あたしのあした
この子は跳び込まないだろうと思った。
思い詰めた緊張感がない。ただ、くたびれて戸惑っているような感じしかしない。
中学に入ったばかりのころ、まだ小学一年生だったさやかにせがまれて遠出をした時に似ている。
「あの角まがって」「ビルのむこうがわはどんなの?」「道路のむこうがわまで」「あの雲の下まで行って」そんなわがままに付き合って、気が付いたら知らない街だった。
さやかはくたびれ果ててしゃがみ込んでしまい、わたしは「だいじょうぶだから」と、さやかの頭をなでてやることしかできなかった。
事務所に電話をすれば、だれかが迎えに来てくれる。だけど親父に叱られるのは御免だ。さやかの母の名前を出せば「ああ、春風議員の!?」と助けてもらえることは分かっていたが、それはできない。どんなことで春風議員の名前に傷がつくかわからないからだ。
けっきょくは、さやかをオンブして四時間歩きとおし、迷いまくって帰りついた。
柱一本向こうの女生徒は、あの時のわたしのようだ。くたびれているだけならば死にはしない。
が、一瞬女生徒に力がみなぎった! ホームには電車が入りかけている!
大学でやっていたラグビーの感覚が蘇り、わたしはプラットホームを蹴った。
タックルのタイミングはぴったりだった。ただ三十年以上昔の瞬発力ではない。線路の向こう側までは跳べない。
とっさに女生徒を投げ飛ばした。
よし、大丈夫だ!
そこでわたしの意識は途絶えてしまった。
気が付いたら、病院のベッドの上だった。
気が付くと言っても、パチッと目が覚めたわけじゃない。
濁った泥水の中から、ノロノロと浮かび上がったような感じだ。目を開けても幕が張ったようにはっきりとしなかった。
ぼんやりとぼやけた輪郭に焦点が合いはじめると、白衣の医者と看護婦だということが分かってきた。
医者の手が伸びてきて、目の前でペンライトを点けた。
「う……まぶしい」
「よし、大丈夫だ」
「お身内の方をお呼びしますね」
「ああ、そうして」
すぐに人が入ってくる気配がした。
「お世話になります……よかった、意識が戻ったのね」
女の人……なのだが、だれだか分からない。
「意識が戻ったばかりなので、多少の混乱はあると思います。無理にあれこれ聞かないようにしてください」
そう言うと医者は、看護婦と女の人を残して出て行った。
「ほんとうに良かった! 電車にはねられたって聞いた時は、もうダメかと思ったわ」
「電車に……!?」
一声出てびっくりした。これは自分の声じゃない……!
「か、鏡を……」
女の人が手鏡を出して、顔の前に掲げてくれる。
そこに映っていたのは、あの女生徒の顔だった……!