小説学校時代
学校はいろんな匂いがするところだ。
特に、昭和のころの学校は、木造、鉄筋にかかわらず様々なニオイがした。
床や廊下の油引きの匂い、給食の匂い、脱脂粉乳のニオイ、特別教室のかび臭い匂い、トイレの匂い(水洗か汲み取りかでニオイが違う)、日向臭い子どもの匂い、飼育小屋のニオイ、学級菜園の土の匂い、印刷室のインクの匂い……などなど。
同じ時代でも、小学校、中学校、高校ではニオイも違った。
その匂いの中でも中学校の理科室の匂いが好きだった。
いろんな薬品の匂いがした。理科部とか化学部なんかがあって、そこの三年生などは生徒でありながら放課後は制服の上に白衣を着ていたりして、なんだかそこだけ学校の平均的な雰囲気から突き抜けていた。
中学三年生の晩秋、担任のU先生に理科準備室に呼び出された。
U先生は理科の先生なので理科準備室が根城だったのだ。
新しい実験でもやったんだろうか、放課後の理科準備室は、それまでと違う匂いがしていた。
弱い塩素系のニオイに、なにか栗でも焼いたような香ばしく甘い匂いが混じっている。
「時をかける少女」で、主人公の七瀬は理科準備室でラベンダーの匂いを嗅いで気を失いタイムリープの能力を身に付けた。
わたしはタイムリープするような能力はないが、この何か新しい実験をやったような匂いで運命が変わった。
「……ほら大橋、これがA高校を受ける生徒の一覧や」
数日前から「公立の受験校を変えろ」と指導されていたが、友だちと同じ高校を受けたいわたしはウンとは言わなかった。この日も説得されるだろうと覚悟し、きちんと返事しなければならない、場合によっては受験校を変えなければと覚悟していたが、理科室の匂いで思考も覚悟も緩んでしまう。業を煮やした担任のU先生は、生徒に見せてはいけない受験指導のファイルを開いて見せてくださった。
それは数ページにわたる成績順に80人ほどが並んだ名列だった。
見知った友だちの名前がいくつも並んでいて、私の名前は4ページほどめくった最後にあった。
「大橋は、A高受験者の中ではドンケツや。ええか、2ページ戻ったとこに赤い線が引いたあるやろ。ここから下の生徒は受けても落ちる」
「は、はあ……」
わたしは、受験のことよりも、いつもとは違う理科室の匂いに気を取られてしまっていた。なんだか化学変化を遂げた匂いで、理科が苦手なわたしでも15歳の中学生相応に、どんな実験をしたら、こういうニオイになるのか……少し時めいてしまった。
小中学校では薬品を使うような過激な化学実験は、まずやらない。
小中学校の化学実験と検索しても科学実験としか出てこない。中学で化学実験をやっていたのは化学部だけだった。
放課後は、生徒でありながら白衣を着て、いつも怪しげな薬品の匂いをさせていた賢そうな化学部員たち。
みんな私とは違う人種に見えた。
中に一人髪の長い女子がいて、なにかの化学変化の結果ではないかと思うくらいきれいな上級生だった。その時の準備室のニオイは、その上級生を思わせた。
その化学部の顧問がU先生だったのだ。
「で、どや、志望校変えへんか?」
先生は目を覗き込みながらとどめを刺すようにおっしゃった。
「あ…………アカン時は私学に行きます。枚方のS学院やから、ま、通りますから」
滑り止めには、学力相応なS学院に決めていた。
「…………そうか、まあ、ほんなら私学も覚悟の上いうことでええねんな?」
U先生は、生徒の意思を尊重してくださる方で、わたしの無茶な受験を許可してくださった。根負けされたのかもしれない。
あの化学変化の薬品の匂いに気を取られていなければ、もう少し突っ込んで話をしたかもしれない。いま振り返っても簡単で無茶な決心をしてしまったものだと思う。
そして翌春、わたしはA高校の入学試験に受かってしまった。
K中学始まって以来の快挙だったらしい。
わたしの合格を知らされたU先生は職員室の椅子に座ったまま30センチほど飛び上がってしまわれたという。
いま思い返すと、あれはニオイからくる化学変化の一種だったような気がしないでもない。
人生には、時々、こういう化学変化のようなことが起こる。