ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

宝塚雪組公演風景(スケッチ&コメント)

2011-07-04 22:48:58 | スケッチ


宝塚雪組公演風景

江嵜企画代表・Ken




梅田芸術劇場で、宝塚の雪組公演「ハウ・ツー・サクシ―ド」というタイトルの
ミュージカルをやっている。リピーターチケットで頼めば、3000円の席で
良ければ、一枚1000円の特割で買える。行きますか、と宝塚ファンのIさんが
前日晩、突然電話して来た。

切符の受け渡しはどうするのか、と確かめたら、これこれ、と会場の受付で言えば
済むから大丈夫だということで家族と出かけた。ところが話はそう簡単に済まない。
こうこうしかじか、と話したが、事務所に件の話は届いていないとなった。

女の子ではラチがあかない。日本のいいところもあれば悪いところもある。
えらいさんにご足労願って、「業務」扱いで、友達が予約したという座席に晴れて
座れた。ミュージカルそのものは、タイトル通りで、会社の玄関でたまたま社長に
会った主人公の出世物語である。

二幕もので、副社長まで上り詰める。副社長就任パ―テイ―が開かれたとき
社長が「お前は社長は狙わなかったからな」とにやりと笑った言葉が一番印象に
残った。社長というカテゴリーに属する「種」は自分を襲う輩かそうで
ないか独特のきゅう覚で見抜くところがある。襲うなと思うと見事に外していく。

Iさんによれば、20年前のミュージカルだそうで、今もブロードウエ―で
上演中で人気を博していると解説してくれた。

3階は3,000円の席である。少し空席があったが、あとはほぼ満員だった。
日曜日というせいもあって、子供連れの姿を結構見かけた。子供の時から
宝塚を見られるのは幸せな家族であろう。

いずれにしろ関西に住んでいる人間は、子供に限らない。映画、演劇、京都、
奈良など神社仏閣よりどりみどりである。ひとこと付け加えれば甲子園球場も
ある。有難すぎてその有難さが分からないひとが結構おられる。もったいない、
ああ、もったいない、といつも思っている。

帰り途、梅田三番街を散策した。モロゾフで、一息いれて帰宅の途についた。
梅田界隈はごった返していた。

甘いかもしれないが、16年前、神戸での大震災で手ひどい目に遭ったからまだ
多少は許していただけると思うが、東日本大震災で今もって、先々の生活のめど
すら立たない日々を送っておられる多くの方々の話を聞くと、胸が痛む。(了)

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年寄りは、出来るだけ多くの機会を作り、恥ずかしがらないで、話したり書き残しておいて欲しい

2011-07-04 05:21:25 | 経済学
(学校で教えてくれない経済学)



南禅寺僧坊にある金地院(こんちいん)(電話:075-771-3511)を昨日、知人二人と訪ねた。金地院に以心崇伝(いしんそうでん)が寛永五年(1628)に建てた東照宮がある。正面向かって左に徳川家康、右に豊臣秀吉像が安置してある。創建当初は諸堂完備し日光東照宮に比すべきものであったと寺が用意した案内チラシに書いてあった。

金地院には慶長十六年、崇伝が伏見桃山城の一部を三代将軍、徳川家光より賜って、移設した方丈がある。方丈を背にして、寛永七年に小堀遠州作の枯山水の「鶴亀の庭園」という壮大な庭園がある。天正拾年明智光秀が母の菩提のため、黄金千枚を寄進して大徳寺に建立し明治初年、金地院に移設した明智門がある。拝観券の裏に、崇伝は黒衣の宰相とも言われ、宗教界の人事、行政を左右、家康の死後境内に東照宮を建立、南禅寺造営につとめたとあった。家康、秀吉、家光、光秀とくれば正に大河ドラマではないかと話した次第である。

京都を訪れる観光客の多くが南禅寺は訪れる。特に山門を通しての緑が見事である。紅葉の頃もいいが緑一杯の真夏も涼感に溢れている。ことのほか夏の京都は暑い。しかし、大勢の人が南禅寺を参詣していた。ところが、一般の日本人は、なぜか金地院は素通りしていく。なんと外人さんが3人の子供連れで奥さんと金地院を訪れていた。筆者も恥ずかしながら金地院なる寺があることさえ知らなかったことを白状する。

一番驚いたのは家康と秀吉の像にお二人並んでお出迎えいただいたことである。崇伝は家康に帰依したが秀吉にも浅からぬ縁があった。ところが、知人の話ではバスツアーのコースには、金地院は、昔から入っていないそうだ。「家康と秀吉が二人並んで皆さんをお出迎え、是非、金地院を参詣を!!」となぜPRしないのであろうか。KONCHI-INやISHIN SUDEN、はてまたEnshiuKoboriと言えば、外人さんの方が詳しいと、物知り博士の知人のSさんが解説してくれた。

方丈の縁側に腰をおろし、小堀遠州作の枯山水を見ながら、知人に徒然草第五十二段の「仁和寺の法師」にある「先達者はあらまほしきかな」のくだりを思い出したと話をした。

その話はあらかた次のとおりである。「仁和寺にいる僧が、年をとるまでに石清水八幡宮に参拝しないでいた。あるとき思い立ってただひとりで出かけた。極楽寺や高良社などを拝んで、石清水はこれぐらいと思いこんで帰ってしまった。帰って仲間に「長年の間、思っていたことを成し遂げた。ところが参詣に来ている人が誰も彼も、山へ登ったのは、山の上には何があったのでしょうと思ったが、山まで見ませんと言って別れた。お目当ての石清水八幡宮を見落とした。「ちょっとしたことにも指導者はあってほしい。」で終る話である。

高等学校時代、国語の副読本で徒然草を学んだ。最近では「徒然草」を「つれずれぐさ」と読めない学生もいるらしい。年寄りの仲間には、徒然草を座右に置き、時々目を通しているひとも結構おられると聞く。

徒然草には、「仁和寺の法師」以外で、「先達」ということばが、横笛の話として「先達、後世を恐る」という言葉で終わる徒然草二百九十段がある。ここでは、先達(その道において他より先に達したもの)が、後から生まれたものの進歩を恐れ(敬服す)る、話が出て来る。先に達する者すべからく優れているわけではないと徒然草の作者、吉田兼好は伝えたかったのかもしれない。

世の中には、年をとれば何もする事がない、と言う方もおられる。しかし、先日も書いたが、年寄りは、努めて若者と接する機会を作り、恥ずかしがらないで、語り、かつ、書き残しておいて欲しいと思う次第である。(了)

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