比較的分かりやすい、そのものという作品。(に見える)
林檎(果実)に被せられた、信仰における固定的・一般的な見解。善悪を知る木であり命の木とされる木の実である。
人間の宿命、誕生したからには死を免れないものであり、不可逆をたどるという直線的な時空を生きねばならない。
マグリットは考える。
「存在とは何か」と。神が与え給うものとして信心深く敬虔に生きることの意義。予め用意された思慮・表象を正義として生きることが、果たして現実的と言えるのだろうか。
観念とは、定型化された同質の頭(知覚)なのではないだろうか。社会に属しその一員たる着衣の上にある頭(想念)の中身を鑑みる。
恐ろしいまでに画一化された固定観念という束縛、あるいは感化を懐疑する。(滑稽ではないだろうかと)
観念という常識は、ある種抽象的であって、具体性を持たない。頭の中に教育された不可思議な連鎖を強要するシステム。
反逆の術はない、しかし、物の有り様は告発する。
頭部の代りに描かれた果実(林檎)を凝視すると、そこはかとない空虚が漂ってくる。描かれた人間らしきものが、見る者を冷静に観察してる。
この作品を見る者は、明らかに問われているのではないか。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)
林檎(果実)に被せられた、信仰における固定的・一般的な見解。善悪を知る木であり命の木とされる木の実である。
人間の宿命、誕生したからには死を免れないものであり、不可逆をたどるという直線的な時空を生きねばならない。
マグリットは考える。
「存在とは何か」と。神が与え給うものとして信心深く敬虔に生きることの意義。予め用意された思慮・表象を正義として生きることが、果たして現実的と言えるのだろうか。
観念とは、定型化された同質の頭(知覚)なのではないだろうか。社会に属しその一員たる着衣の上にある頭(想念)の中身を鑑みる。
恐ろしいまでに画一化された固定観念という束縛、あるいは感化を懐疑する。(滑稽ではないだろうかと)
観念という常識は、ある種抽象的であって、具体性を持たない。頭の中に教育された不可思議な連鎖を強要するシステム。
反逆の術はない、しかし、物の有り様は告発する。
頭部の代りに描かれた果実(林檎)を凝視すると、そこはかとない空虚が漂ってくる。描かれた人間らしきものが、見る者を冷静に観察してる。
この作品を見る者は、明らかに問われているのではないか。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます