あなた
我が家のタヌは深い雪のなかで、まだ寝ています。
久しぶりに信楽焼きの本を引っぱりだして、眺め、いまは亡き友が信楽の茶碗をこよなく愛しんだのを思い出して
います。
「この、ボッテリした感覚が手に馴むのよね…」って言っていたのを思い出しすごく懐かしく…
今すぐにでも、お茶を飲みに来るような…そんな錯覚。
「あなたも、逝くのが早すぎたね」って…
淋しいよ…
このタヌキの置物が愛されるのはやっぱり、愛嬌のある顔、ドングリ眼…などなど~~
でもわたしは、花瓶「うずくまる」が好き…
春になって、可愛い野の花に出会って、「うずくまる」に生けて…
うずくまるには、野の花が一番似合う…
タヌキ置物の縁起
信楽狸八相縁起 石田豪澄和尚の理論によると
、
笠・思わざる悪事災難避けるため用心常に身を守る笠
顔・世は広く互いに愛想よく暮らし誠をもって努めはげまん
目・何事も前後左右に気を配り正しく見つむる事忘れめ
通帖・世渡りはまず信用が第一ぞ活動常に四通八達
徳利・恵まれて飲食のみに事足りて徳はひそかに我身につけん
腹・物事は常に落ちつきさりながら決断力の大肚をもて
金袋・金銭の宝は自由自在なる運用をなせ運用をなせ
尾・何事も終わりは大きくしっかりと身を立てるこそ真の幸福
と、書いてありました。
そして、聖武天皇の夢の跡…
天平9年(739)に大流行した天然痘や、3年後に九州で起こった藤原広嗣の乱などをきっかけに、
平城京にいた聖武天皇は伊勢への行幸を決意します。
そして、帰りに突然。恭仁京(京都府相楽郡加茂町)への遷都を宣言します。
この恭仁京の離宮として造り始めたのが紫香楽宮ですが、聖武天皇は大変この地が気に入り、短期間に紫香楽宮に何度も行幸を
繰り返します。
が結局は住まうことがなかったようです。
歴史の謎とも書いてありました。
あなた
随分日が長くなりました。取り留めのない、長い手紙になってゴメンネ…