続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

親の責任。

2013-04-28 06:54:23 | 日常
 Sさんは、娘さんの体調が思わしくないので孫の面倒や家事の手伝いに泊りがけで出かけている。
「ヘルニアなの、まあ、わたしが生んだ娘だからわたしにも責任がある」と話し、ため息をついた。

 親の責任・・・どこまで・・・。

「うちの娘の所にお姑さんが泊りがけで手伝いに来てくれたんだけど、ある日プイと何も言わないで帰ってしまったらしいの。だからね、『あんた、お姑さんにこまごまとお礼の言葉をかけたの』って聞いたら・・・やっぱりかくかく然々。その後、そのお姑さんに会ったとき『まったく今の若い者は気が利かなくて』って話になって、わたしは娘に、あちらのお母さんは息子に、両方の(子供に)お説教したわ」と話していた友人がいる。


 確かに・・・子供たちは家庭を持ち、子育てにも追われる列記とした大人。でも親から見ると(あんなふうで、上手くきちんとした日常を過ごしているのかしら)と不安になることもしばしば。


 連鎖していく系譜・・・些細な行き違いがないとはいえない。落ち度があれば育て方の問題と、親である自分自身を問うこともある。
 そうして、わたしはわたしの親に対してさえも、配慮が足りなかったのではないかと思い巡らせてはため息をつく。


 日常の些細な気の緩み・・・。
 緊張感があってこそ、日々の暮らしに光が差す。忘れがちな毎日、(もういいの・・・否、否)

 わたしに対する他者の不満は見えない、だからこそ・・・。(呑気で気が利かない性格)これでは済まないこともある。

『セロ弾きのゴーシュ』71。

2013-04-28 06:41:54 | 宮沢賢治
「ふう、変な曲だなあ。よし、さあ弾くぞ。おまへは小太鼓を叩くのか。」ゴーシュは狸の子がどうするのかと思ってちらちらそっちを見ながら弾きはじめました。

 変はヘンと読んで、片。
 曲はキョクと読んで、極。
 弾くハダンと読んで、談。
 小太鼓はコ・タイ・コと読んで、ショウ・タイ・コと読んで、照、対、己。
 叩くはコウと読んで、講。
 狸はリと読んで、理。
 子はシと読んで、試。
 思ってはシと読んで、旨。
 見ながらはゲンと読んで、現。
 弾きはじめましたはダンと読んで、談。

☆片(二つの分けたものの一つ)の極みの談(話)は照(照らし合わせる)と、対(二つで一組になるもの)になる。
 己(わたくし)の講(話)は理(物事の筋道)の試みであり、旨(考え)が現われる談(話)である。

『城』1255。

2013-04-28 06:29:07 | カフカ覚書
Kは、こうして顔を洗ったり、ばたばた忙しくしているのは急を要する訪問の予定があるためだ、と侘びをのべた。教師は、それにとりあわないで、

 顔を洗う/Waschen→Wasser/涙。
 教師/Lehrer→Leere/空虚。

☆Kは、涙を流し不穏にしているのは、急を要する意図があるためだと謝罪した。教師(空虚)はそれにとりあわないで、