続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

生きて行く。

2013-04-09 06:49:44 | 日常
 保険の更新に訪れたOさん、昔からの馴染みの人である。
 家の敷地は二区画を購入しているので庭も比較的広いし、年金生活に甘んじて悠々自適に過ごせばいいのに、定年後も保険事務のようなことをして働いている。

 帰りには我家の隅にあった空き缶を持ち帰り、「金気のものはありませんか、バッテリーなんかでも・・・」という。
 そういえばここ数年そんなふうに空き缶などを集めている。庭は選別仕分けの金属類で山のようになっているらしい。


 どうして?

 推して思うに、一人息子さんが失業してもう長い・・・。自分たちの生活に不安はなくても、子供の行く末を案じての苦肉の策。
 生きて行くとは、地ベタに這いつくばってもその日の糧を得なければならないということを身を呈して暗示、教えているのではないか。


「ご不要なものはありませんか」車からマイクの声が聞こえる。

 わたしの父もそうだった。帰還後、わたしのお産の費用に商売道具だった医療器具類を売り払い、叔父が勧めてくれた工場勤務も断り、やむなく・・・屑や~お払い、リヤカーを引いて帰ってくる父の姿をよく覚えている。
 
《どうしよう~どうしようもない、でも生きて行かねばならない》
 そんな中で育ったわたしである。

『セロ弾きのゴーシュ』53。

2013-04-09 06:41:52 | 宮沢賢治
「何を生意気な。こんなばかなまねをいつまでしていられるか。もう出て行け。見ろ。夜があけるんじゃないか」ゴーシュは窓を指さしました。

 何はカと読んで、化。
 生意気はショウ・イ・キと読んで、象、移、鬼。
 出てはスイと読んで、推。
 行けはコウと読んで、考。
 夜はヤと読んで、也。
 窓はソウと読んで、双。
 指はシと読んで、志。

☆化(形、性質を変えて別のものになる)の象(すがた)に移し、鬼(死者)を推しはかる考えを兼ねている也。
 双(二つ)の志(目的に向かって行動する)がある。

『城』1237。

2013-04-09 06:06:43 | カフカ覚書
田舎ふうではあるが、百姓たちとはちがった身なりをしている。彼らは、むらがっていた仕切り窓のところからいっせいにテーブルめがけて殺到し、席を確保しようとした。

 田舎ふう/provinzmassig→prozess/訴訟、審理。
 百姓/baurisch→Banner/祈祷師、徴。
 テーブル/Iischen→tosen/激する、荒れ狂う。

☆審理は、束縛された徴ではなく、彼らは集まって蝕(死の入口)をのぞき、興奮しながらその場の様子を伺っていた。