そんな気はしていたんだ。
あたしはマリコ・ナディア・重藤。苗字は普通だけど、名前が変だ。マリコとナディアと二人分ある。
保育所で物心ついたころには、そんな気がしていた。あたしには日本人以外の血が混じっている。どうやらハーフらしいことも薄々感じていた。写真を撮ると、あたしだけ目のあたりが陰になることが多かった。他の子より顔の凹凸が激しい。でも、けして不気味とかじゃなくて、可愛いと自分でも思っていた。笑顔が得意で集合写真なんか、あたしの笑顔が一番引き立つ。
でも、べつに男の子にもてたいとかチヤホヤしてもらいたいという気持ちからじゃない。
ほどよくみんなに馴染むため。
子供の世界はきびしい。ちょっとみんなから外れるとハミられる。薄ぼんやりしてると、いじめに遭う。ほどほどのところで……そう、月に一回ぐらいね。みんなから「マリコかわいいね」と言われるぐらいでいい。
小学校に入ると、きっと「マリコはどことのハーフなの?」と聞かれる。思い切ってお父さんに聞いた。
「生んだお母さんはユーゴスラビアだ。でも、育ててくれたのは芳子お母さんだ。二度とは言わない。マリコも二度と聞くんじゃない。とくにお母さんの前ではな」
いつものお父さんらしくなく、目を合わせず、首筋のほくろを掻きながら言った。それだけでよかった。
「どことどこのハーフ?」と聞かれても、これで答えられる。そしてユーゴスラビアなんてたいていの子が知らない。
だから「そうなんだ」で、たいがい始末がつく。
ところが、中学1年生の時にスカウトされてしまった。
成長するにしたがって、自分でももてあますくらいに可愛くなってしまったのだ。
そんな気がしていたから、外出するときはメガネをかけて、モッサリした格好で出かけるように気を付けていた。でも本屋さんで本を探しているときにメガネ外して上の棚を見ていた。この姿勢って、顔の造作が一番露わになる。そこをNOZOMIプロのスカウトにひっかかった。心は完全に日本人なので、きっぱり断ることが出来ずに三か月ほどで、アイドルの端くれになってしまった。
学校で、妬み半分のシカトが始まった。
そんな気はしていたんだけど、そういう状況を避けられないのが日本人らしくて、困りながらも安堵する自分がいた。お父さんと芳子お母さんに近いと思うと嬉しくなる自分もいたのだ。
結局、スケジュール的にもきびしいので、アイドルや芸能人の子たちが通う中高一貫校に転校。ここは気が楽だった。あたしみたいなハーフの子もいるし、恋愛御法度の学校なんで、薄いつきあいで済むようになった。
「社長、お顔の色が悪いですよ」
そう言うのが精一杯だった。
「そんなことないよ、マリコは心配性だな」
ゴルフ焼けした顔でダクショの社長は笑顔で返してきた。でも、そんな気がしたんだ。社長の命は長くないって……。
社長は二週間後、頭の線が切れて亡くなった。
どうやら、あたしには人に無い能力があるらしいと気づいた。あれから三人ほど人が死ぬことが予知できた。でも人には言わない。
「あなた、とんでもない力もってるわよ」
テレビ局の廊下で二輪明弘さんに言われた。
「人には言わないわ。ぐちゃぐちゃにされるからね。あたしの目を見て……うん、大丈夫。悪いことには使ってないわね」
十八歳の時、密かに恋をした。
二十二歳というちょっと遅咲きの俳優Kに。でも、そんなことはおくびにも出さなかった。ときどきドラマやバラエティーでいっしょになる。それだけでよかった。
ある番組でKといっしょになった。それも隣同士。もう収録のことなんか半分とんでしまった。すかたんな答えをして、皮肉にも受けたりした。話題があたしに振られたときもドキドキして、スカタン。放送作家は、かなりあたしのことを詳しく調べていて「お母さんの出身はユーゴスラビアのどこそこだね」とMCに言わせ、オーディエンスがどよめいたが、あたしはKが死ぬことを予感して、それどころではなかった。
あたしは、死因まで分かるようになっていた。Kは白血病だった。
気が付いたら、ホテルのベッドで朝を迎えていた。成り行きはおぼえていなかったが、うろたえる自分と安心する自分がいた。
Kは、あたしの横で裸の胸を安らかに上下させながら眠っていた。
Kの首筋にはあたしの歯形が付いていて、あたしの口の中には、微かに血の香りがした。
直観で、Kはこれで命が助かったことを確信した。
そして、収録でMCが言った言葉を思い出していた。
「マリコの生みの母は、トランシルバニアの人だね」
そんな気はしていたんだけど……。
トランシルバニア、分からなかったらググってください。