
森ノ宮医療学園 が出版している季刊誌『鍼灸OSAKA』から先月取材がありました。
私は 明治鍼灸専門学校 卒業なので、「ほんとにいいのかな?」と思いながら、尊敬する森 秀太郎先生が創立した鍼灸学校でもあるので、取材をしてもらうことにした。
取材の内容を聞いてみますと、「 虹彩学 や 巨針療法 、及び その他 の診断や治療方法で、当院のカラーが出ているものがいい」とのことでしたので、とりあえず打ち合わせに来て頂いた。
しかし、理論にしろ実技にしろ、実践塾で行なったような当院のオリジナルな内容を話しても、多分理解できないと思ったので、内容の基本を、古典をはじめとした一般的な鍼灸の話にしようと考えていた。
しかし、虹彩やスクレオロジー、巨針、TST、査穴、どれを取っても一般的内容にはならないし、ややもすると在らぬ方向へ行ってしまう可能性がある。
さてどうしよう。
短い紙面で、理論や手法の違う治療法を上手く説明できるかどうか、いささか不安であった。
それに、雑誌やテレビに顔を出すのも好きではない。
(テレビにも二度出たが、テレビは顔が映るのでそれ以後は断っている)
しかし、巨針療法を勉強している方々のためにも、巨針療法を学ばずして非難する人や、巨針療法は誰にでもできると誤解している人のためにも、少し発言したいことがあったので、取材を受けることにした。
内容は、『鍼灸OSAKA』 を読んで頂くといいのですが、被験者になる人も一緒に同行してくれたので、理論と実技の関係等を解説しながら、要所要所を織り交ぜて簡略化した診断から治療までを取材内容にしてもらった。
内心「わかるかなー、わからんだろうなー」と思いながら、できるだけわかりやすいように、できるだけ一般的な鍼灸理論に近づけながら話を進めていった。
それから何日かして、取材に来た知性的な廣長さんからゲラが届いた。
さすが慣れている。
なかなか上手くまとめてあった。
少し訂正してもらいましたが、虹彩やスクレオロジーの記事には、画像を多く取り入れて紙面が割かれていた。
巨針に関しても、見開きで紙面を割いてくれた。
しかし、巨針の威力と特殊性は、実際に巨針療法の恩恵に与った人でないと、理解は難しいと思う。
こと、鍼灸師の中には、自分の不足を隠すために巨針を非難したり、「巨針は長針の延長だろう」と考えていたり、保身のために「自分の流派意外は邪道」のように嘲笑したり、単に、少し太くて少し長い鍼を1~2度使ったからといって、「巨針はうんぬん」と言う人もいるのですから、理解が難しいどころか、理解への期待すら難しい。
しかし、考えてみればそうかもしれない。
巨針療法は、修行に3年ぐらいの年月がかかるし、センスがないために巨針が上手く使えず、修行の途中で挫折する人もいる。
挫折だけならいいが、自分の未熟を曝け出して非難に廻る人もいる。
哀れに思う。
『鍼灸OSAKA』に掲載された、「虹彩」も「スクレオロジー」も「巨針」も「七星論」も、「不経一事、不長一智」と考えるか、「どんなことをしてもマスターしてみせる」と考えるかですが、いずれにしても一朝一夕でできるものではない。
そして、治療センスのない人には絶対にできない「技」である。
論語で、「徳孤ならず、かならず鄰あり」と言うが、一般的な鍼灸で治療できない患者さんを、適確な診断で、適確な治療ができるまでには、相当な月日が流れることを知る人にしか、これらの診断法や治療法を学ぶことはできない。
森秀太郎先生は、治療の難しい患者さんなら、鍼灸以外の治療法も取り入れられていた。
それが治療者としての、
されが指導者としての「志」であるべきではなかろうか。