚いた事は赤飯の小豆が甘納豆、あの甘い甘納豆を小豆代わりに、甘い赤飯・・小豆の赤飯を食べて育った私は甘党ですが・・いまだ抵抗を感じいつも小豆を煮て赤飯にします。日本人は農耕民族一粒のモミから沢山の稲をつけそれを食料としてきました。現代子はパン食を好みますが米の文化も捨てがたく後世引き継がれなければなりません。

昨晩は米の汁を、何回目の新年会でしょうか。気の合う仲間が手料理を持参、ビールから始まりやはり最後は米の汁・・日本人でよかったと実感しながら皆、満足・・私もこの頃強くなりました・・もちろん・・米の汁にも・・。