東京コンサートも3回目、羽田から大門、大江戸線に乗り両国までその間いつも泉岳寺を通ります、一度は訪ねたいと、今回やっと実現しました。1612年慶長17年に徳川家康が創建され、1641年に焼失されたとは言え、徳川家康の命で、毛利、浅野等の大名で再建されたとのこと、さぞや大きなお寺と思いながら泉岳寺駅に降り立ちました。目印どころか何の案内版もなく、地図を広げてウロウロと・・必ずお世話好きの方はいるものです。通りすがりの方が近づきすぐそこだと教えていただきました。東京もんはつれない、冷たい・・などと言いますが、この方は泉岳寺のお隣さん道理で、東京人は地方の方が仕事に、道を聞いてもわからない、今回も多くの方に道案内を・・サーとの返事が返ってくるのが多かったように思います。地下鉄、JRと乗り方乗り継ぎ、乗っていればいずれは目的地に到着とは思いますが、大勢の方に道案内お世話になりました。
泉岳寺は浅野長矩墓および赤穂義士墓、元禄14年(1701年)3月14日、江戸城中で吉良義央に対し刃傷沙汰に及び、即日切腹した赤穂藩主浅野長矩の墓、及び、元禄15年(1702年)12月14日、江戸本所の吉良邸に押し入って義央を討ち、元禄16年(1703年)2月4日に切腹したいわゆる赤穂浪士の墓です。ここには大石内蔵助良雄以下の四十七士が眠っています。線香が絶えないこじんまりとした静かな場所でした。