続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

辻晉堂展。

2011-01-30 06:41:41 | 美術ノート
 ・・・人間の原点、原初とは何だったか、存在の意味。
 存在、有ることは無いことと対峙している。

 人間は九つの大きな穴と小さな穴が億万とある物体にすぎない。
 内在するものは常に外に押しやられ、外在するものを吸収していくという生命の基本。
 
 作品に見られる「穴」こそ見るものであり、見られるものである。その虚空が存在を支えている根拠ではないか。
 虚空(外界のエネルギー)の沈黙。

 しかし、人は教育という情報を詰め込まれた結果、見えるものの優位を確信していく。
 辻晉堂の闘いはいわば巧みな技量の消去、超越に向かう。
 人の本来の形、縷々連鎖されて来た人の歴史を鑑みて、表現の発露を凝視。
「自分とは何であったか」
 自分とは、連鎖の中の一偶然に過ぎないのではないだろうか。偶然であるならば、自分の手によらない物のドッキングはごく自然の成り行きである。
 他者(別のもの)との共存は、作家の意志ある必然的な行為の表れであったに違いない。

 存在における偶然と必然・・・有ることは無いことであり、虚空こそは雄弁である。
 存在とは無に帰するもの・・・。
 作品は「わたくし」を消し、あたかも昔からそこにあったのではないかと思われる風化の時間さえ感じられるものになっていく。

 作品は、意味の肯定から否定へと移行し、世界を内包する大いなる肯定へと挑む形で進行して行ったように見える。
 人に内在する時空は触診不能である。

 しかし、それを具現化することに賭けた苦悩と情熱・・・究極、沈黙の激闘・・・否、祈りだったかもしれない。

   神奈川県立近代美術館(鎌倉)にて。

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