あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(後編)・愛媛その12

2006-12-12 18:15:26 | 初めての四国遍路
 第7日 2004年11月19日(金) 晴 <61番香園寺~63番吉祥寺>
 =台風被害で迂回路へ=
 
 アラーム設定を間違えて携帯が鳴らず、6時45分に起床。部屋の窓
から、西側(写真)や北側、瀬戸内海方面の展望がよい。
 
 7時半からの朝食はバイキング。8時20分に出発する。

 今日は、本来なら60番横峰寺を目指すのだが、10月の台風被害で
横峰寺へのへんろ道は通行不能になっていた。一時、東側山麓の温泉
旅館京屋別館に仮納経所が設けられ、その後、さらに奥の横峰寺別院
に移動していたので、そちらに向かう予定だった。

 ところが最近、山下さんの情報で、東側の林道から横峰寺に上がれ
ることが分かり、61番から63番を先に打ち、温泉旅館京屋経由で
明日上がることにした。したがって今朝は、通常のへんろ道を外れて
61番へ向かう。

 雨上がりでいつもより暖かい。湯ノ浦ハイツ周辺のもみじは紅葉し
始めている。国道196号に出て1㎞足らず、世田薬師の標識に従い
右へ、線路を越えて県道159号に入る。南の山すそから霧が上が
っている。


 六軒家集落で再度線路の東に出た。国道では聞こえなかったが、
山下さんにいただいた鈴の音が聞こえる静かな住宅地。車もほとん
ど通らず国道歩きより気持ちよい。

 寺北川の自安橋の先で、逆打ちの若い女性遍路と会う。線路を越え
てまもなく、番外霊場臼井の水の小さいお堂があった。

 お堂の前と道路際のクスの下に清涼な清水が湧き出し、収穫した大
きなカブを手押し車で運んできた親父さんが、その清水で洗っていた。


 三好小近くのスーパー、ソゴウマートで昼食を買う。大洲藩の飛び地
だったこの地を、松山藩と領地交換した由緒を記してあった出張橋で、
真手川を、すぐ先で大明神川を渡り、Y字路を東に向かう。

 桑村でへんろ道に分かれ、地図で目指した道に入ろうとしたが、狭い
路地が多く分かりにくい。直線で南東に抜けるはずがS字状に回って
しまい、現状確認に少し手間取ったが、あまり大回りにはならずに
東丹原ICのそばに出た。

 県道144号に入ると、広い歩道で車も少なく安心。本郷川、崩口川
と小さい川を過ぎ、川幅広い中山川を渡る。正面に見える山のふと
ころに向かって進んだ。


 国道11号を越え、南側の山すそにある61番香園寺に着いた。
広い境内の奥に大きなコンクリート3階建ての本堂。鐘楼で鐘を突いて
いたら岡山のIさんから電話があり、経過を報告する。

 どこが本堂かよく分からず、とりあえず1階で読経し、2階の大聖堂
に上がった。どうやらこちらが本堂らしい。東京の築地本願寺のよう
に数百ものいすが並び、中央に金色に輝く大日如来像が鎮座している。
参詣者は無かった。

 大師堂は、子安大師堂と呼び、小さなコンクリート造りのお堂。
本堂との対比が極端だ。納経所と宿坊のある建物も3階建ての近代
建築。四国八十八箇所の中でも異色の霊場である。杉の木の下の
ベンチで昼食していたら、お参りに来た奥さんから、高知産だという
ミカンを2つお接待いただいた。

 東に向かい、小松町の中心街に入る。小松郵便局で資金補充し、
東京・小金井のMさんへ近況報告を記して投函した。


 JR予讃線伊予小松駅近くの62番宝寿寺へ。こぢんまりした境内。

 正面のお堂は修理中。右手の本堂と小さめの大師堂に参拝、読経。
国道11号沿いなので、境内は車の騒音が絶え間ない。

 その国道をさらに東へ進む。西条市に入り、宝寿寺から1.3㎞で
63番吉祥寺。本尊は、四国霊場ただ一つという毘沙門天。大師堂と
鐘楼のそばに大きなカシの木があった。


 国道11号の次の信号で右折、現在、60番へのただ一つの回り道
である県道142号に入る。松山自動車道を過ぎると、西条市街や
瀬戸内海の展望が開けてきた。

 台風被害で2車線のがけ側が崩落したところが3ヵ所あり、土のう
をたくさん積んで仮復旧してある。ガードレールはくねくねに折れ曲が
って下に落ちており、崩壊のすさまじさがしのばれる。


 60番を打ち終えて下る途中の若い男性遍路が休憩していたので、
道取りなどを聞く。黒瀬峠には、石鎚神社一の鳥居が道路をまたいで
立っていた。

 左下に黒瀬湖を見下ろしながら少し下り、温泉旅館京屋別館に16時
15分に着いた。入口に遍路用品の売店と食堂、奥に部屋などがある。

 外から見ると平屋のようだが、下にも2階あり部屋も多い。今日は私
の他はご夫婦1組のみ。でも明日は土曜日で混むようだ。

 洗濯をして温泉に入る。白く濁ったジャグジー湯に1人で浸かる。
木の建物もそぼくで、気持ちよい。

 夕食は、高槻市のIさんご夫妻と話しながらいただく。

 ご主人は2年前の今ごろ、1人で歩き遍路をされたとのことで、この
先おすすめの宿を教えてもらう。

 その時の遍路記をCDーROM化されている言われた。私のと交換を
お願いしたら、夕食後、さっそく部屋に届けて下さった。

 奥様とは車で回っておられ、今回は6回目で逆打ちとのこと。ここは
定宿だが、いつも団体で混んでいて、こんなに空いているのは珍しい
といわれた。

 今日は、後半の歩きで初めて、歩き遍路をした方との情報交換が
でき、有益な夜だった。

〈コースタイム〉今治湯ノ浦ハイツ8:20ー番外霊場臼井の水9:35~45
ーソゴウマート9:50~10:00ー明理川橋11:01ー61番香園寺(昼食)
12:16~13:22ー小松郵便局13:42~14:00ー62番宝寿寺14:02~20ー
63番吉祥寺14:40~15:05ー温泉旅館京屋別館16:15

(距離 22㎞、歩行地 今治市、東予市、小松町、西条市、歩数 
 38,400)
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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その11

2006-12-11 19:26:02 | 初めての四国遍路
 同じ県内、さいたま市内で6日に投函された郵便物が、5日目の今日、
着きました。一方、愛媛県大洲市からは、7日投函のものが届きました。

 郵政省の時代には、県内ならほぼ翌日には着いていました。郵政公社
になってから、普通郵便物の所要日数が、かなり増えたように思います。
 
 民営化される来年以降はどうなるのでしょうか。JRでは普通列車が
減り、新幹線や特急列車で行かないと不便になったように、郵便物も、
「急ぎなら速達郵便で」ということになりそうです。

 愛媛県大洲市からの郵便は、今回の遍路で最終日に泊まった宿から
です。ときわ旅館の若いご主人とおかみさん直筆で、遍路の結願を祈る
ものでした。暖かいお心づかいに感謝しながら読ませていただきました。

 以下のレポートは前回のもの。市町村名などは当時のままです。

 =============================

 第6日 2004年11月18日(木) 曇後雨
 <54番延命寺~59番国分寺>
 =雨のへんろ道を行く=
 
 6時10起床、7時朝食、7時20分宿を出る。そばのT字路際の空き地
に、太いクスノキが立つ。近くでゴミの分別中の方に聞くと、「役場の跡で、
その前は庄屋があったところ」だという。木はその頃からのものらしい。

 T字路から東に向かう道は、国道196号から入ってくる車が切れ目無い。
狭いのに国道のバイパスとして使うのだろうか。

 その国道に出たら、やはり松山方面への車が途切れない。1㎞くらい先
の宅間交差点で旧道に入る。黒服の逆打ち女性遍路が、そばのガソリン
スタンドに入っていった。

 今日の初打ちは54番延命寺。寺の手前で、背の高い逆打ちの男性遍
路と行き交う。山門が2つあり、2つ目は旧今治城の山門を移設したのだ
という。

 境内に越智孫兵衛の墓がある。元禄時代の庄屋で、松山藩の重税を、
翁の尽力で下げてもらうなど、郷土の発展、福利増進に努めた人とか。
境内の遍路用品店で、女性遍路が白衣を盛んに勧められていた。

 へんろ道は北から東へ向かう。墓地の間を上がると南方の展望が開け
る。「越智孫兵衛顕彰碑」と刻まれたりっぱな石碑があった。

 西瀬戸自動車道の手前、北側の山すそで大規模な造成工事中。近く
の人に聞くと、市の住宅団地の造成中だという。「こんなところに来る人
はいないよ」と批判、私が見ても場違いの感じだった。

 坂を上がり、霊園の間を回ってから下り、北日吉町で国道196号に
出る。左手高台に見える城のような大きな建物はなんだろう?。

 JR予讃線のガードをくぐって南光坊に向かうが、西側にりっぱな社殿
が見えたので先に寄ることにした。

 大山祗神社で、和銅年間(708~)の勧請という古社。檜皮葺の古い
社殿は天正3年(1575)再建という。北側の別の神社の社殿横には、
樹高17m、樹齢300年以上という見事なクスノキが立っていた。

 東側の55番南光坊の山門は北側にあり、国道317号から入る。山門
には、金色の新しい仁王像が立つ。

 本堂、大師堂のほか、金刀比羅宮、薬師堂などがあり、市街地の真ん
中にあるが広い。

 南に向かい、今治駅東口に出て、駅前の通りをまっすぐ2㎞余り進む。
途中の明徳高と今治西高の間で雨となった。民家の広い屋根下を借りて
雨具を着けた。

 国道196号との交差点にあったコンビニ、サークルKで昼食を買う。

 間もなく56番泰山寺。白い土塀に囲まれているが、山門はない。

 本堂と大師堂の間に新しい宿坊があった。


 参拝を終わり東へ、田んぼの中のへんろ道を進む。国道196号を越え
て蒼社川に出る手前に、へんろ無縁墓地があった。10数基の古い墓が
並び、沢山のマリーゴールドが慰めるように咲いていた。

 蒼社川の山手橋を渡る。川底は赤っぽい砂、次の川も同様だった。
へんろ道は、八幡山の山すそと田んぼの間の気持ちよい草道を進み、
左に入って57番永福寺に着く。

 ここも山門はない。本堂には鶴の彫刻、大師堂はさらに精巧な龍の
彫刻が目についた。


 南に向かい、大塚池の東を上がる。池のほとりに立つ数本の古いクス
が、この池の歴史を感じさせてくれる。


 車道に下ってミカン畑の間を進み、再び上り坂となる。


 58番仙遊寺は、山門を入って9分ほど、くねくねした急な石段の上り
で、大汗をかく。山上の本堂前に、白とピンクの山茶花が咲いていた。
境内のモミジも色づき始めている。

 東屋の所まで戻り、右手(西側)の山間をたどるへんろ道に入る。
下り道は、一昨日、山下さんが仙遊寺での修行で作業したと聞いて
いたが、ササ、ウラジロ、松の枝などが刈り払ってあり、お陰で濡れず
に下れた。

 谷集落を抜け、吉祥禅寺の下を進んで右からの車道と合し、2㎞ほど
住宅地を北東に進む。JR予讃線伊予富田駅の東で踏切を越え、県道
156号に出た。

 予讃線に平行して進んで頓田川を渡る。「従是西今治領」の標石の先
に59番国分寺があった。

 ここも山門が無い。本堂と大師堂は直角に立つ。境内に、等身大の
修行大師握手像がある。大師と握手してお願いをするとかなうというが、
「お大師様も忙しいので、お願いは一つだけに…」と書いてあった。

 大師堂の屋根は修理中。

 16時過ぎ、今日の予定を打ち終え、再び県道156号に出る。暗く
ならないうちにと先を急ぐが、疲れが出てスピードは上がらない。靴も
濡れてきた。

 右からの国道196号に合すると、歩道が広くなり安心して歩ける。
今治湯ノ浦ICに近い、道の駅今治湯ノ浦温泉の所を左折。りっぱな
ホテル群の奥に、宿泊先の今治湯ノ浦ハイツがあった。

 17時17分着。濡れた衣類をコインらインドリーで洗濯中に温泉に
入る。20~30人は入れる大浴場だが一人だけでもったいない。
雨に濡れた体と疲れを温泉に浸かって回復させる。


 夕食は大食堂で。今日の宿泊客は私のほか、2人×4組と4人の
グループのみ。これでは公共の宿の経営も苦しそう。しかも私は遍路
特別料金で割安。申し訳ない気もするが、たまには良いかとも思う。

 夕食後、連れ合いに初めての電話をする。歩行メモを整理していた
ら23時半になった。

〈コースタイム〉あさひ旅館7:20ー大池7:40ー54番延命寺8:10~35ー
大山祗神社9:35~39ー55番南光坊9:40~10:05ー今治西高10:36ー
56番泰山寺11:04~20ー57番栄福寺(昼食)12:10~53ー58番仙遊寺
13:30~14:16ー伊予富田駅南の右折地15:15ー59番国分寺15:40~
16:07ー今治湯ノ浦ハイツ17:17

(距離 27㎞、歩行地 大西町、今治市、玉川町、地図 今治東部、
 西条、歩数47,800)


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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その10

2006-12-10 22:36:17 | 初めての四国遍路
 雨も上がり好天となり、昼過ぎ、買い物に出かけました。

 なんだか肩と足が軽く感じられます。それもそのはず、1か月近く、
毎日8~9kgの荷を背負って歩いていた生活から解放されたわけ
ですから…。

 引き続き、1昨年秋のレポートを続けます。

 ===========================
 
 第5日 2004年11月17日(水) 晴 <53番円明寺>
 =鎌大師で山下さんと=
 
 6時10分起床。7時に朝食をして、7時半ホテルを出る。松山駅
7時46分発で、7時57分に伊予和気駅(下の写真)に着く。


 今日の最初は、近くの53番円明寺。

 境内は、そう広くないが正面に本堂、左手前に大師堂など、こぢん
まりとお堂が配置されている。

 JRの東に出て北東に向かうが、道路工事中の所を早く曲がってしま
い、少し回り道となる。昨日もそうだが、道路工事の所はよく注意しな
いと道を間違える。

 国道183号に戻り、跨線橋でJRを越える。次の堀江駅でトイレを
借用。駅舎は有蓋貨車を転用したもので、もちろん無人である。


 町外れに出ると海が見え始め、すぐに海岸沿いになる。防波堤に
ウミウとカモメが休んでいた。粟井坂の突端に、「海鮮北斗」という大き
な建物、近くに大師堂があったが拝礼のみで通過する。

 河原集落にも大師堂があった。粟井川の先で国道はJRの東側に回
ったが、遍路道はまっすぐに海沿いの県道179号を進む。だがこの道、
歩道があってもU字溝の上だったり、歩道の無いところもあり、歩きやす
いとはいえない。

 毎日メールで情報交換している逆打ちの山下さんと今日会えることに
なり、携帯で連絡を取り、11時半頃、この先の鎌大師で落ち合うことと
した。

 北条の市街地に入り、コンビニ、サークルKで2人分の弁当を調達、
JR予讃線の東に回り、市役所前を経て立岩川を渡る。鴻之坂の上り
口にある番外霊場鎌大師に、11時35分に着いた。

 5分と違わずに山下さんも到着。日焼けした血色のよい顔はお元気
そうで、すでに2週間の遍路旅にも、疲れのないことが感じられた。

 買ってきた弁当で昼食後、情報交換。私はまだ5目なので、もっぱら
山下さんから有益な情報をいただき、さらに、サポートメール「竜馬16」
のグループのことなどもお聞きした。

 57番栄福寺で入手したというかわいい鈴をいただき、早速ザックに
着ける。2時間近くも話がはずみ、この先、お互いの元気を祈って鎌
大師を出た。

 鴻之坂の上り坂で、北条市のマンホールふたに、「腰折といふ名も
をかし春の山」との句が記されているのに気づいた。


 坂を下って行くと、ミカン畑の斜面の向こうに浅海原の町並みと瀬戸
内海の展望が開けてきた。


 JR予讃線の線路の先で国道196号に入り、浅海駅前通りの先で
海岸寄りの旧道へ。自生のツワブキの花がきれいに咲いている。この
通りにも、松山市内で見たような精巧な鬼瓦を乗せた家が多い。


 再び国道に出て岬を回る。岬の部分だけ歩道が無く、猛スピードで
通過する車が恐かった。

 北条市から菊間町に入る。漁船の並ぶ田之尻漁港横を通過、次の
岩童子から水尻辺りには、菊間瓦と呼ぶ瓦工場が多く、2階建ての
屋根までの高さの鬼瓦を飾った工場もあった。


 水尻に、弘法大師厄除け別願所、遍照院があったので参拝、読経
して休憩する。
 
 鐘楼のある山門の屋根には、やはり大きな鬼瓦が上がっていた。

 山下さんに寄るように勧められた「かわら館」は、菊間駅西側の
踏切を越えた丘陵下にあった。ねずみ色の瓦屋根と白壁が真新しい
4階建て。

 最上階は郷土作家の絵画など芸術作品、3階以下に社寺の古い鬼
瓦、雌雄2面の大鬼瓦を乗せた遍照院の山車、全国の瓦産地の紹介、
菊間瓦の説明などが展示されていた。

 遍路中、このような初めての地の産業を知ることは、私の楽しみ
の一つである。

 菊間駅の東側から国道に戻る。葉山まで進むと、行く手に太陽
石油のタンクと煙突群が林立している。高田で海沿いの旧道に入る。
 海には島影が一つ、海岸沿いにも瓦の製造工場が並んでいた。


 川沿いに国道まで戻り、太陽石油横の坂を上がる。17時近くなり
日が陰って冷えてきた。伊予亀岡駅周辺も線路寄りの旧道を抜ける。
大西町に入ると、「タオルと造船の町」の看板が立っていた。

 宿で翌朝聞いたら、造船は来島ドック、タオルは今治とともにこの
町の主産業だという。

 別府の町並みも旧道へ。ここも鬼瓦の上がった家が目につく。とう
とう暗くなり、三日月が高く上がった。危ないのでペンライトを点けて、
前方からの車に照らしながら急ぐ。

 大西町の中心街に入り、18時ちょうど、大西駅前のあさひ旅館に
着いた。

 早速洗濯機を借り、洗濯中に入浴。部屋、風呂とも清潔。浴槽は
家庭用のステンレス製。19時過ぎ夕食をいただく。主食はカレー
ライスだが、コイの頭煮、アジの天ぷらなどおかずは十分だった。

 宿泊客の対応は背の高く元気なご主人が切り盛りしているようで、
翌朝もおかみさんは姿を見せなかった。遍路客は私だけ、ほかに
工事の人だろうか3人いたが、1人は素泊まりのようだった。

〈コースタイム〉松山東映ホテル7:30ー松山駅7:46=伊予和気駅
7:57~8:00ー53番円明寺8:05~33ー堀江駅(WC)9:09~10粟井坂
の大師堂9:40ー蓬福寺大師堂10:06ー柳原駅入口10:30ー鎌大師
(山下さんと昼食・懇談)11:35~13:21ー朝海原駅入口14:05ー岩童子
14:58ー遍照院15:04~20ーかわら館14:26~48ー伊予亀岡駅入口
16:45ーあさひ旅館18:00

(天気 晴、距離 31㎞、地図 三津浜、松山北部、今治西部 
 歩行地 松山市、北条市、菊間町、大西町、歩数 51,800)

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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その9

2006-12-09 21:45:01 | 初めての四国遍路
 昨日夕方帰宅しました。今日は1日冷たい雨、四国遍路ではあまり
感じなかった、寒さが気になります。

 1か月余り中断していた、2年前の四国遍路後半のレポート続きを
再開します。今年ではありませんので、お間違えの無いよう。

 ============================

 第4日 2004年11月16日(火) 晴
 〈47番八坂寺~52番太山寺〉
 =松山市内を抜ける=
 
 5時40分起床。6時朝食、坊さんのいる団体はもう終えていた。
6時45分に出発。宿の前、昨日参拝した46番浄瑠璃寺は一礼して
西に抜ける。

 へんろ道を0.9㎞で47番八坂寺へ。鐘を突いてから参拝、読経。
本堂はコンクリート造り。カシの古木が何本かあるが、開放的な境内だ。

 ちょっと変わった山門の天井に、天使が描かれていた。

 北に向かい池の角を進む。市街地には陽が差しているが、ここはまだ
なので寒い。畑に50㎝くらいも茎の伸びたキャベツのような野菜が
ある。

 春にもどこかで見た記憶があるが、何だったろうか。

 恵原町に、別格霊場9番の文殊院があったので参拝して読経。四国
霊場を開祖した河野衛門三郎の菩提所で、衛門三郎の新しいと石像が
立つ。
 
 納経所で熱いお茶のお接待をいただいた。

 恵原町の住宅街は、狭い道路沿いに精巧な鬼瓦をあげた家が多く、
落ち着いた雰囲気の町並み。次の今市には、大宮八幡の先に札始大師
堂があり、「お大師様お泊まり所」と記されていた。


 川幅500mくらいある重信川の久谷大橋を渡り、車がめったに通ら
ぬ松山自動車道の下を進む。南高井町の交差点先にも、小さい大師堂
があった。

 すぐ北が48番西林寺。門前にきれいな川が流れている。その上を
石橋で渡って山門をくぐる。
 
 納経所前の庭は、松やモミジがよく手入れされていた。

 西に抜け、高井公園前の内川沿いに進む。滋賀神社前の流れには細長
い貝が多く、ハヤだろうか、小さい魚も沢山泳いでいた。


 松山リハビリテーション病院横を北に、小野川の遍路橋を渡る。久米
小の横を抜けて伊予鉄道久米駅の東を進むと、突き当たりが49番浄土
寺である。

 本堂は室町時代の代表的建造物で国重要文化財。納経所へ行く古い
土塀が傾き、今にも倒れそう。楠の下に子規の句碑があった。

 この先、市内各所の寺に句碑があり、松山市が俳句の町だということ
を実感する。

 西北にある日尾八幡神社にも参拝する。日本3大八幡のひとつとか。

 天平勝宝4年(752)、大分の宇佐八幡から勧請し、孝謙天皇の勅願
所となったという古社。

 145段の石段、背のザックが重い。太いしめ縄のあがったりっぱな
社殿に、剣道スポーツ少年団の掲額が幾つも奉納されていた。

 次の繁多寺に向かう道、車が多いのに歩道が無い。墓地の間を進む
へんろ道に入ってホッとする。

 ミカン畑の横を抜けて、50番繁多寺に上がる。高台にあり、境内の
広場からは松山市街の展望がよい。背後の森は、広葉樹や杉がうっそう
と茂っている。


 山すそを西に向かう。桑原八幡の先は道路工事中でちょっと分かりに
くい。

 畑寺から東野の住宅地を北に進み、石手川の遍路橋を渡り、51番
石手寺に着いた。

 10月28日から11月20日まで菊花灌頂中とあり、本堂の前など
がきれいな菊で彩られ、各お堂には、五色の幕が下がっている。

 灌頂とは、仏教の儀式で頭に水を注ぐことらしい。広い境内は参詣客
が多い。

 期間中、大師堂のお大師様と参拝者は、三色のひもで縁を結ばれる
ようになっている。また、この期間、本堂内も拝観できるとのこと。
大師堂から入り、手まりの絵が並ぶ絵馬堂を経て本堂内を一周する。
本堂内、仏様の回りも菊で飾られていた。

 正午を過ぎたので、門前にあったみよし食堂に入り昼食とし、名物、
梅こんぶうどんを食べた。

 山すその道を西に向かう。道後温泉街の手前にある伊左爾波神社に
135段の石段を上がって参拝。檜皮葺の本殿や回廊は、鮮やかな朱
塗り。回廊には、りっぱな御輿が保管されていた。


 道後温泉の旅館街からアーケード街を西に抜け、御幸寺山のふもとを
進む。護国寺の先、御幸寺の前に一草庵というのがあった。昭和15年
10月に没した放浪の俳人、種田山頭火終焉の地で、山頭火の句など、
資料を展示している。

 ちょうど帰ってきた管理人の方から、「寄って行きませんか」と言わ
れたが、先の予定もあり、外の句碑を見ただけで失礼する。

 松山大のグランドやキャンパスの間を抜け、国道56号に出る。市街
地だが、国道沿いの流れもきれいで、ハヤと思われる小魚が沢山泳いで
いた。

 山越1丁目の歩道橋を越え、少し戻って西に向かい、久万ノ台まで
まっすぐに進む。

 松山西高と池の間に出るつもりが、手前で右に入ってしまい、少し
回り道して高校の北側から池のそばに出た。夏ミカン畑の先、少年鑑別
院や松山学院前を過ぎ、JR三津浜駅を跨線橋で越える。

 駅西側の、新しくて広い県道19号から、松ノ木で県道183号に入
り北に向かう。坂を上がり、ゴルフ場の西からはへんろ道へ。ミカン畑
の間を下り、52番大山寺一の門の門前を進む。

 この寺は参道が長く、仁王門から納経所前を経て、本堂まで570m
ある。17時の納経締め切り時刻に間に合わせねはと急ぐが、上り坂で
ザックが肩に重い。

 古い様式の本堂は国宝。仁王門も国重文で、ほかの建物もみな古い。

 朝早く宿を出た坊さんグループの一行が後からやってきた。どうやら
44番、45番もまわってきたようだ。それにしても、歩いてきた私と
一緒になるとは…。

 納経も間に合い、車の多い県道183号を北東に急ぎ、17時17分、
JR伊予和気駅に着いた。

 17時34分発松山行き予讃線に乗り、18時過ぎ、松山駅に近い松山
東映ホテルに入る。

 事前に連絡をとっていたFさんが18時半に来た。Fさんとは、20年
前、職場が一緒だった。近くの和食料理店で21時過ぎまで夕食を食べ
ながら懇談する。

 今日は涼しく、納経を急いだ大山寺以外は汗もかかず、遅いこともあり、
洗濯は無しとする。それでも就床は23時近かった。

〈コースタイム〉民宿長珍屋6:45ー47番八坂寺7:00~20ー文殊院7:34ー
札始大師堂8:17~25ー48番西林寺8:52~9:15ー49番浄土寺10:05~35
ー日尾八幡社10:39~49ー50番繁多寺11:08~33ー51番石手寺12:11~55
ーみよし食堂(昼食)13:00~20ー一草庵14:10~13ー松山学院先の小公園
15:19~28ー52番太山寺16:15~47ーJR伊予和気駅17:17~34=松山駅
17:42ー松山東映ホテル18:05頃

(距離 27㎞、地図 松山南部、松山北部、三津浜、歩行地 松山市、
歩数 48,800)
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四国遍路ふた旅番外3

2006-12-08 14:12:54 | Weblog
岡山駅で買ったままかり寿司を食べ、昼食を終えました。名古屋辺りら青空が増えてきました。
さて、遍路の1日のスケジュールを紹介しましょう。
宿の朝食は、6時半のことが多く、距離が長い日は6時に、短めの日は7時にお願いしました。起床は、朝食の40分前に携帯電話の目覚ましをセットします。
出発は、だいたい朝食後40分前後になります。6時半だと日の出前なので、まだ少し暗さが残っています。
日中はひたすら歩き、霊場に参拝、読経し、納経印をいただくのに、最低20分は見なければなりません。団体遍路の引率者が納経所にいると、待たされることがありますが、今回は時期外れなので、待たされた所は、ほとんどありませんでした。
宿に着くのは、15時台から16時台がほとんどです。日没が17時前後なので、17時半過ぎには暗くなり、心配をかけた宿もありました。遅くなる時は、宿に一報した方がよいと、その時反省しました。
宿に着くと、まず、汗をかいた衣類の着替えをして、洗濯機を借り、投入してお風呂に入ります。宿によっては、お接待で洗濯して下さり、中には乾燥もして、折り畳んで持って来て下さるところもあり、有難いことでした。
入浴して汗を流し、寒かった体を温めることが、一日の疲労回復にもなり、大きな楽しみのひとつです。
夕食は、17時台が多く、歩き遍路さんがいると、過去の出会いやよかった宿の情報交換、宿のおかみさんとの話しなどが楽しみです。もちろん、夕食のメニューも期待が大きく、今回の宿は、皆美味しくいただきました。
食後は、その日歩いた行程の記録整理と、このブログへの投稿で、2時間近く経過します。
その前に、翌日の宿を決めて携帯電話からの申し込みもしなければなりません。宿を決めるには、翌々日の宿の場所も考慮して決めないと、翌々日の行程が厳しくなったり、短距離になってしまいます。
それやこれやで、TVなどは天気予報やニュースを見る程度で21時前後となり、翌朝の起床時刻を考えると就床しなければと思い、慌ただしく毎日が過ぎて行きました。
27日で区切りとしたのは、寒さが襲来することと合わせ、私にとっては適当な時期かなと思っています。
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四国遍路ふた旅番外2

2006-12-08 11:24:10 | Weblog
昨夜は、岡山市のISOさんのお宅に泊まり、四国遍路の中間報告をして、ごちそうになり、いま新幹線の車中です。
今回は、大きな忘れ物が2つありました。
ひとつは、へんろ道保存協力会発行の、いわゆる遍路地図冊子の後ろに掲載された遍路宿のリストの部分のコピーを忘れてきてしまいました。
これが無いと、宿泊する宿の電話番号が分かりません。
第1日の前夜の宿で気づき、1番霊山寺の売店で再購入し、以後支障はありませんでした。
もうひとつは、デジカメの予備バッテリ充電用コードです。私の使っている富士のデジカメのコードは、ACコンセントに差し込む側と、デジカメに降圧整流したDC電流を供給する部分が中間で分かれていて、AC側を忘れてきてしまったのです。
これは、予備電池の無くなる前に、自宅から数日先に通過予定の郵便局宛てに、局止め郵便で送ってもらい、間に合いました。
この2つはが無いと、遍路を途中で打ち切りしなければならないところでした。
出発前に、持ち物のリストを作ったのですが、細かい詰めが甘かったようで、次回の反省点です。
出来るだけ荷物は軽くしたいのですが、必要な物は忘れないようにしなければと思いました。
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四国遍路ふた旅第27日

2006-12-07 14:14:15 | Weblog
最終日は、朝から雨になった。でも、雨脚はそう激しくはなく、半日足らずの行程である。
雨具を付けて、大洲市のときわ旅館を7時49分に出発する。宿の若いご主人が、このブログを見つけられたようで、出る時に、私のではないでしょうかと、問いかけて下さり、嬉しかった。
雨の国道56号を北東に向かう。町外れの辺りから、両側にスーパー、薬、電器、書店、レストランなど、大型店舗が沢山並んでいる。首都圏でも、こんなに集まっている所は、少ないのではなかろうか。
それらの店が、ようやく減り始めた所に、別格霊場8番十夜ケ橋がある。お大師様が、一夜の宿をこうたが断られ、橋の下で一夜を過ごされたところ。
納経後、橋の下に下り、下のお大師様の寝姿像などにも参拝した。
自転車でお参りに来た奥さんから、飴玉のお接待をいただく。以前は、ムジナの住む寂しいところだったが、このような商店が沢山出来、すっかり様変わりしてしまったと言われた。
国道の歩道は広いが、トラックに水を掛けられないように、なるべく外側を歩く。
新屋で旧道に入る。炭屋さんの軒先が遍路無料休憩所になっていたので、休ませてもらい、熱いお茶をいただいた。少し先、国道に合したところには、神南堂という遍路休憩所があった。
国道を再び2km近く進み、五十崎駅近くから左に入る遍路道へ。芝草や落ち葉の多い気持よい遍路道である。
内子町の町営運動公園を通過、11時10分にJR内子駅に着いた。ここが今回の区切り点。この続きは、来年2月中旬に再開する予定。
日々、携帯電話からの投稿をご覧いただき、また、応援メッセージもいただき、ありがとうございました。
帰宅後パソコンから、前回後半に引き続き、今回のレポートを報告致します。
以上、帰途のJR予讃線車中から。添付写真は、内子に向かう、雨の遍路道です

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四国遍路ふた旅第26日

2006-12-06 20:38:32 | Weblog
おむすびなどのお接待をいただき、7時10分に民宿とうべやを出た。
良く晴れているが、風が少し冷たい。
四国横断道の建設工事箇所の近くから、歯長峠への遍路道へ。
県道31号を横断した後、急坂が200mほど続き、鎖が付けられついた。その後は傾斜も弱まり、標高480mの葉長峠に上がった。展望はなく、小さい地蔵堂があった。
林の中を下り、自動車道のトンネル工事現場そばに下りた。県道を少し下り肱川そばの葉長地蔵に参拝し、そばのあずまやで休憩。川沿いに緩やかに下る。
松山自動車道の西予IC下を抜け、43番明石寺に着いた。
山懐にあり、数本のモミジが見ごろ。山門やお堂は皆歴史が感じられる。
ここが、今回の区切りのお寺。ご本尊は、私のえとの守り本尊の千手観音なのも、ご縁を感じる。
山門横から杉木立の遍路道を上り下り。下った宇和町には、古い家並みが残っていた。
その旧道を進んで北に向かう。国道と旧道を何度か行きかい、谷間の道を7KM余り行く。気温が上がり、眠気が来る。
鳥坂峠への遍路道に入った。鳥坂番所跡に昔の建物が残っていた。
緩やかで広い上り道に、当時の往来者の多かったことが推し量らえる。
この峠も展望はない。
林間を下り、鳥坂トンネル北側に出た。国道をどんどん下る。北側にのびやかに広がる山並みの展望が気持よい。
少しだけ国道を離れ、番外霊場札掛大師に参拝、再び国道56号を下る。太陽の影に入ると涼しくなってきた。
暗くならないうちに宿に入りたいと急ぎ、大洲市内のときわ旅館に17時ちょうどに入る。
古きよき旅館の雰囲気が感じられ、若いご主人の応対も気配りが感じられ、最後の夜も気持よく休めそう。
明日午前、JR内子駅まで歩いて、遍路道前半の行程を終える。
添付写真は、43番明石寺のモミジ。
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四国遍路ふた旅第25日

2006-12-05 20:21:41 | Weblog
この冬一番の冷え込みになったが、風は治まった。
おかみさんの見送りをいただき、7時10分に三好旅館を跡にした。
岩松川を渡り、国道56号に出た。通勤の車が多く、宇和島方面に向かう方は、途切れなく続く。
全長1710mある松尾トンネルの通過は避け、西側を迂回する旧国道を回る。しばらくカーブの多い上りが続く。
長さ300mほどの松尾トンネルは歩道がなく、照明も少ないが、車も少ないので危険は感じない。
下りとなり、大規模採石場の反対側に、古い遍路道が復活していた。1kmくらいあったろうか。柿木集落で県道に戻る。
まもなく国道56号へ。3kmほどで、宇和島市街の旧道に入る。臓器移植問題で、毎日のようにニュースになる宇和島徳洲会病院の看板が目に入る。
お大師さんゆかりの、馬目木大師に寄って参拝した。宇和島の中心街を通過し、別格霊場6番龍光院にて参拝、読経した。
宇和島駅東の踏み切りを通過し、JR予讃線と光満川に平行する県道57号へ。
北北東に向け、緩やかな上り道が続く。新荒屋敷バス停先に、歌先生設計の遍路小屋21号光満があった。
まだ開設したばかりのようで、ま新しい。記帳ノートには、誰も記入してなく、私がトップでお礼のひとことを記入し、置いてあったミカンをいただいた。
坂を上がりきり、務田駅そばから県道を離れる。
視界が開けた田園地帯を進んで、41番龍光寺に続く。
久しぶりに鐘をついて参拝、境内真ん中奥に稲荷神社がある。
明日通過する葉長峠を見ながら3km足らずで、42番佛木寺に着いた。
古い仁王門を入ったら、昨日午後離れてしました鎌倉の若い遍路氏て会い、その後の経過を聞く。
鐘楼は珍しくかやぶきである。
今夜の宿はすぐ近い。民宿とうべやに16時06分に入る。
添付写真は、真新しい遍路小屋21号光満。
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四国遍路ふた旅第24日

2006-12-04 20:26:40 | Weblog
昨夜は、かなり強い風が吹き、朝まで残るかと案じたが、夜明けとともに弱まった。
おかみさんに角まで見送りいただき、7時50分に民宿磯屋を後にした。
御荘の町並みを西に抜け、国道56号を緩やかに上がる。
後から来た大荷物の若い男性歩き遍路が追いつく。
鎌倉市在住で、仕事を止めて自分を見つめ直したいと、遍路に来たとのこと。
善根宿や道の駅などに泊まって歩いているが、予想より遍路は厳しいという。以後、話しながら同道する。
下り道となり、左に海やいくつかの岬が見えて来た。海には、真珠の養殖いかだが見える。
内海の交差点で、国道に別れて川沿いに入る。集落の外れから、柏坂への遍路道へ。幅広い林間を緩やかなに上がって行く。
ところどころに野口雨情の歌碑が立ち、地元のことを歌ったものもあった。
柳水大師堂そばのあずまやで休んでいたら、パラパラとひょうが降って来た。しかし、短時間で止んだ。
時々雨もパラつくので、ポンチョを付けたままだが、気温が上がらず寒い。
小さいお堂の清水大師を通過し、ビューポイントに着いた。眼下に海と岬や島々を眺める絶好の展望地。2年前の3月、初めての時、若き三味線奏者、月岡裕紀子さんの遍路小唄などの野外演奏を聞いた、思い出の場所。あの日のことを思い出す。
下り道の両側は、ウラジロが多い。お正月も近いので、少しとって行きたい気もする。
山道が終わり、小川沿いに。流れには、小さい魚が沢山泳いでいた。
鎌倉遍路氏が遅れてきたが、寒いので先行する。
国道56号沿いに、歌先生設計の遍路小屋19号かもたがあり、そばの農産物直売所で弁当を買って遅い昼食。この小屋は、11月15日開設したばかり。当日来られた歌先生と、月岡さんの野外演奏会などにお誘い下さった山下さんの記帳が、ノートに記されていた。
国道に平行する東側の旧道を急ぎ、16時前、津島の三好旅館に着いた。
昨日といい今日といい、寒さが厳しい1日だった。暖かいお風呂にゆっくり浸かって、寒さから解放された。
添付写真は、ビューポイントからの眺め。
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