乙女と栞と小姫山・51
『もらった南天』
中間テストの初日であったが、朝から全校集会になった。
「黙祷!」
首席の桑田が号令をかけた。さすがに水を打ったように静かになった。
一昨日、墓参りのあと、田中教頭が霊園の門前で急死したことを、校長の水野が簡潔に述べたあとである。一分間の黙祷が終わった後、校長は再び演壇に上がり、話を続けた。
「田中教頭先生は、この春に淀屋橋高校から赴任されてこられました。赴任以来、本校の様々な問題について、わたしの女房役を務めていただきました。昨年わたしが本校にまいりましてより、我が校の改革に邁進してきましたが、今年度に入り、様々な軌道修正をしながら、本格的な改革案を練る作業に入ったところであります。その実務を裏で支えておられたのは田中先生です。先生を、突然失いわたしは両腕をもがれた思いであります……正直、先生達がやろうとしている改革は、君たちが在学中には実現が難しいほど壮大な難事業であります。時間と、途方もない忍耐力が要ります。先生は、持ち前のモットー『小さな事からコツコツと』を実践してこられ……」
それから、校長は新しい教頭が決まるのには数日かかること、田中教頭は妻子を早くに亡くし孤独な生活を送ってきたが、生徒のみんなを自分の子どものように思っていたことなどを交え、田中教頭の姿を美しく荘厳して話を終えた。
生指の勘で、校庭の隅のバックネットの裏に生徒の姿を感じて、現場に急いだ。
――こんなときにタバコか――予想は外れた。
そこには、しゃがみこんで泣いている栞がいた。
「栞、どないしたん……」
「わたし……わたし、人が死ぬなんて、思ってもいなかったんです!」
「栞……」
「学校の改革は必要だと思ってました。だから、進行妨害事件でも、あそこまで粘りました。それが正しいと思っていたから。そして改革委員会ができて、実際の進行役が教頭先生で、苦労されていることも父から聞かされて知っていました。でも……でも亡くなってしまわれるほどの御心労だったとは思いもしなくて、いい気になってMNBなんかでイキがちゃって……なんて、なんて嫌なやつ! 嫌な生徒!」
次の瞬間、乙女先生は、栞を張り倒した。
「自分だけ、悲劇のヒロインになるんとちゃう!」
「先生……」
「オッサン一人が死ぬのには、もっと深うて、重たい問題がいっぱいあるんじゃ!」
「他にも……」
「いま分からんでも、時間がたったら分かる。さ、もう試験が始まる。教室いき……」
「……はい」
駆け出した栞に、乙女先生は、思わず声をかけた。
「栞がしたことは間違うてへん。それから……教頭さんのために泣いてくれてありがとう」
栞は、何事かを理解し、一礼すると校舎の方に戻っていった。
「しもた、シバいたん謝るのん忘れてた!」
振り返ったが、栞は全て理解した顔をしていたので、もう、それでいいと思った。
教頭の葬儀には、手空きの教職員が行った。
後日わかったことであるが、通夜と葬儀を足すと全職員数の1・5倍になった。
職員の受付には技師の立川さんが座っていた。土地柄であろうか、細々とした仕事は明らかに、プロではない地元の人たちが手伝っている。その様子を見ていると、上辺だけではなかった教頭の近所づきあいの良さがうかがえた。
「ほんまに、去年の盆踊りにはなあ……」
「そうそう、正月のどんど焼きでも……」
家族がいないせいか、ご近所にはよく溶け込んでいたようだ。
焼香を終わって一般参列者の群れの中に戻ると、喪服に捻りはちまきというジイサンが呼ばわっていた。
「どないだあ、米造が丹精した盆栽です。お気に召したんがあったら、持って帰っとくなはれ!」
半開きにされたクジラ幕の向こうには、全校集会のように盆栽たちが並んでいた。ゆうに、中規模の盆栽屋ぐらいの量があった。とても会葬者だけでさばける量ではない。
「これ、残ったら、どないしはるんですか?」
「あ、わしが引き取ります。ヨネが生きとったころから、そう話はつけたあります。生業が植木屋やさかい、どないでもなりますけどな。どこのどなたさんか分からん人に買うてもらうより、まずは縁のあった人らにもろてもらおと言うとりました。あんさんには、これがよろしい」
おじいさんは、小ぶりな南天の盆栽を、なんの迷いもなく、慣れた手つきでレジ袋に入れてくれた。
「お棺のフタを閉じます。最後のお別れをされる方は、こちらまで」
係の人の声に促され、乙女先生は棺の側まで行った。田中教頭は、着任式の印象とは違って、とても穏やかな顔をしていた。
「よかったな、ヨネボン。こないぎょうさん来てもろて。好子さんも碧ちゃんもいっしょやで」
喪主のお姉さんが、二枚の写真を入れていた。一枚は卒業式の妻子の写真……そして、もう一枚は、なんと乙女さんの娘美玲の制服の写真だった。どうやら、娘さんの碧ちゃんと間違われたようだった。
乙女さんは、一瞬混乱したが、田中教頭の大阪城での嬉しそうな顔を思い出した。
――これでええ、本人さんは、よう分かってはる――
傍らに掲げられた府教委の死者への表彰状だけが、そらぞらしかった。
「教頭さん、ああ見えて、なかなか周旋能力の高いひとでしたからね、あとが大変だ。乙女先生、よろしくお願いしますよ……」
ハンドルを握りながら、校長が呟いた。
脇道から自転車が飛び出したが、さすがの校長、緩い急ブレーキで止まった。
――あ……!――
南天が驚いたような声をあげたような気がした。
ふとレジ袋を見ると、鉢にさした札には、一字で、こう書いてあった。
碧…………。