ペーパー・写・楽

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真如堂さんの青もみじと殺生石鎌倉地蔵さん

2021-05-02 08:05:15 | 自転車でうろちょろ

 人の少ないところを散策しようと、真如堂さんに自転車で行った。


誰もお参りしておりません。
青もみじが艶やかに見える。


三重塔も青もみじに囲まれている。


手水舎には花と青もみじが添えられている。


誰もいなくて静まり返っている。


殺生石鎌倉地蔵さんにお参り。


看板には以下のように書いてあった。

殺生石 鎌倉地蔵尊縁起
今から千三百年前、中国に白面金毛九尾(金色の毛に覆われ九つ尾をもつ)の狐がいて、美女に変身して皇帝をとりこにし、国を傾けさせました。

しかし、やがて正体を見破られ、逃げて日本に逃れました。
狐は、日本でも「玉藻前」という美女に変身して、鳥羽上皇の寵愛を得ましたが、陰陽師安倍泰親(安倍晴明の子孫)に見破られ、東の空に飛び去って下野国(今の栃木県)那須野原に逃れました。

その後、狐の仕業と思われる出来事を幾度も耳にした上皇は、上総介に妖怪退治を命じました。
二人は神前で百日行を行って狐退治のお告げを受け、上総介の弓の矢は見事にこれを射抜き、三浦介がとどめを刺して首尾よく妖狐を退治しました。

そのとき、この悪狐の魂は石と化しましたが、なおも悪霊となって近寄る生き物を殺すので、「殺生石」と呼ばれて恐れられていました。
これを知った女翁禅師(室町時代の僧)は、殺生石を柱杖で叩いて割り、悪霊を成仏させました。禅師は三つに割れた石片の一つで地蔵菩薩を刻み、鎌倉に小さなお堂を建ててまつりました。

江戸時代当初、この像を篤く信仰していた甲良豊後守の夢の中にこの地蔵尊が現れ、自分を衆生済度の霊場の真如堂に移しなさいと告げます。
豊後守はそれに従って地蔵尊を真如堂に遷座しました。
「鎌倉地蔵」の名は、この尊像が当初鎌倉に安置されていたことに由来します。

鎌倉地蔵は、家内安全、福寿、延命などのご利益の他、無実の罪を晴らしたり、心の病が治るなどのご利益が、信仰の深さに応じてあるといわれています。

・・・・神妙に拝ませていただきました。


緑の中を歩き、深く息を吸い込みました。


千体地蔵尊さん


初めて拝ましていただきました。
中を拝見してびっくりです。
大きなお地蔵立像さんの周りに小さなお地蔵さんがびっしりとおられます。


紅葉の時期、あじさいの時期に何度も訪れていたのに、鎌倉地蔵さんや千体地蔵さんを初めて知りました。

コメント (2)
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