ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

メスター、クリーブランド連銀総裁が「利上げを緩める証拠は何ひとつない。」と語る。7日発表の9月米雇用統計待ちでNY株躓く。一方、タイの保育園での襲撃事件で少なくとも38人死亡

2022-10-07 12:54:56 | 経済学
(学校で教えてくれない経済学)


「好調なスタートを切ったNY市場は、米債券利回り再上昇を受けて躓いた。メスター、クリーブランド連銀総裁は6日、「米FRBが利上げペースを緩める証拠は何もない。」と語った。市場は7日発表の9月米雇用統計待ちで株を売った。②英債券市場が再び動揺している。③タイの保育所で6日、少なくとも36人が死亡した。」と6日、WSJ紙電子版が伝えた。6日、FT(フィナンシアルタイムズ)電子版は「ホワイトハウスはOPECプラスの原油減産に備蓄原油放出増加で原油供給を維持すると発表した。」と伝えた。6日のブルームバーグ電子版は野原義明記者のレポートで「日本の8月の現金保有高は前年同月比1.7%増加したがインフレ率1.7%で帳消しとなった。黒田日銀総裁が退任する来年4月まで現行のゼロ金利政策継続見込みから日米金利差拡大による円安が止まらない。それに伴い輸入インフレにより日本の賃金が上がらなければ日本の個人消費はさらに落ち込む。」と書いた。

6日、NY市場でダウは29,926ドル、346ドル、1.15%安、S&P500は3,744と38ポイント、1.02%安、ナスダックは11,073と75ポイント、0.68%安で取引を終えた。恐怖指数VIXは30.52と6.90%上昇した。米10年債利回りは3.819%と1.61%上昇した。NY外為市場では1ドル=145.12円、0.38%高、1ユーロ=142.09円、0.53%安、1英ポンド=161.98円 1.06%安で取引きされた。エネルギー供給不足懸念によるユーロ圏景気減速がユーロ安、英金融市場の再度の動揺が英ポンド安の背景。NY原油(WTI)はバレル88.89ドル、1.32%高、北海ブレント、同94.84ドル、1.57%高と小幅続伸した。NY金はオンス1,721.40ドル、0.03%高とほぼ横ばい、ビットコインは2万47ドル、0.57%安で取引された。

7日朝放送のNHK/BS「ワールドニュース」で英BBCは「①トラス英首相は英国のエネルギー危機は北海油田とノルウエー産原油輸入があり今年の冬は乗り切れると確信しているとBBCのインタビューに答えた。②タイ北部の保育園で元警察官で園児の親が園に押し入り、刃物と銃で園児含め少なくとも38人が死亡した。容疑者は犯行の後自宅で妻と子供を殺害し自殺した。③ウクライナ南部のサポリージャでロシア軍による集合住宅へミサイルが着弾子供2人死亡、瓦礫の下に数人がとじこめられている。一方、ウクライナ軍による反転攻勢は継続している。④スコットランド、グラスゴーで大家が家賃を1,100ポンドへ一気に300ポンド引き上げを認めなければ来年3月までに出て行けと通告した。家主もエネルギー費用急騰諸経費上昇で家賃値上げなしに生き残れない時が来たと話した。」と伝えた。

ドイツZDFは「6日、チェコのプラハでロシア侵攻を念頭に、欧州政治共同体44国が集まった。EU27国とバルカン諸国、現在紛争中のアルメニア、アゼルバイジャンやセルビアも一堂に会した。ショルツ独首相は「44国の団結によりはじめて諸々の課題を解決できる。」と述べた。マクロン仏大統領は「近世で歴史的意味ある会合だ。未来が開けた。」と述べた。」と伝えた。いつものことながら日本はどう行動するかである。氾濫する情報の狭間で日本人一人一人が自分の問題として捉え物事に対峙することが求められている時代はない。(了)

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美術作家、松谷武判先生、大いに語るat西宮文化協会9月行事(スケッチ&コメント)

2022-10-07 09:43:10 | スケッチ


美術作家、松谷武判先生

画・江嵜 健一郎



「美術作家、松谷武判さんのあゆみ」と題する話を聞く会が西宮文化協会9月行事として9月27日(火)午後1時半から西宮神社会館で開かれ楽しみに出かけた。いつものように会場の様子をスケッチした。

同協会の吉井良昭会長が「松谷武判先生に多忙な時間を割いてお越しいただきました。本日は貴重な話を聞けると思います。楽しみにしております。聞き手は当会理事の森田正樹氏です。」と冒頭挨拶された。

あと森田正樹さんから「松谷さんは、ビニ-ル接着材による造形と鉛筆の黒で塗りつぶした作品で著名な方です。1937年(昭和12)大阪阿倍野生まれ。29歳の時にフランス政府給費留学生選抜第1回毎日美術コンクールでグランプリ受賞、パリへ。以降、現在までパリと日本に拠点を置き活動されています。」と紹介した。

松谷さんは「失礼してマスクをはずして話します。」と一言のあと「いままで体験したことをそのままお話しします。1937年(昭和12)大阪で生まれた。14歳の時、肺浸潤を患い、以後8年間入退院を繰り返した。15歳の時「来てください」と勧められて西宮市に移りました。阪神間、西宮というところは文化的環境に恵まれていました。独得の価値観があったと思います。文化というものは人間が持つ重要な価値観です。見ても分らんと言う人もいると思いますが。」と話しをはじめた。

「17歳時複雑に折り重なった岩山の絵を描いた一枚の絵ハガキに出会い、大阪市立工芸高校日本画科に入学した。病気のため2年後に自主退学しました。」と話を続けた。ここで松谷さんは「私の顔です。苦しんでいる私の心象を描いた絵です。」と絵を画面に映した。

会場正面のプロジエクターに松谷さんの主な作品を映しては、森田さんが松谷さんに質問する対談の形で進行した。20歳の時に第8回西宮市展日本画部に初入選、審査員の荒尾昌朔氏に師事。22歳の時に西宮市民美術教室で元永定正氏に出会う。23歳の時に第9回具体美術展に初出品する。その時々の作品が画面で紹介された。

「ある日、細胞の結晶を研究している人に出会った。顕微鏡をのぞいていろんな細胞の姿をスケッチした。上下ひっくり返して出来たのがこの絵です。」と画面に映した。「それまで日本画をやっていた。様式化することに抵抗があった。絵も音楽も根本は美です。作った人の価値観で決まる。絵も売れない。その時、人のまねはするな。新しいこと、誰もせんことをやりたい。1966年8月、29歳の時です。フランス政府給費学生選抜展があった。グランプリを受賞した。ヨーロッパでやりたい。11月の終わりにパリに行った。西も東も分らなかった。」と松谷さんは話を続けた。

森田さんが「85歳の今まで松谷さんは美を求めておられます。松谷さんを支えているのは何ですか?」と尋ねた。「健康でしょうね。体が悪いと形にするときに肉体が疲労する。絵が好きだから今までやってこれた。」と答えた。森田さんが「失敗は?」と聞いた。松谷さんは「ありません」と答えた。特に印象に残った。

森田さんが「奥様も作家ですね。」と水を向けた。松谷さんは「住み分けです。お互い影響を与えたりはあります。日本人とアメリカ人と考えが違う。かえって面白い。」と答えた。「子供たちに何かありますか。」と聞いた。「あまり自由でも困りますが、やれるようにやるしかないですかなー。」と一息おいて「嫌なことをやらすことはダメですね。」と答えた。聞いていて、人間、なにごとも、好きなことをやることが一番だなと、改めて思った。

松谷さんは、31歳の時,「第1回パリ国際版画ビエンナーレ」パリ市立近代美術館はじめ65歳の時に「波動・松谷武判展」西宮市大谷美術館、70歳の時に「松谷武判 回顧展、アンドレ・マルロー文化センター、78歳の時「CURRENTS松谷武判の流れ」西宮市大谷美術館など様々な個展,グル-プ展を開催しておられる。

貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局の皆様にひたすら感謝である。(了)

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