続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『占い』

2015-05-17 07:38:49 | 美術ノート
 巨大な鼻が鎮座している。後方には肥大化したオリーブの葉らしきもの、そして水平線(海)と沖行く船、天空は怪しい曇天。手前は窓か入口。

 奇怪な絵である。鼻だけが生き物のように立っている。
≪鼻がある≫のでなく≪鼻だけしかない≫
 つまり、目(視覚)耳(聴覚)口(言葉)、判断すべき頭脳、そして肉体のすべてが失われている。すべてを剥奪された残骸である≪鼻≫なのである。

 人間としての重要な機能が失われている。鼻(嗅覚・呼吸)は何をイメージしているのだろう。何を占うというのだろう。

 予言・・・オリーブの葉をくわえて持ち帰った鳩、それは水が引いた証であると同時に生命保持の確信である。そのオリーブの葉を背後に立つ≪鼻≫は何を主張しているのだろう。
 手前の建物は、煉瓦にコンクリート、現代風の設えであれば、現代からの眺めということになる。対峙する鼻の存在は滑稽である。あらゆる機能をそぎ落とされた鼻は雄々しいまでに地上に立っている。(わたしを見よ!)と暗黙のうちに命じているかのようである。

 実に滑稽だとしか言いようがないが、あらゆる機能を剥奪されているのは鑑賞者のほうかもしれない。よく見るのだ、凝視の果てに見えてくるものの愚かしさは実に滑稽である。


 マグリットは、占った未来である今日の風景、観念/洗脳されたイメージの空漠を描いたのだと思う。なぜ≪鼻だけなのか≫を根源的に問い直すことで作品の真意が垣間見えてくる、そういう作意を感じる。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

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