小説学校時代 02
良くも悪くも大人扱い
わたしの時代、中学と高校の違いを一言で言うと、このフレーズになる。
今の高校と違って、ホームルームというのは、ロング、ショート共に生徒任せだった。
学級委員が三か月ぐらいのスパンでスケジュールを組んでホームルームを運営していて、ホームルームの時間に担任が来ないこともしばしばだった。中には授業以外では、ひと月近くクラスの生徒と接触のない担任も居た。
もう高校生なんだから
先生たちの建て前は、この言葉に集約された。
本当に生徒の自主性を思っている先生も居たが、かなりの先生が意味のない放任であった。
三年生の担任の中には生徒との接触が少なすぎ、卒業式の名簿でクラスの生徒の名前が読めないという豪傑も居たから恐れ入る。
「佐藤信子、高井美代子、小鳥遊(え、なんて読むんやったかな!?)……」という具合。
委員長の朝一番の仕事は職員室前の『本日の授業』という黒板を確認することだった。全クラスのマス目があって、一日の授業偏向が書かれている。そこに自習時間の表示があると、委員長は六時間目の先生と交渉して授業を繰り上げてもらって早く帰ったりしていた。六時間目の融通が効かないと、他の時間の先生と交渉して入れ替えてもらい、なんとか六時間目が空くようにする。稀に自習が二コマもあると五限も空きにして昼前に下校することもあった。
昼休みに限らず校門の出入りは自由で、食堂がいっぱいの時などは近所のお好み焼き屋さんなどに行っていた。そういう店は売り上げのかなりの部分を高校に頼っているので、学校もムゲに禁止に出来ないという事情もあったのかもしれない。
「放課後職員室に来るように」
担任のF先生に申し渡された。
正直者のわたしは、その日の放課後に職員室に向かった。
ドアノブに手を掛けてフリーズしてしまった。
『定期考査一週間前につき生徒の入室禁止』の札がかかっていたのだ。
わたしは、F先生が説明を間違えたのだと思った。また改めて指示があるだろう。
二日たっても指示が無く、その二日目の昼礼で、こう言われた。
「テスト前だというのにたるんどる。成績悪いから呼び出したのに来ないやつが居る! クラスの順位を一人で下げて自覚も無い!」
名指しではなく、クラス全員に言うのである。ほかのクラスメートは事情を知っているので、まるで晒し者、凹んだことは言うまでもない。
十数年後、自分が担任になった。
朝礼と終礼は毎日やった。成績などで呼び出すときは必ず時間と場所を書いたメモを渡し、入室禁止の部屋に入る時のお作法も教えた。
「おまえが、こんな成績とるとは思わんかった」
生徒の時によく言われたお説教の枕詞だ。
教師になって、こういう枕詞を使ったことはない。この枕詞は、教師が生徒の実態を把握していないことを自白したようなもので、意識はしていなかったけれど(お前のことはしっかり分かってんねんからな)という意識で接していた。事実成績だけではなく、欠時数・欠課字数・遅刻・早退、他の教師からの指導や注意、本人や保護者との連絡履歴などはリアルタイムで把握していた。中には生徒相互の関係のソシオメトリを付けている先生も居て、本人だけでは無くてマスとしてのクラスを把握しておられた。
いつの時代であったか、ある高校で一年間に三人の生徒が死ぬという事態に至ったことがあった……。
この項つづく