続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ゆっくり生きる。

2013-04-01 06:57:23 | 日常
 月イチの「歩こう会」は明後日。(ああ、歩き通せるだろうか)という不安が過ぎる。

 肩も眼も膝も不調でしょぼしょぼしている。ところで、gooサービスの一年前の記事を読んだら、今日の心境とまったく同じ事が書いてあった。「歩こう会」への不安・・・Ah。


 去年のわたしと今年のわたし、セイムセイム。

《変わりなし》は、異常なしではない。ゆっくり衰退して行くのかもしれない。

 完治、晴れ々二十才の身体とはいかない。願っても未来は坂道を下るだけなのだろうか。そう覚悟すると出来る事は今のうちにという思いが頭をもたげる。
 今日出来ることを明日以降に引き伸ばしてきたわたし、難しいかもしれない。新しい朝が来ても、ぼんやりとしているうちに直ぐ昼になり夜がくる・・・その繰り返し。

 年を取り衰弱していく身体に怯んではならない!生きている限り今日の日に感謝し、今日在ることを享受していこう。
 自然の理に背くことなく背筋を伸ばし前を向いて歩く。当たり前のことを当たり前に生きていく覚悟!

『セロ弾きのゴーシュ』45。

2013-04-01 06:34:01 | 宮沢賢治
「かってだよ。そんなにわかっているなら何もおれの処へ来なくてもいいではないか」
「ところが私はドレミファを正確にやりたいんです」
「ドレミファもくそもあるか」
「ええ、外国に行く前にぜひ一度いるんです」
「外国もくそもあるか」
「先生どうかドレミファを教えてください。わたしはついてうたいますから」

☆詞(言葉)を照(てらしあわせ)較(くらべる)と、我意の告げる考えの全てが溢れている。
 図りごとの我意は、哭(大声で泣き悲しむ)千(たくさん)の逝(人が死ぬこと)の胸(心の中)である。

『城』1229。

2013-04-01 06:24:47 | カフカ覚書
「それくらいのことでは、どうにもなりませんね。わたしの決心は、不動のものです。たとえ彼から拒絶の返事があっても、この決心はあくまでつらぬいてみせるでしょう。

 返事/Antwort→Endewort/虚報。

☆「この死は決定的ではありません」と、Kは言い、わたしの決心は動かぬ(永続的な)抵抗です。この決心で先祖の虚報を拒絶し、企てを実行するのです。