スピーゲル通り風景アムステルダム
江嵜企画代表・Ken
オランダでの宿泊は、アムステルダム中央駅から徒歩15分足らずのところにあるモ―ベンピックホテル アムステルダム シティセンターである。部屋の窓から往来する列車が身近に見えた。
一息入れる間もなくフロントに集合、あわただしく最寄りのレストランで昼食を済せたあと、オランダでの最初の訪問先である、フエルメール代表作「牛乳を注ぐ女」で有名なRijksmuseum美術館を訪問した。レンブランド代表作「夜警」を生で見ることも出来幸いだった。ただ、ガイドさんの説明では、現在改装中で、落ち着いた雰囲気を味えなかったのは残念だった。余りケチをつけたくないが、絵に造詣が深いおひとりが、本物かどうか疑わしい絵が結構あったと話していた。
美術館から徒歩10数分のところにある、高級骨董品店が並ぶニュースビケール通りを訪れた。いつまた来られるかわからない。ツアー一行とお店回りせず、手前にあるスピ―ゲル通りを左手に、運河をまたぐ橋の上から目にした景色に絵心をいたく刺激されて、美術館を正面にスケッチした。
小ボートに乗った観光客が歓声をあげながら通りすぎていった。3人乗り、5人乗りなどあり、お好みでボートを選べるようだ。恋人どうしなのか2人連れが、ボートから飛び出さんばかりに走り抜けていった。
通りに沿って店が並んでいる。店の前に歩道がある。しかし、自転車が、そこのけ、そこのけと、結構なスピードで次々と、通り過ぎていく。聞けば、自転車優先というから歩道というより自転車道である。
今回のツアーでは話でなかでなか出なかったが、昨年1月、ベルギー訪問の際、飛行機が遅れて夜遅くスキポール空港に着いた。空からの眺めが暗い。なぜかと旅の仲間に聞いたら、オランダは電力を全量輸入しているからだと教えてくれた。
ガイドさんの説明によれば、オランダは北海の水位より4.5メール低い。砂丘が堤防の代わりをした。そもそもアムステルダムとは、アムステル(河)のダム(堤防)に囲まれた土地のことである。国土の半分は農場である。オランダ人は、ケチだと外国人に思われているがオランダ人は、狭い土地をやりくりして生きているからかもしれない。
スキポール空港ついでにいえば、ガイドさんの話では、スキポールとはオランダ語で「船の穴」という意味で、157年前は、ハ―レルという名の湖だった。ガイドさんの甥子さんにオランダ人がいる。その彼から聞いた話だとして、スキポールには「船地獄」というあだ名がついている。当時、船がよく沈んだ。廃船の捨て場所だったからだという話は面白かった。
もう一つ、面白い話と言うか、どちらかと言えば意外だったのは、オランダ人は極端にきれい好きだという話である。「オランダ人は、テーブルの足の裏まで拭いてしまう。」というジョークがあるのだそうだ。家庭でのお父さんの仕事は窓拭きである。休みの日ともなると大きなバケツを持ち出して窓拭きをしている男性の姿をしばしば目にするとガイドさんが話していた。
オランダは、一つの町だけを大きくしないよう国が配慮している。アムステルダム75万、ロッテルダム58万,ベンハ―47万、ストラスバーグ27万を見ればわかるとそれぞれの市の人口を紹介してくれた。
大きくするとどうしても無駄が出るというのである。なんでも大きくすればいいと思い込んでいる、どこかの国の一部の行政の人に、是非、オランダ人の考え方を参考にして欲しいと思った。話はつきない。(了)
ノートルダム旧教会風景
江嵜企画代表・Ken