『夢の小筥』

再び廻り来る事のない、この刻(いま)を、そっと筥に納めてみました。

信楽焼きの「タヌキ」「うずくまる」…好き…

2014-02-25 15:53:38 | Weblog

 

 

                               

   あなた

 我が家のタヌは深い雪のなかで、まだ寝ています。

 久しぶりに信楽焼きの本を引っぱりだして、眺め、いまは亡き友が信楽の茶碗をこよなく愛しんだのを思い出して

 います。

 「この、ボッテリした感覚が手に馴むのよね…」って言っていたのを思い出しすごく懐かしく…

 今すぐにでも、お茶を飲みに来るような…そんな錯覚。 

 「あなたも、逝くのが早すぎたね」って…

 淋しいよ…

 

 このタヌキの置物が愛されるのはやっぱり、愛嬌のある顔、ドングリ眼…などなど~~

 でもわたしは、花瓶「うずくまる」が好き…

 春になって、可愛い野の花に出会って、「うずくまる」に生けて…

 うずくまるには、野の花が一番似合う…

 

    タヌキ置物の縁起

 信楽狸八相縁起 石田豪澄和尚の理論によると
 、
 笠・思わざる悪事災難避けるため用心常に身を守る笠

 顔・世は広く互いに愛想よく暮らし誠をもって努めはげまん

 目・何事も前後左右に気を配り正しく見つむる事忘れめ

 通帖・世渡りはまず信用が第一ぞ活動常に四通八達

 徳利・恵まれて飲食のみに事足りて徳はひそかに我身につけん

 腹・物事は常に落ちつきさりながら決断力の大肚をもて

 金袋・金銭の宝は自由自在なる運用をなせ運用をなせ  
 

 尾・何事も終わりは大きくしっかりと身を立てるこそ真の幸福 

 と、書いてありました。                          

 

 そして、聖武天皇の夢の跡…

  天平9年(739)に大流行した天然痘や、3年後に九州で起こった藤原広嗣の乱などをきっかけに、

 平城京にいた聖武天皇は伊勢への行幸を決意します。

 そして、帰りに突然。恭仁京(京都府相楽郡加茂町)への遷都を宣言します。

 この恭仁京の離宮として造り始めたのが紫香楽宮ですが、聖武天皇は大変この地が気に入り、短期間に紫香楽宮に何度も行幸を

 繰り返します。

  が結局は住まうことがなかったようです。

 歴史の謎とも書いてありました。

 

 あなた

 随分日が長くなりました。取り留めのない、長い手紙になってゴメンネ…