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「傀儡芸の本質―筑紫舞についてー」:鈴鹿千代乃先生大いに語る(スケッチ&コメント)

2021-07-19 20:47:52 | スケッチ



西宮文化協会「七月行事」として7月16日(金)午後1時30分から「傀儡芸の本質―筑紫舞について―」と題して神戸女子大学名誉教授、鈴鹿千代乃氏の講演が西宮神社会館であり楽しみにして出かけた。型どうりコロナ対策としてマスクの確認、検温のあと社会的距離を十分とられた会場も50人近い参加者で大盛会だった。講演の最後に行われた筑紫舞の様子を描きこんでスケッチを仕上げた。

今年4月に西宮文化協会新会長に就任された西宮神社宮司の吉井良明さんから「本日の講演は当初、今年2月行事だったがコロナ感染拡大で延期された。本日は今年最初の行事となります。」と挨拶のあと「講師の鈴鹿千代乃先生は、昭和20年生まれ、現在、神戸女子大名誉教授。30年前、鈴鹿先生の筑紫舞の会との奇跡のご縁をいただいた。そして本日の講演会があります。」と副会長さんが紹介した。

鈴鹿先生は「傀儡は音読みするとカイライですが「くぐつ」と読みます。くぐつ(久々津)の文字は「万葉集巻第三「潮干の三津の海女のくぐつ持ち玉藻刈るらむいざ行きてみむ」にはじめて見られる。心斎橋にある三津寺あたりまで昔海だった。くぐで編んだ籠を頭に裾を絡げた海女を見に、さあ、みんなで行ってみよう。芸能者としてでもある艶めかしく振舞う海女の姿を歌った」と話しをはじめた。

平安時代に書かれたの大江匡房「傀儡子記」によれば「定まれる居なく、守る家なし。」にはじまる。「男は皆弓矢をわきまえ、狩猟をもて事となす。女は娼歌淫楽して、もて妖媚を求む。父母夫聟は誡口せず。一宵の佳会を嫌わず」」と紹介した。

自分の倫理観と違いますが「傀儡子は常に楽しんだ。ここのところが重要です。つまり労働しない。税金を納めない。一生を楽しみとして過ごす。律令国家は田んぼに縛られていた。戸籍に課税された。彼らは定住しない。街道とか河口とか中州とか村のはずれ、農耕地以外のところに住むから課税が許された」と話しを進めた。

大江匡房「遊女記」には「妻妾(めおうなめ)となりて身を没するまで寵せらる。賢人君子といへどもこの行を免れず。南は住吉、西は広田、これもてお座敷かかる。百大夫(遊女や傀儡子の守り神)は、道祖神(悪霊疫病を防ぐとともに男女ことを司る神)であった。」と記述された。

鈴鹿先生は「大和物語」から一段を紹介した。これは万葉集巻九にある『莵原乙女の墓を見る歌』と同じ話である。二人の男がひとりの乙女を求めたが乙女は生田川に身を投じた。どんな男にもなびく女とどんな男も受け要れない二つの面があった。なびかない流れでは小野小町、一方、奔放に受け要れたのは和泉式部ではなかったかというくだりが印象に残った。

一時間半の話を一文に正直書ききれない。「傀儡子は全ての穢れを受け容れた。傀儡子は受け容れた穢れを神様にお渡しする仲立ちをした。仲立ちの意味では神官,医師、それは芸能者全てにも言えるかもしれない。明治になり芸と言うものが何もかも捨てられた」との鈴鹿先生の言葉も印象に残った。

会場で配布された「神事芸能通信創刊号によると「この芸の伝承は、筑紫を本拠地として山陽、山陰、関東に及ぶ。その集団の長の菊村検校という盲目の天才筝曲家から昭和初期に神戸の造り酒屋に生まれた山本光子(現在西山村光寿斉)というひとりの少女に二百数十に及ぶ筑紫舞が伝承された」とあった。

「筑紫舞は、「神舞」と「くぐつ舞」とに大別される。「くぐつ舞」には「旋回(舞)・跳躍(踊)」がふんだんに取り入れられている。海水を蹴る所作は傀儡子のルーツと言われる海人族の芸を伺わせる。」と鈴鹿先生は話された。

講演のあと中谷幸子、金井由美子お二人の筑紫舞を堪能した。舞い終わったあと二人同時に会場にくるりと背を向け拝礼した。穢れの全てを受け容れたものを神様にお渡しする所作だとあとで知り大いに納得した。貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局の皆様にひたすら感謝ある。(了)

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