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没後10年 小倉遊亀展(スケッチ&コメント)

2010-03-31 10:35:40 | スケッチ


没後10年 小倉遊亀展

江嵜企画代表・Ken



兵庫県立美術館で、没後10年 小倉遊亀展が開かれている。日本画愛好家の友達が、もし空いていたら、券があるから、夕方4時ごろ会場まで出て来ないかと電話をかけて来た。一瞬、うーんと思ったが、声をかけていただく内が花と前日に続いて日本画鑑賞となった。

小倉遊亀は明治28年(1895)生まれ、平成12年(2000)に105歳でなくなった。奈良女子師範学校(現在の奈良女子大)を総代で卒業、16年間捜真女学校で美術を教えていた。25歳で安田靫彦(やすだゆきひこ)に入門、85歳で 文化勲章を受章している。

会場出口にビデオブースがある。遊亀さんご自身がインタビューに答える形で、画歴を紹介しており、大勢のファンが熱心に画面を追っているところをスケッチした。

今回の展覧会は没後10年ということで、初期のころから最晩年までの作品、下絵、挿絵など約100点が展示されている。第1章(日本画としての出発)、第2章{新しい日本画を求めて)、第3章(いのちを求めて)、第4章(多彩な活動)に分けられていた。

ビデオ画面では生い立ちを紹介していく。教鞭をとりながらも、自らも好きな絵を描きたい。そのジレンマに行き詰る。生徒たちの絵の方が魅力的ではないかと。安田靫彦との出会いの場面がある。靫彦を尋ねた直後に描いた、初期の作品に「浴女その一」(1938年)がある。

安田靫彦に「勇敢に過去を忘れなさい。自分の絵にするんだ。それが宇宙全体になる」と言われた。「37,8歳ごろになって初めて、少しづつ自分の線、自分の色を見つけることが出来るようになった」と遊亀は「その時」を回想する場面が一番印象に残った。

いつものように会場を往来した。40歳前後の初期の作品が一番良かった。絵描きとしてではない。絵を描きたい人の喜び、自分の線、自分の色を見つけることに手ごたえを感じたのであろう。彼女の心臓の鼓動までが、聞こえてきそうな印象を受けたからである。

会場の兵庫県立美術館は、JR神戸線「灘駅」、阪神電車なら「岩屋駅」が最寄り駅である。時間が許せばお運びいただきたい。声をかけてくれた友人のIさんに感謝している。(了)

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