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『傑作あるいは地平線の神秘』
三人の男の頭上に三日月が見える。男三人は酷似しており、一人の男の分解が、各異なる方を向いている。
時刻は不明である、なぜなら三日月が目に見えるようになる時刻は西に沈みかけた夕刻に限っているからで、南中する三日月などは見ることはない。にもかかわらず南中した三日月を頭上に描いている。
これは明らかに受け入れがたい光景に他ならない。
①三人に分解された男と三つの三日月が並ぶ光景。
②地平線とは大地と空との境界線を言うが、この絵ではそれを街(建物)が遮蔽している。
③何よりも南中する三日月を見ることは不可能である。
しかし、この矛盾だらけの幻惑の中に、真実が隠されている。
月は一か月をかけて地球を一周するから月齢という月の形が発生する。
太陽と月と地球は交錯しつつ関係を保ち続けている、大いなる不動の関係である。
☆三日月は南中するけれど、地上からは見えないだけである。在るけれど見えないものである。
左端の男が、仮に西を向いているとするなら、真ん中の男は南東、右端の男は北を向いていることになる。その頭上に三日月があるはずもないが、東西南北という太陽における基準を外せばその意味は霧消する。
太陽の昇降が無ければ、三日月の南中は存在する。(しかし太陽の存在が無ければ、三日月もあり得ない)
月と地上の人の関係は成立するという仮説(逆説)であるが、太陽系における地球と月に観点を移せば成立不可能な小さな推論に過ぎない。
論理の隙間、マグリットのつぶやきは小さいが大きな宙を浮遊する愉しさがある。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
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