大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

小説学校時代・01化学変化の匂い

2020-05-19 12:01:28 | エッセー

小説学校時代 

01 化学変化の匂い     

 

 

 学校はいろんな匂いがするところだ。

 特に、昭和のころの学校は、木造、鉄筋にかかわらず様々なニオイがした。

 床や廊下の油引きの匂い、給食の匂い、脱脂粉乳のニオイ、特別教室のかび臭い匂い、トイレの匂い(水洗か汲み取りかでニオイが違う)、日向臭い子どもの匂い、飼育小屋のニオイ、学級菜園の土の匂い、印刷室のインクの匂い……などなど。

 同じ時代でも、小学校、中学校、高校ではニオイも違った。

 その匂いの中でも中学校の理科室の匂いが好きだった。

 いろんな薬品の匂いがした。理科部とか化学部なんかがあって、そこの三年生などは生徒でありながら放課後は制服の上に白衣を着ていたりして、なんだかそこだけ学校の平均的な雰囲気から突き抜けていた。

 中学三年生の晩秋、担任のU先生に理科準備室に呼び出された。

 U先生は理科の先生なので理科準備室が根城だったのだ。
 新しい実験でもやったんだろうか、放課後の理科準備室は、それまでと違う匂いがしていた。

 弱い塩素系のニオイに、なにか栗でも焼いたような香ばしく甘い匂いが混じっている。

「時をかける少女」で、主人公の七瀬は理科準備室でラベンダーの匂いを嗅いで気を失いタイムリープの能力を身に付けた。
 わたしはタイムリープするような能力はないが、この何か新しい実験をやったような匂いで運命が変わった。

「……ほら大橋、これがA高校を受ける生徒の一覧や」

 数日前から「公立の受験校を変えろ」と指導されていたが、友だちと同じ高校を受けたいわたしはウンとは言わなかった。この日も説得されるだろうと覚悟し、きちんと返事しなければならない、場合によっては受験校を変えなければと覚悟していたが、理科室の匂いで思考も覚悟も緩んでしまう。業を煮やした担任のU先生は、生徒に見せてはいけない受験指導のファイルを開いて見せてくださった。
 それは数ページにわたる成績順に80人ほどが並んだ名列だった。
 見知った友だちの名前がいくつも並んでいて、私の名前は4ページほどめくった最後にあった。
「大橋は、A高受験者の中ではドンケツや。ええか、2ページ戻ったとこに赤い線が引いたあるやろ。ここから下の生徒は受けても落ちる」
「は、はあ……」

 わたしは、受験のことよりも、いつもとは違う理科室の匂いに気を取られてしまっていた。なんだか化学変化を遂げた匂いで、理科が苦手なわたしでも15歳の中学生相応に、どんな実験をしたら、こういうニオイになるのか……少し時めいてしまった。

 小中学校では薬品を使うような過激な化学実験は、まずやらない。
 小中学校の化学実験と検索しても科学実験としか出てこない。中学で化学実験をやっていたのは化学部だけだった。
 放課後は、生徒でありながら白衣を着て、いつも怪しげな薬品の匂いをさせていた賢そうな化学部員たち。
 みんな私とは違う人種に見えた。

 中に一人髪の長い女子がいて、なにかの化学変化の結果ではないかと思うくらいきれいな上級生だった。その時の準備室のニオイは、その上級生を思わせた。

 その化学部の顧問がU先生だったのだ。

「で、どや、志望校変えへんか?」
 先生は目を覗き込みながらとどめを刺すようにおっしゃった。
「あ…………アカン時は私学に行きます。枚方のS学院やから、ま、通りますから」
 滑り止めには、学力相応なS学院に決めていた。
「…………そうか、まあ、ほんなら私学も覚悟の上いうことでええねんな?」

 U先生は、生徒の意思を尊重してくださる方で、わたしの無茶な受験を許可してくださった。根負けされたのかもしれない。

 あの化学変化の薬品の匂いに気を取られていなければ、もう少し突っ込んで話をしたかもしれない。いま振り返っても簡単で無茶な決心をしてしまったものだと思う。

 そして翌春、わたしはA高校の入学試験に受かってしまった。

 K中学始まって以来の快挙だったらしい。

 わたしの合格を知らされたU先生は職員室の椅子に座ったまま30センチほど飛び上がってしまわれたという。

 いま思い返すと、あれはニオイからくる化学変化の一種だったような気がしないでもない。

 人生には、時々、こういう化学変化のようなことが起こる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・ここは世田谷豪徳寺・15《たぬきそばって変だよね》

2020-05-19 06:40:56 | 小説3

ここ世田谷豪徳寺・14(さくら編)
≪たぬきそばって変だよね・1≫    



 迫りくる何十という足音に心臓が口から飛び出しそうだ!

 あたしたちがグランドを一周して戻ってくる。数秒遅れて足音たちもゴールして消えた。
「なんなの、今の!?」
 先頭を走っていた恵里奈が、バレー部のくせして、肩で息をしながら叫んだ。特に誰かを非難しているわけじゃない。ひたすら怖かったのだ。で、そそっかしい。
 去年の文化祭でも、部活の合間にクラスの取り組みを手伝いにきて、立て看板を作っていた。立て看板は一年生ながら一等賞をとった優れもので、看板の文字やデコレーションが3Dになってる。要は文字やらオブジェを立体に作って接着剤や釘で打ち付けてある。恵里奈は、そんなオブジェが二重に重なるところを釘で打っていた。
「オーシ、ばっちし。じゃ、部活に戻るね」
「ありが……」
 と言いかけたマクサがソプラノで悲鳴を上げた。なんとマクサのスカートが脱げて、下半身がおパンツ一丁になってしまっていた。急いでスカートを引き上げるが、看板がいっしょに付いてくる! 部活に戻りかけていた恵里奈も、何か怪奇現象がおこったように驚いていた。
 原因は恵里奈自身だった。オブジェといっしょにマクサのスカートを打ち付けてしまっていたのだ。マクサしゃがんでオブジェをくっつけていたので、立ち上がってスカートが引きずりおろされるまで気が付かなかった。でも、これがもとでバレーと茶道という関係180度違う二人が友達になるきっかけにはなった。
 まあ、そういうやつなので、一番に逃げたことも、非難がましい叫び声をあげたのも悪気はない。

「で、原因は?」

「分からない。ただ不思議だから候補に挙げといたの。今の映像バッチリだったわよ」

 米井さん自身は他人事のよう。
 どうも、米井さんは、こういう方面については怖いという神経を置いて生まれてきた人のようだ。
 恵里奈が、食堂から塩を借りてきてグランドに撒きだした。
「そこまでする?」
 マクサが咎める。
「だって怖いじゃん……でも原因らしいことは食堂のオジサンが教えてくれたよ」
「え、なになに!?」
「食堂のオジサンも、仕込みで遅くなったときグラウンド横切るときに足音が付いてくるんやて。あのおじさんて、阪神大震災でこっちにきて食堂やってるのん知ってた?」
「ううん」
 オジサンが恵里奈と同じ関西訛であることは知ってるけど、事情までは分からなかった。
「震災のあと、街が復興して立ち直りかけてきたときも、神戸で似たようなことがあったんやて」
「それは、どうして?」
「震災で亡くなった人らの足音や言うてた」
「え!?」
「仲間やから怖いことはなんにもないて。ちょっとしたきっかけで死んだり生き残ったり。せやから小さな声で挨拶しとくんやて。そんなら消えるらしいわ」
 怖がりの恵里奈が平気そうにいうので気持ちが悪い。
「で、恵里奈、怖くないの?」
「うん、原因が分かったら怖ない。それに、もう一つ原因らしいもんがあるんやて」
「なによ、それ?」
 米井さんたちが、恵里奈に詰め寄った。
「足音の周波数とか、音の高さがちょうど、この辺のビルの外壁に合うて、反射してるのかも知れへんねんて。ワッ!」
「もう、びっくりするじゃん!」
「な、声やったら反射せえへんやろ」
 で、今度は走り出した。もう一人遅れて足音がする。
「な、こんな感じ」
 ところが、今度の足音は止まなかった、あたしたちに近づいて、すぐそばで止まった。
「なんで、うちの食堂のたぬきそばは、アゲさんが乗ってるか分かるか!?」

 それは、歳の割に無邪気な食堂のおじさんだった……。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乙女と栞と小姫山・50『教頭 田中米造』

2020-05-19 06:28:34 | 小説6

乙女小姫山・50
 『教頭 田中米造』           

 


 皮のすり切れた肩下げカバンから、田中教頭は二つの真新しい写真立てを出した。

 微かに野鳥の声がしたが、屋内の仏壇式納骨堂だったので幻覚かもしれないと思った。

 幅五十センチ、高さ百八十センチ程の納骨式仏壇は、まるで職員室のロッカーのようだった……いや、奥行きが三十センチあるなしの薄さなので、ロッカーよりも貧弱に見える。 

 二十数年前、親類の紹介で見合いし、妻といっしょになった。妻は、娘といっしょに下段の納骨スペースに収まってている。
 事務所で、お経を上げる坊主を付けましょうかと言われたが断った。坊主といっても仏教系大学の学生アルバイトであることは百も招致である。自分で正信偈(しょうしんげ)の小さな経本を持ってきている。子どものお道具箱のような引き出しを開け、鈴(りん)と鈴棒を出し、花生けには妻が好きだった菫の造花を差した。
「おっと、水だ。もう、ダンドリも忘れてしもたな……」
 ひとりごちて、田中はママゴトのそれのような湯飲みに水を汲みに行った。

 この仏壇式納骨檀は、妻の祖父の強い勧めで買った。百万もしたが、半分出してやると言われては、断るわけにもいかず購入した。一応真宗の門徒ではあるが、生まれた家が真宗であったというだけである。納骨を済ませたあとは、お参りに来たこともない。三年前十三回忌を済ませたが、もう終わりにしようと思っている。
 田中は、これでも仏教系の大学を出て得度も受けている。法名を釋触留(しゃくしょくる)といい、自分ではシャクに障るだと、シニカルに思っている。

 帰命無量寿如来 南無不可思議光(きみょうむりょうじゅにょらい なもふかしぎこう)法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所(ほうぞうぼさついんにじ ざいせじざいおうぶっしょ)覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 (とけんしょぶつじょうどいん こくどにんでんしぜんまく)……。

 と、やり始めた。教師というのは声が大きい。正信偈も真宗では、基本中の基本である。彼の声明(しょうみょう)は堂内に響き渡り、中には、高名なお坊さんが経を唱えているのかと手を合わせていく年寄りもいた。

 写真は、娘が中学を卒業したときに、卒業式の看板の前で撮った妻と娘の写真。もう一つは、こないだ乙女先生からもらった制服姿の美玲の写真であった。

「佐藤先生の娘さん。碧(みどり)と同じ、森ノ宮女学院や。雰囲気が碧そっくりやし、持ってきた。好子、すまなんだな。ほったらかしで……わしは人間は死んだらゼロや思てた。真宗では、このゼロのことを極楽と言う。好子も碧も、そこにいてる。そやさかい墓参りにも来んかった……今日は気まぐれや。お天気もええし、美玲ちゃんの写真もろたんも、なんかの縁。それに学校も問題多いし、これから仕事忙しなる思てな……ハハ、わし、なに言い訳してんねんやろなあ……そや、ただワシは来たいから来ただけや。来たいから来ただけ……」

 そう言うと、田中は水を飲み干し、仏具を片づけ、写真と造花をカバンにしまった。

 田中は、ゆっくりと納骨堂の玄関にもどった。人が少なく、堂内に、やけに自分の足音が響くのに閉口した。
「タクシー呼びましょか?」
 玄関の係員の申し出も断った。
「いや、新緑の中、ちょっと歩きますわ」
 そうは言ったが、実のところ、あまりな新緑の輝きに泣き出しそうな自分を見られたくなかったからである。

 ……しばらく行くと、植え込みの陰で人の気配がした、それも、ごく親しい人のそれである。

「……好子……碧……」

「ごくろうさま」
 妻が軽く頭を下げた。

「ありがとう、お父さん」
 碧が、森ノ宮女学院の制服姿で、ハニカミながら言った。

「これ、美玲ちゃんの借りたの。制服姿で、お父さんに会えてよかった」
 田中は、慌ててカバンの中の写真を見た。卒業写真から二人の姿は消え、美玲は、下着姿で恥ずかしそうにしていた。
「そんなん見たげたら、あかんよ。お父さんのエッチ」
「ほんまに、好子と碧やねんな!」

「うん、そうよ」

 母子の声が揃って、十五年ぶりに親子三人で笑った。
 そして、なにをしゃべるでもなく、親子三人は、霊園の門までの百メートルあまりを歩いた。
 門が見えてきたとき、好子と碧が、ニッコリ手を繋いで来た。田中は十五年ぶりの幸福に心が満たされた。

 そして……ちょうど門を出るところで、田中はこときれた。四十九年の生涯であった。

「はあ、なんや、楽しそうに納骨堂から歩いてきはりましてな。ほんで、両脇をニッコリ見たかと思うと、まるで人に支えられるようにゆっくり倒れていかはりましたわ」

 警備員のオッチャンは、見たとおりに警察官に話した。

 初夏の青空を、三つの小さな雲が流れていったことに気づいた人はいなかった……。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする