大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

せやさかい・088『六時間目』

2019-11-05 12:51:58 | ノベル

せやさかい・088

 

『六時間目』 

 

 

 頼子さんのお祖母ちゃんが来る。

 

 ただのお婆ちゃんやない、ヤマセンブルグの女王陛下。

 天皇陛下の即位式には総理大臣が出席したんやけど、君主国として王族を派遣せえへんのは、ちょっと礼儀に欠けるらしい。

 夏休みにお会いした時はお元気そうやったけど、循環器系の持病をお持ちやったらしい。

「頼子さんが出るべきだったんじゃないかなあ」

 留美ちゃんは言う。

 女王陛下が出られへんかったら、王位第一継承権を持つ頼子さんが出るのが順当らしいけど、頼子さんは二重国籍で、まだ正式の継承者にはなってない。

 女王陛下の来日は、遅ればせながら天皇陛下の即位のお祝いが主目的。頼子さんに会いに来るのは『ついでに』ということらしい。

 でも『ついでに』いうのは、あくまで建前で、いや、即位のお祝いが『ついでに』ということやなくて、頼子さんの事が同じくらい大事なことにちがいない。

 二十二歳までには国籍選択をせなあかんらしい。

 ヤマセンブルグの国籍を選べへんかったら王位継承権を失う。

「週末にでも来はるんですか?」

 つい庶民の感覚で聞いてしまう。

「天皇陛下にお会いするのは、一か月以上前に申し込まなきゃならないのよ」

「そうなん?」

「うん、習近平さんが慣例を破って三週間前に会った時はヒンシュクだったって」

「シュウキンペイさんて?」

「中国の国家主席!」

 留美ちゃんの博識には驚くよ、ほんま。

「おい、喋ってんと自習課題やれよ」

「「はーーい」」

 自習監督の先生に怒られる。いまは六時間目、菅ちゃんの授業やねんけど、菅ちゃんは休み。で、ついつい留美ちゃんと話し込んでしもたという次第。

「さてと……」

 自習課題のプリント……ヤバイ、まだ名前しか書いてへん(^_^;)。

 チラッと前の留美ちゃんを見る。

 なんと、全部仕上げて文庫本を読んでる(早く仕上がった者は読書してええいうことになってる)。こういうことで、人生、差が付くんやろなあ。

 

「掃除、サボんなよお!」

 

 遅刻のし過ぎで掃除を命じられてる瀬田と田中のヘッポココンビにイヤミを言うて、廊下に。

 向こうの階段からドタドタト駆け上がって来る音がする。

「あ、頼子さん!?」

 ヤマセンブルグ第一王位継承者さまが、頬っぺたを赤くして駆け上がってきた。

「重大ニュース!」

 え、また、女王陛下のお祖母さま!?

「焼き芋屋の新装開店! 本日限りの半額だってさ!」

「「え? あ、アハハハ……」」

「さっさと行かなきゃ、売り切れちゃうよ! ウァチャ!」

 人とぶつかりかけてタタラを踏んで、オッサンみたいな声をあげる頼子さん。

 あたしも留美ちゃんも、こういう頼子さんが大好きです!

 

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真夏ダイアリー・61『エリカの予言』

2019-11-05 07:00:48 | 真夏ダイアリー
真夏ダイアリー・61
『エリカの予言』    


 
 省吾のいない怖ろしさが、心を占めていった。

 さっきまでは、寂しさだった。省吾のお父さんがモザイクになって消えていき、何事もない公園の風景の中に一人取り残されて、その寂しさは怖さになった。
 この世界は、省吾が居ないこと、それに関わる物や記憶がみんなから無くなっていることを除けば、何一つ変わってはいない。でも、それは全てを失ったことと同じように思えた。

 小学校のころ渋谷に連れて行ってもらったとき、ステキなブローチを見つけた。
 
 親にねだれば買ってもらえそうな金額だったけど、わたしは、自分のお金で買おうと思った。その方が手に入れたときの喜びが何倍も大きいし、欲しい物を手に入れるということは、そういうことだと、子供心にも思った。
 三ヵ月かかって、やっと買えるだけのお金になった。お母さんが渋谷に用事があるというので、いっしょに連れていってもらった。貯めたお金が嬉しくて、途中何度も紙袋に入れたお金を見てはニマニマしていた。
「このお店で買いたいものがあるの!」
 お母さんに、そう言って、お店に入ってブローチを手にした。レジに持っていこうとして、愕然とした。さっきまで、ポシェットに入れていたお金の袋がない!
 わたしは、ポシェットをいっぱいに開けて、中を覗いたけど見つからない。お店の前の道路に出て探したが、雑踏の中に人々の足が見えるだけで、紙袋は見あたらなかった。
「どうしたの、真夏?」
 お母さんが声を掛けてくれ、わたしは涙目で、お母さんに説明した。
「なんだ、じゃ、お母さんが買ってあげる」
 そうして、ブローチは手に入った。
 でも、何かが違っているような気がした。これを買ったお金は、貯めたお金と同額だった。でも、わたしが貯めた、そのお金じゃない。けして貯めたお金が惜しいんじゃなくて、貯めるために努力したり我慢したことが、そのお金には付いていなかった。お金ではない大事な物を無くしてしまった。そんな喪失感。

 省吾が居ない世界は、その喪失感に似ていた。

――分かるわよ、その気持ち。

 びっくりした。エリカが話しかけてきた。このエリカは観葉植物のジャノメエリカ。去年のクリスマス前に買って、ギクシャクしていた、わたしとお母さんに、精一杯の愛情をくれて枯れてしまった。ジーナさんが、同じDNAで作ったクローンのエリカ。でも、記憶はオリジナルのときのままのようだ。
「あなたは、もとのエリカ……?」
――うん、わたしだけ、元の世界からついてきた。
「じゃ、省吾のことも覚えてるのね!?」
――そう。カテゴリーじゃ、真夏の付属物だから、付いてこられたの。
「付属物?」
――真夏の体の一部と同じ。
 急に親近感がこみ上げてきた。そして、ワガママを言った。
「省吾に会いたい!」
――また、会うことになるわよ。ちょっと歳くった省吾だけど、中味は元々の省吾。
「……時間かかるんでしょうね」
――そこまでは分からないけど。もう一回会うのは宿命のようよ。それまで、真夏は、この世界でやらなくっちゃならないことが、いろいろありそう。エリカの予言よ。

 エリカの予言は、次の朝には現実のものになった……。
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まどか乃木坂学院高校演劇部物語・26『怖い顔をしているのに苦労した』

2019-11-05 06:51:56 | はるか 真田山学院高校演劇部物語
まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・26   
『怖い顔をしているのに苦労した』 


 
 二行目で吹きだした。

「スカートめくり」という単語が目に入ってきたからだ。
 はるかちゃんという幼なじみの子と、幼い頃どうやったらスカートがきれいにひらめくか、おパンツ丸出しにしてスカートをまくってクルクル回っていたというものだ。
 文章としては面白いが、肝心の道府県名は、その、はるかちゃんが大阪に越していったということだけ。
 でもエッセーとしてよく書けているので、わたしは花丸をつけてやった。

 ……はるかという名前が大阪という単語と共にひっかかった。

 ……昨日、その種のホテルの前で大伸びと大あくびしたあと、地下鉄の駅に行くまでに小田先輩が言っていた。
 小田先輩がこの業界で身を立つようにしてくださった白羽さんという名プロデューサーさん。
 この人が、大阪のナントカはるかという新人を発掘……しかけているという話をしていた。
 あまりに嬉しいので、苗字や写真などのデータは伏せたまま、喜びのメールを寄こしてこられたらしい。
 小田先輩を可愛い身内と思ってこそのメールであったのだろうけど、先輩としてはいささかライバルの予感。それくらい白羽さんというのはすごい人のようだ。
 ま、はるかって名前は、どこにでもある。
 そう言えば、去年の学園祭。潤香と並んで準ミスに選ばれたのも下の名前は「はるか」だった。今は二年生になっているはずだが、なんせズータイの大きい私学。学年が違えば、よその学校も同様なんだ。


 次の休み時間に、廊下で里沙と夏鈴につかまった。

 三四時間目が自習になったので、潤香の見舞いに行きたいと言う。
 ついては、わたしに引率者になって病院まで付いて来て欲しいというのである。ちょうど三四時間目は空き時間ではあるけれど、なんでこいつら知ってるんだ?
 すると里沙が、おもむろに携帯をわたしに見せた……。

――ゲ、わたしの時間割がキチンと曜日別にまとめてあるではないか!?

「なんで、こんなもの!?」
「そりゃ、先生クラブの顧問ですもん。万一のときや、都合つけなきゃいけないときの用心です」
「こんなもの、舞監のヤマちゃんだって持ってないわよ」
「こんなのも、ありますよ……」
 里沙が涼しい顔で画面をスクロール。
「え……わたしのゴヒイキのお店。蕎麦屋、ピザ屋、マックにケンタに、もんじゃ焼き、コンビニ……KETAYONA(夕べ、小田先輩といっしょだったイタメシ屋)まで……里沙、あんたねえ……」
「わたしって、情報の収集と管理には自信あるんです。いわばマニュアルには強いんですけど、クリエイティブなことや、想定外なことには対応できないんです。で、そういう判断しなくちゃならないときに、いつでも先生と連絡できるようにしてあるんです」
「そんなときのために、メアド教えてあるんでしょうが!?」
「マナーモードとかにされていたら、連絡のとりようありません。夕べだって……」
「夕べなにかあったの?」
 これは夏鈴。
「ちゃんとした挨拶の確認できなかったから。一日は、挨拶に始まり、挨拶に終わります」
「そりゃ、そうだけどね……(^_^;)」
「正直、不安だったんです。あんな結果に終わったのに、なんかきちんとクラブが終わり切れてないみたいで」
「あ、それは、わたしも……思いました。なんか……投げやりな感じで終わっちゃったなって」
 夏鈴はめずらしく、マジな顔で、まっすぐわたしを見て、そう言った。
「多分KETAYONAだとは思ったんですけど、先生もやっと解放されたところだろうって、ひかえました。二十二時三十分ごろです」
 ……ちょうど小田先輩と論戦の真っ最中(汗) 気持ちは分かるんだけどね……。

「ちょっと、携帯見せなさいよ」

 返事も待たずにひったくった。
「あ、消去しないでくださいね。一応バックアップはとってありますけど……」
「あのなあ……」
 ケナゲではあるんだけど……一応チェック……よかった、わたしの裏情報までは知らないようだ。
「で、三四時間目の件は……」
 携帯を受け取りながら里沙が上目づかいで聞いた。
「だめ。自習とはいえ人の授業。勝手なことはできないわ」
 上から目線できっぱりと言った。
「だめですか……」
「だめなものは、だめ!」

 二人はスゴスゴと帰っていった。

 ほんとのところは、二人のアイデアに乗りたかった。
 しかし、生徒からの希望とはいえ、申し出て許可を得るのはわたしだ。クラブで勝手が許されるのは、他のところで手を抜かない。教師としての仁義に外れたことをしないことに気をつけているからだ。
 学校って、狭い世界なのよ。ごめんね……遠ざかる二人の背中に呟いた。

 で、次の休み時間。まどかを先頭に、あの子たちはバーコードに直訴におよびやがった!

 どうやら、まどかの発案であるらしい。
 三人同じクラスということもあるんだけど、三人でワンセット。もし、あの三人を一人の人格にまとめることができたら。最強の演劇部員になりそうだ。
 わたしは、職員室の端っこで、そのやりとりを聞いていた。
 内心、エールを送りたい心境だったけど、立場上そういうわけにもいかず。怖い顔をしているのに苦労した。
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ファルコンZ・2《ミナコのバイト》 

2019-11-05 06:40:58 | 小説6
ファルコンZ 
2《ミナコのバイト》   

 
 
 自動車からタイヤが無くなって100年になる。
 
 タイヤのない自動車は、それ以前も開発されていたが、反重力エンジンではなく、風圧制御によるものであった。だから巻き上げる風というか空気の量がハンパではなく、街中で使用できるようなものではなかった。
 主に軍事用に使われていたが、120年前に反重力動力が開発され、20年かけて自動車に応用され、今では特別な許可がないと、タイヤ付きの自動車は使えない。まあ、時代劇のロケや、高い付加税が払えるお金持ちの道楽になっている。
 
 ミナコが乗っているのは20年前のホンダの中古車。慣性エネルギーの相殺システムが無く、旋回や上下動のGをまともにうけるので、車酔いしやすく、スピードもそんなには出せない。
 
「ミナコちゃん、気分悪くなったら言ってね。なるべくやさしい運転はするけど」
「いえ、大丈夫です。でも、大阪までマニュアル運転なんて大変ですね」
「慣れると、今のオートの車より扱いやすいわ。こっちの方が、自分の体の一部のようでね。ただ同乗者には辛いけど」
 コスモスのスキルは凄かった。東名高速(四代目)に入った時には800㎞になっていたけど、ほとんど加速のGは感じなかった。
 
 一時間ちょっとで、大阪の八尾空港に着いた。
 
 その間にコスモスはバイトの内容や条件を詳しく伝えてくれる。それも口で! なんというアナログ。この24世紀では、ハンドベルト式の端末で瞬時に情報は送れる。
 でも、こうやって会話していると、相手の個性や理解力が高まる。ミナコはコスモスに好意を持った。
「やっぱ、もう3センチはないと、居心地悪いな、ミナコの胸」
 ドッグロイドのポチは、いただけない。
 
「やあ、ほんま助かるわ。今時AKBの古典音楽に詳しい女子高生なんかおらんもんな」
 船長であり、プロダクションの社長であるジョ-ジ・マークが握手の手を差しのべながら言った。
「AKBのことなら、任してください。彼女たちの現役時代のことなら、まばたきの平均回数まで分かってます」
「火星じゃ、空前のAKBブームらしくてな。もう出来合いのデジタルショ-じゃ満足してくれへん。『恋するフォーチュンクッキー』なんか、大島優子と篠田麻里子のコマネチのタイミングと角度にまでうるさいって凝りようや。並のデジタルメモリーのショーは、すぐに見破られてブ-イング。やっぱり制御は、あんたみたいに詳しい子にリアルタイムでやってもらわならなあ。客の求めてるんは、真のコミュニケーション。よろしゅう頼むで。あ、こいつが助手で、コパイロットのバルス。ドンクサイ奴で大阪弁は、よう喋らんけどな」
「よろしくミナコ。世界で、このファルコンZのオペレートできるのは、ぼくと船長ぐらいのもんだからね」
「宇宙一のジャンクシップだからな」
「ポチ、今度言うたら、オシオキに声帯とったるからな」
「それは、止してよ。キャンキャンワンワンうるさいから」
 コスモスがフォローして、ジャンクシップのファルコンZは火星を目指して離陸した。
 
 そう、あたしのバイトは、古典芸能の趣味を生かした、デジタルショ-のディレクター。
 文化祭や区民祭りでは、みんなに喜んでもらった。まあ、ローカルなオタク。でも火星は、空前のレトロブーム。それも火星開拓以前の21世紀初頭の文化。AKBや乃木坂は、その中でももっともクールだと評判なのだ。
 
 ミナコの一泊二日、ギャラ6万円のバイトが始まった……。
 
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小悪魔マユの魔法日記・85『期間限定の恋人・17』

2019-11-05 06:15:07 | 小説5
小悪魔マユの魔法日記・85
『期間限定の恋人・17』    



 クロマキーの撮影はにぎやかだった。

 グリ-ン一色のスタジオで、宙づりになったりデングリガエシになったり。
 知井子などは、グリーンのツナギを着せられ、一人で『コスモストルネード』を歌わされたりした。ラッシュを見ると、グリーンの世界で、自分の首だけが歌っているようで、なんともケッタイであったが、映像スタッフがPCのエンターキーを押すと、ティンカーベルの妖精のような姿になり、コスモス畑の真ん中で、メンバーに取り囲まれて歌っているように映っていた。

 黒羽と美優は、昨日ほどには恋人らしくなかった……というか、距離の取り方が自然で、最年長の服部八重などが見ていると、かえって自然な関係に見えた。

 クロマキーの撮影は、CGとの合成になるので、一見簡単そうだが、CGの画面と完全にシンクロさせることは意外にむつかしく、シーンによっては、テイク二十ぐらいいくものもあり、昼の休憩は午後の一時半を回ってしまった。
 控え室が狭いので、多くのメンバーやスタッフは、スタジオのそこここで、ロケ弁を食べていた。

「ちょっと、美優ちゃん、いいかな」

 スタッフといっしょに衣装直しのチェックをしながらロケ弁を食べている美優に、黒羽が声をかけた。
「ちょっと待って、打ち合わせ終わって、お弁当食べたら……で、いい?」
「あ、ごめん。むろん、それでいいよ、そこの事務スペースで五分後」
「うん」
 今日の二人の何気なさは、それを仕事の打ち合わせと思わせ、服部八重でさえ、気がつかなかった。

「この子達の動きに合うようにするんですね」
 大石クララがCGの画面にくいいっていた。
「多少は、CGに手を加えて直せるけど、オモクロ対決には間に合わせろって、会長のお達しだから」
「みんな、がんばるんだぞー!」
「おおー!」
 クララが檄を飛ばすと、みんなが拳を突き上げた。突き上げた半数の拳には、まだお箸が握られている。
 AKRの新曲発表には、みんな、並々ならぬ闘志が籠もっているようだ。

「もう、どこ行ったのよ?」

 事務スペースに、きっちり五分後にやってきた美優は言い出した黒羽がいないことに、口を尖らせた。
「やあ、ごめんごめん。みんなのテンションが高いんで、午後の分の打ち合わせにも熱が入ちゃって……これにサインとハンコくれる」
「うん」
 美優は、納品関係の書類だと思って、気楽にハンコを出した。
「……これは」

 書類の左上には「婚姻届」と記してあった……。

「英二さん……」
「異議あり?」
 美優はブンブン首を振った。
「じゃ、お気楽に……早く」
「フフ、これって一種の納品書ね」
「どっちが納品されるの?」
「英二さん。だって、先に名前が書いてあるから、わたしが受領者……ね」
「尻に敷かれそうだ……」
 美優は、ポーカーフェイスで署名捺印した。スタジオのみんなは気にも留めないか、仕事上の書類のやりとりであろうと思っていた。

 と、そこに一陣の風が吹いてきた。

 スタッフが、午後から使う送風機のテストをやったのだ。むろんみんなの邪魔にならないように、壁に向け、パワーも弱にしていたが、壁を伝った風が、その書類を吹き飛ばすのには十分な力があった。そして、その書類は、スタジオのセットの前に輪になっていたAKRのメンバーの真ん中に落ちてきた。

「なに、これ……?」

 知井子が、それを拾い、マユの体を借りている、拓美が気がついた。
「これ、婚姻届……じゃん!」
 拓美がマユの声で叫ぶと、メンバー全員が、磁石にくっつく釘のように集まって歓声を上げた。
「ウワー! キャー! ウソ! ヤダー! ガチ!」
 口々に年相応の短い感想を叫び、スタジオの隅で固まっている黒羽と美優にいっせいに目を向けた。

「親父、見えるか、これが……」

 黒羽は、美優とベッドの傍らに立ち、しわくちゃになった婚姻届をかざした。
「今日は、ほとんど意識が無いの……」
 妹の由美子がポツリと言った。
 黒羽の父の命は、美優同然、あと二日余りになっていた。美優はマユが電池代わりになっているので、まるで病人には見えなかったが、黒羽は末期ガンそのままで、意識もはっきりしない。

――お父さんの手を取って。

 マユは、美優の意識に働きかけた。美優が手を取ると、父はうっすらと目を開けた。マユがエネルギーの一部を父に送ったのだ。
「……ああ、来ていたのか」
「昨日は、仕事でこられなかったけど、今夜は……二人揃って来た」
「お義父さん。これ見てください」
「婚姻届……いいのかい、美優ちゃん……」
「だって……だから言ったでしょ。わたしは本当に英二さんと結婚するって」
「そうか……その指輪?」
「うん、親父が、お袋に送った指輪を作った同じ店で」
「そうか……昨日は、ちがう指輪のように見えたが」
「ちゃんと、覚悟の程を、ちゃんとお義父さんに分かってもらうために、英二さん作り直してくれたんです」
「分かってくれたかい、親父?」
「ああ、美優ちゃん……このボンクラを、よろしく頼むよ」
「ボンクラはないだろう」
「ああ、すまん。英二にしちゃ、上出来だ。好きな女を清いまま……オレは、てっきり、お前のヤラセだと思っていた」
 美優の心臓は大きく高鳴り、顔が真っ赤になった。したがって使うエネルギーも増えたので、黒羽の父に送っていたエネルギーを遮断した。
「あ、眠っちゃった……きっと安心したのね」
 由美子も嬉しそうに父の手を握って、掛け布団の中に収めてやった。

 その夜、家にもどり、食事やあれこれをすませ、お風呂に入ったあと、美優はいったん自分の部屋に入った。
 そしてガウンを着て、黒羽の部屋の前に立った。そして……大きな深呼吸をしてドアをノックした。
「どうぞ」
 黒羽の声がした。
「え、英二さん……」
 声がかすれてしまった。
 美優は、自然な飛躍をするために、ゆっくりとドアの中に身を滑り込ませた……。

 マユは、美優の体の中で、三千二百万個目のガン細胞を殺しにかかるところであった……。
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