rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

雨乞い、かなり切羽詰って

2013-08-20 22:21:45 | つぶやき&ぼやき
今日は、朝から大きな雲が空に浮かんでた。
予報では、夕方から天気が崩れるという。
期待できる。
正午過ぎ、強い陽射しが降り注ぎ、雲は消された。
しかし、18時あたり、北から西にかけて黒い雲が広がり、雷鳴が鳴り響いてきた。
今度こそ雨、と望みをつなぐ。
ああ、またしても、蒸し暑さだけを残して雷も消滅した。
21時には涼しい東風が吹き出したけれど、雨はない。

畑は白く乾ききり、農作物の葉は水分の蒸発を防ごうと裏返り、収穫期近い梨園の梨の実は小ぶりと、農業に深刻な影響を与えている。
人口密集地の水がめのダムの貯水池の貯水率は30パーセントを切るところが続出。
どうやら自然の恵みを期待できないと、東京都は人工降雨装置を2001年8月以来の稼動と発表した。
雨乞いだ。
雨乞いだ。
古来より人は天候に泣かされてきた。
冷害に旱、台風と洪水。
飢饉が人を苦しめ、争いの元となる。

我が家でも、2度ほど雨乞いをした。
雨蛙デミオの洗車を家人がすると決まって雨が降るという、何の根拠も呪力もないけれど、切実に雨を望むからだ。
やんぬるかな一粒の雨も落ちてはこなかった。
雨乞いは、空振りに終わった。

雨はもうたくさんだといっている東北以北、雨を切望する関東以南。
雨乞いもあるならば、日照り乞いをしたいところもあるだろう。
つまるところ人の基本的欲求は、安全に暮らせ生きるに困らない食の確保だということだ。
それらを補い満たせることが、国や社会の第一基準であろうか。
そう考えると、雨乞い日照り乞いのほかに、まだありそうな気がしてきた。

ともあれ、現時点では、どうかこのあたりに雨を水を恵んでもらいたい。










何度目かの高温注意警報

2013-08-19 23:15:48 | 随想たち
朝方空を覆っていた雲が、昼前には姿を消してしまった。
気温はどんどん上昇し、部屋の温度計は34.5度を示していた。
市の防災無線が大きな音で告げる、「高温注意警報が発令されました。冷房を適切に使い、こまめに水分と塩分を摂って、熱中症に気をつけましょう。」

久しぶりに干した布団が、太陽に焼かれている。
よく干せ、ダニや埃を払うことができるにしても、焼きすぎだろう。
日が陰るまで干しておかないと、人間が布団に蒸し焼きにされてしまいそうだ。
それにしても、よりによってこのような日に布団を干すとは。
朝のうちの雲が、油断を招いた。

午後3時過ぎまで、28度設定の冷房を効かせた部屋で日が傾くのを待つ。
3時半、思い切って外に出かける。
南よりの風が吹いて、日陰は気持ちがよさそうだ。
ねこも陰になった芝の上で、毛づくろいを始める。

しかし、建物全体が熱を帯びた家の中は、夜になっても冷めることはない。
どうやら今夜もエアコンの世話になりそうな、厳しい残暑の只中である。


避暑といえども

2013-08-18 22:43:32 | 旅先から
二泊三日で、那須へ出かけた。
ひたすら田舎道裏道を走るので、混雑時期ということを忘れてしまう。
高速道路と交差するあたりや、買い物に出かける時などに、連なる自動車を見て驚いていた。
ほとんどの時間をコナラやブナなどに囲まれたひっそりとした家で過ごし、生い茂る木々で薄暗い砕石の敷いた道をゆっくりと散歩をする。
確かに我が家のあるところよりは涼しいにしても、期待していたほどではなかった。
さすがに日中は蒸し暑い。
夜8時をまわる頃になると、外がようやく涼しくなるくらいだ。
もっとも、全体の気温が高いのだから無理もない。

普段暮らす環境と静けさなど違いはないけれど、場所を変えるということが非日常性を作り出す。
まさに旅の効果。
コナラの梢を見上げ、あたりにこだまする鳥のさえずりを聞きながらコーヒーを飲む至福。
いいものだ。

帰り、ひたすら下る道を進むと共に上がる気温で、非日常との決別をつける。
どうやら、夕立すらなかった大地は、白っぽく干上がっていた。

今日、熱風にさらされて萎れかかった鉢植えの植物達に水をあげていた。
すると、「に”ゃー」、「に”ゃー」と、いささか怒りを含んだダミ声が背後でした。
声がするほうを見てみると、ねこが仁王立ちのようにどっしりと板の間に立ち、半月の目つきでこちらを見ているではないか。
どうやら怒っているようだ。
「アタシの世話を三日もしないでどこへ行っていたの? 」と訴えかけるように。
何度も何度も「に”ゃー」と鳴く。
それならばとねこの気が済むように、おやつ程度のカリカリえさと新鮮な水を用意する。
ねこは当たり前のようにえさを食べ、そしてどこかへ涼みに行った。
おそらくねこは、どこかしらの違う私を見て、暑さによる苛立ちをぶつけたかったのではないだろうか。

昭和の夏、そして縁側

2013-08-14 11:45:18 | 随想たち

昭和的ガラス戸とバラ 14/8/2013


ねこ座敷 14/8/2013

昨日掃除した古い家の縁側。
昭和の木枠のガラス戸に、合板でない一枚板の木の縁側。
かつてここが母屋のときは、義母はせっせと糠を入れた手製の袋でここを磨いたという。
天然のワックス。
今この建物は、物置として、ねこの避暑間として使われている。

新しく家を建てるとき、なぜこの家を壊さなかったのかといえば、田舎で土地に困ることもないのにまだ使える物を壊すのはもったいなく、何よりこの縁側とガラス戸に愛着があったからだという。
たしかに、壊すのはたやすいが、時を経たものの味わいは簡単には作ることができない。
そして、この家のある風景が、こどもたちの記憶に刻み込まれ受け継がれている。
それもいいのだ、無駄というのも時には必要なもの。
平成生まれの人たちに、21世紀生まれの人たちに、前の時代の名残を見せるのも悪くはない。
物事は連続の中にあるというひとつの理を、身に触れさせながら感じさせる緩やかな教育があってもいい物ではないだろうか。

夏の蝉時雨と光と影のコントラストのなかでのちょっとした物思い。

諦めない、8月13日のペルセウス座流星群

2013-08-14 00:51:57 | 空・雲・星・太陽たち
昨日は、夕方より雲が広がって、ペルセウス座流星群のピークを見ることが出来なかった。
次いで今日も、すっきっと星空が見えるわけではない。
やはり、夕方になって意地悪な雲が、空に押し寄せてきたのだ。
23時、空を見上げる。
僅かな雲間から、弱い光を放って星がやっと見えるくらいでクリアではない。
10分ほど観察していたが、時間が経てば状況も変わるだろうとひとまず休む。
そして今しがた、日付が変わろうとするころに、東の空を眺める。
すると、2つ続けて流れ星が、南に向かって走った。
しかも2個目のものは、ピンク色を帯びた閃光を放って鮮やかに消えた。
諦めないでよかった。
それからのちも、時々空を見上げるが、雲に阻まれたりとなかなか流れ星はあらわれない。
眠気に負けないうちは、気長に空を見てみよう。

それにしても、どうして流星群はびりびりと寒い冬か、蚊がいて蒸し暑い夏の盛りなのだろう。
素晴しい宇宙の希少な宝石を見るには、それ相応の覚悟と忍耐が必要だとでもいうように。
私が今回2つしか見られないのは、横着して家の中から空を眺めているのがいけないらしいとうすうす感じている。
暑いのはなんとか絶えられても、田舎の蚊の猛攻にはなす術がない。
虫除けを塗るのなら肌を露出している部分くまなく塗らないと、奴らを撒くのは難しい。
それに何より、あのプ~ンというモスキート音が、人の集中力を乱す強力な兵器だ。
だから、夏のペルセウス座流星群は、自分にってハードルが高い。

さてと、また悪あがきをしてみようかな、安全な家の中から。

※時々寝落ちながらも、2時まで観察。南東の空に1つと、南の空に1つ、くっきりとした流れ星を見た。