小説学校時代
もう40年前もむかしになりますでしょうか、一年間に三人の生徒が自殺したことがありました。
一件は異性との交際を反対されて、もう一件は不登校の果て、三件目の原因は不明です。
三件目が起こった時、さすがに新聞社の車が学校を取り巻きました。
三件の自殺に関連は無いように思います。が、この年齢の多感な心理からくる連鎖であったかもしれません。
しかし、その土壌の、ある成分は共通だと思いました……大人扱い。
生徒がなにか悩んでいる気配があっても、教師が積極的に関わりを持とうとすることは無かったように思います。「いつも通りで、自殺の気配など無かった」「いつもは普通の子で、こんな飛躍をするとは思わなかった」というのが先生たちの大方の反応だったように記憶しています。
ここでいう「いつも」と言うのは、日常、あまり生徒と関わろうとしない先生たちの「いつも」です。
朝礼をやる習慣も六限終了後の終礼もありません。必要な時は昼休みと五限の間に担任が行って一分に満たない昼礼で諸連絡の伝達があるだけです。掃除に付き添うこともありません。月曜と木曜にあるホームルームも担任不在ということが多かったように思います。
先生たちと生徒の接触の場は、生徒会活動、部活、生徒と教師のサロン(改めて取り上げます)などでした。帰宅部でコミニケーション苦手な生徒は懇談の時ぐらいしか先生と話す機会はありませんでした。
あの頃の先生は1時間目と6時間目の授業を嫌がりました。
遅く来て早く帰りたいからです。
わたしが初めて、週11時間の非常勤講師をやった時、教務から受け持ち時間の希望を聞かれました。
わたしは学校大好きニイチャンだったので「特に希望はありません」と答えました。
数日後いただいた時間割表は、見事に1時間目と6時間目で埋まっていました( ´艸`)。つまり1時間目に授業をやったら6時間目までありません。
大学を出たばかりで、授業内容に自信のなかったわたしは、空き時間で教材研究や教案が作れるので苦にはなりませんでした。
一か月もすると、わたしを常勤講師だと思い込む先生ばかりになった。
常勤講師と云うのは、担任業務が無い以外は正規の先生と同じです。分掌の仕事もあれば、会議にもでなければなりません。
非常勤講師にとってはオフである定期考査の日に家にいると「試験監督入ってるから出てこならあかんがな」と教務の先生から電話が入って来ました。当時非常勤講師が試験監督をすることはあり得ません。常勤講師と勘違いされていました(;^_^A
三学期に別の高校で休職者が出て非常勤講師の掛け持ちをすることになりました。
午前中の授業を終えて次の学校に行こうとすると、年配の先生に呼び止められた。
「あんた、こんな早よ帰ったらあかんやろ?」
「え……次の学校の授業なんですけど」
「……え?」
当時の教職員組合はストをやりました。
ストの朝「出勤されている先生方、視聴覚教室にお集まりください」と放送が入ったので、非組の先生たちといっしょに視聴覚教室に向かいました。
「今朝は授業が成立しません、ご出勤されている先生方で全教室を周って頂き、出欠点呼をお願いいたします」
教務部長からお達しがあり、わたしも出席簿を持って2クラスほどの出欠確認に行きました。生徒の校内生活の点検確認ができるのは専任の教師に限られます。厳密な言い方をすれば、わたしが取った出欠点呼は無効とまでは言いませんが、ちょっとイレギュラーです。
話が逸れかけてきました(^_^;)。
生徒への対応としての「大人扱い」は、非常勤であるわたしへの対応と近似値であったのではと思います。
「非常勤講師の試験監督はあり得ないと思うんですが」
「え……君が非常勤講師やて思てへんかった!」
「〇〇が自殺しました」
「え……〇〇が自殺するなんて思てへんかった!」
この項つづく