東関部屋朝稽古風景in Osaka
江嵜企画代表・Ken
「相撲部屋の舞台裏を訪ねる」という企画が、読売新聞ワイズ倶楽部から案内
された。稽古場を一度見たいと前前から思っていた。善は急げと事務局に申し
込んだ。ところが応募者多数で見事はずれ。ところが、3月8日開催で再募集で
参加することが出来、楽しみにして朝一番で東関部屋稽古場がある大阪市内平野
にある大念仏寺境内へ出かけた。
自宅最寄駅JR住吉を朝7時26分の快速に乗り、大阪環状線経由、JR関西線
平野駅に8時21分に着いた。駅から徒歩5~6分で現場に着いた。朝稽古は
既に始まっていた。激しいぶつかり稽古の真っ最中だった。数年前、知人の
世話で大鵬部屋の桟敷砂被りの券を分けてもらったとときの肉弾相打つ姿そのままの
光景が目の前に展開していた。スリ足の練習をする力士、柱に向けて俗に言う
「鉄砲」の訓練をやる力士、石のボールを両手で支えながら土俵をはう力士などの
姿が見えた。
東関部屋頭はお馴染みの高見盛関である。高見盛の出番が来たのは小1時間
たってからだった。次に驚いたのは、まさかと思ったが、土俵の袖に、元大関
魁皇関の姿が見えるではないか。東関部屋と親戚関係の部屋でしかも
稽古場が近いということで、稽古指導に顔を見せたということを後で
東関親方から聞くことが出来た。
朝稽古は10時20分過ぎに終わった。11時から場所を移し、ちゃんこ鍋を
食べた。食べ終わった後、稽古場に戻り、12時から親方、おかみさん、最後に
高見盛関の順で約30分の質疑応答があった。
親方への第一問は鋭かった。「稽古場の雰囲気が大人しすぎる。甘やかしている
のではないか」と質した。親方の答えは、「自分達の時と比べて時代が違う。
厳しくしてそのまま身につく子もいるがそうでない子供もいる。悩むところ大。」
と話していた。東関親方は今春場所から審判員に大抜擢された。将来相撲協会の
指導者として嘱望されているからだろう。
次におかみさんへの質問は、「元気があり余っている子供をどのように育てて
いるのか。苦労話を聞きたい。」とご婦人から質問が出た。おかみさんは、「家族同然に
扱いながら、相撲に集中出来るような環境作りに工夫している。」と答えていた。
さらに「上にいける力士は少ない。相撲を止めても現実の社会とかけ離れた人間にし
ないよう気配りしている」と答えていた。
最後に高見盛に対する第一問は、「独特の土俵上のスタイルの動機を聞きたい」と
年配の男性から出た。
「あれは12年前からです。膝じん帯裂断で幕下まで転落した。けがを治し、再び
土俵に上がるたびに怖かった。自分の顔をぶん殴ってから勝てるようになった。
パフ―マンスでやっと取るんだと言われてるが、頭に来る時がある。怖いから
やっている。闘争心を振り立たせるためにやっている。人に見せるために
やっているのではない。自分の取る相撲だけを見て欲しい。」と高見盛関が答えたとき
見学席から大きな拍手が起こった。
「関取は殊勲賞1回、技能賞2回、敢闘賞1回取っている。幕内から落ちた。
これからどんな相撲を取るつもりか」と別の男性が追いかけて聞いた。
「地位は関係ない。自分が今いる位置で全力で相撲を取るだけだ。どこだって
おんなじだ。真剣勝負している。力がおちていることは自分で分かっている。
そこん所をよろしくおねがいしたい。」と答えた。高見盛関はさらに「年齢も
いっている。正直体がしんどい。しかし、全力でやりたい。それだけです。」と
話し終えた時、また大きな拍手が起こった。
相手を変えてぶつかり稽古をする。5番とって1,2番、格下力士に押し出される
場面があった。稽古場と本場所は違うから一概に言えないが、格下の力士を
圧倒的な力で倒す場面は見られなかった。しかし、勝負の世界は手負いの
高見盛を容赦しないだろう。人気力士、高見盛関の11日から大阪難波で始まる
春場所での活躍をひたすらを祈りたい。(了)