続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

老いの覚悟。

2013-04-14 06:44:32 | 日常
 いろはにほへとちりぬるを わがよたれそつねならむ・・・。
 色は匂えど散りぬるを 我世誰そ常ならむ・・・。


 三十年前に転居して来たころには近隣はみな並べて血気盛ん、子育てや仕事に追われていた。けれど、今・・・何人もの方が亡くなり、つい先だっても十年も施設にいたAさんが亡くなられた。子供たちの多くはこの地を離れ年を重ねた親の世代が残っている現実の欠落感を拭うことは難しい。

 Bさんは癌がリンパに転移しているとの事でほとんど見かけなくなり、Cさんは施設に入所、Dさんも臥したまま、Eさんは二十年も前に脳梗塞で半身不随になったけれど何とか頑張っている。
 Fさんも同じ頃脳梗塞で倒れ、介護にあたっていたご主人の方が急死。今は施設に入所している。昨日近くの施設に移ったと聞いたので早速訪ねてみると、細くなった手を差し出し、わずかに口を動かしたけれど発声に至らなかった。
「わたしね、ずっと働きっぱなしだったから、年を取ったら年金が楽しみなの」そう明るく笑ったFさんに羨望を抱いたわたしだけれど、今は思い出すたびに胸が痛む。


 地域全体が高齢化・・・わたしも万全ではない。「ア、痛っ。痛たた・・・」なんて言っている日常。
 気を確かに持ち、こんな状況だからこそ生活の中に「美」を求め、襟を正し、老いの覚悟が豊かに輝かしいものになるように努めたい。

『セロ弾きのゴーシュ』58。

2013-04-14 06:37:08 | 宮沢賢治
もちろんこんどは前よりひどく硝子につきあたってかっこうは下へ落ちたまましばらく身動きもしませんでした。

 前はゼンと読んで、全。
 硝子はショウ・シと読んで、照、死。
 下はカと読んで、化。
 落ちたはラクと読んで、絡。
 身動きはシン・ドウと読んで、新、道。

☆全て照(あまねく光があたる=平等)な死である。
 化(形、性質を変えて別のものになる)絡(つながり)の新しい道(方法)である。

『城』1242。

2013-04-14 06:19:35 | カフカ覚書
第7章 小学校教師の来訪

 Kは、二階へあがっていくと、小学校の教師に出くわした。さいわい、部屋は見ちがえるほどきれいになっていた。フリーダが一生懸命に掃除をしてくれたのだった。

 教師/Lehrer→Lee/空虚、無意味。
 出くわす/traf・・・戦闘。
 部屋/zimmer→Thema/テーマ。
 一生懸命/fleissig・・・意図。

☆「空虚」

 Kは空しい戦闘に立った、題(テーマ)は、再び巡りくる分別ある探求である。フリーダ(平和)の在り方という意図である。