思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

空気は読まない宣言の「東京新聞」一面に、ウーマンラッシュアワーの村本さんが登場ー新聞も芸人もこれぞ本物!元から空気を読まない私のBlog(笑)

2020-03-04 | 学芸

 他者承認に怯え、政治権力者に怯える情けないジャーナリズムではない「東京新聞」は、『空気は、読まない』宣言をしましたが、さっそく漫才で政府をビシバシ批判する「空気は読まない」宣言の村本大輔さん(1980年生まれ「ウーマンラッシュアワー」)を登場させました。本日の一面と二面です。

 ジャーナリズムにせよ芸人にせよ、政府に忖度していたら、存在理由がなく、お終いなのです。 そのくらいは分からないと。

 

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我孫子市行政の毎度のテイタラク、首相の一言にパニックになり?昨日、小中学生は早退!でそのまま休校に(呆)

2020-02-29 | 学芸

わが街、我孫子市の行政レベルの低さにはいつも呆れるばかりですが、

今度もまた、超がつくおバカな対応に、母親や現場の人たちは憤っています。

なんと、昨日、首相の思いつきの一声に一早く対応し、登校した小中学生を早退させたのです。

ちなみに、我孫子市は、新型コロナウイルスの患者はゼロ人です。

もう、批判する言葉もないですが、安倍政権に尻尾をふりたいのか? あるいは、首相の一言(全国すべての云々)にパニックになったのか?

それでいて、手賀沼のすぐ傍の水場の泥(こどもたちがいつも遊んでいる高野山公園)の放射能濃度は、要請しても一度も測らないという超のろさ=怠慢(手賀沼の泥はいくつかの地点で千葉県や東京新聞が測り、数百~数千ベクレルの値)。

 

武田康弘

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日本の司法制度の誤解を解くために? 世界が誤解しているのではなく、日本の検察官や法務関係者は哲学と人権思想を知りません。

2020-02-19 | 学芸

検察官で哲学(実存思想)をしっかり知り、弁えている人は、日本では限りなくゼロに近いです。

司法関係者全体でも同じこと。実存思想を知らず、ということは人権思想を哲学次元では理解→了解している人は、ほとんどいません。

そういう日本の司法関係者のつくる制度が、国連から批判されるのは、当然であり「世界が誤解している」!?などと、まったく自己省察もできない人たちが集会を開いたというニュースを見て呆れました。


(国連人権理事会議場・スイス)


人権思想や法哲学について無知そのものの法務大臣が訳知り顔で話をしているのを見るのは恥ずかしい限りのこと。日本人の知的レベルの低さに改めてガッカリしました。頭(綜合的判断能力=理性)が劣るのです。何も分からない人がトップに立つ国はほんとうに嫌になります。

なお、このわたしの見方に異議のある司法関係者の方は、どうぞ、コメント欄にご意見をお書きください。



武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員 哲学と憲法の哲学的土台について国会所属の官僚に講義)

 

 

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『明治政府がつくった天皇という記号』武田康弘著が完成しました。発売日は2月23日です。先行予約をお受けします。

2020-02-17 | 学芸

2019年に書いた天皇ismの論考をまとめた『明治政府がつくった天皇という記号』(70ページ・オールカラー)ができました。

ぜひ、お読み頂きたいと思います。広めてほしいので、定価は700円としました。26日までは郵送料も無料とします。
それ以降は、書籍郵送料をプラスして1000円となります。

料金は、郵便局の振替口座 00110124812 白樺教育館 
または、切手(120円ないし63円切手)でお願いします。お金にならない活動ですので、寄付金は大変にありがたいです。

コメント欄で申し込まれるか、白樺教育館へのメールで、ご住所・お名前をお知らせ下さい。

shirakaba2002@k.email.ne.jp

 なおpdfを公開していますので、そちらでお読み頂ければ無料です。両面コピーされれば、本になります。

  

武田康弘

 

 

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社会常識はあるが、フィロソフィーはない。それは、最も魅力のない人です。

2020-01-31 | 学芸

社会常識はあるが、フィロソフィー(恋知する)はない。それは、最も魅力のない人です。

哲学なしの常識人。

灰色の大人たちは、型ハマリのこどもをつくります。

この世から魅力(惹きつけられるもの。品位ある艶やかさ、自由で溌剌、内から湧き上がる豊かさ)を消去するのは、管理主義=厳禁の精神=型と序列=儀式主義。

自由に伸び伸び。思い切り・全身で・心の底からという世界がなく、人間がいないのは、言葉にならぬ地獄です。

わが日本の不幸の根源は、社会常識はあるが、フィロソフィー(恋知する)がないことです。

魅力に乏しい存在に堕ちたのでは、あまりに哀しい。


魅力の塊のようなピカソ


武田康弘

 

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憲政の神様・尾崎行雄は、桂総理を指さして、弾劾。 衆議院「憲政記念館」に展示されている絵に感動!

2020-01-31 | 学芸

議会政治の父、憲政の神様と呼ばれる尾崎行雄を記念する衆議院「憲政記念館」は、国会議事堂のすぐ横にありますが、

最初の部屋には、以下の絵が掲げてあり、パンフレットには「桂太郎総理大臣が、自分に都合よくルールを使うので、それは憲政の精神に反すると指さして批判している。と書かれています。1913年(大正2年)尾崎行雄55歳の時の演説。

まるで、今の総理大臣のことを指しているようです。皆で指さしましょう。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

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正しい暦=太陽暦は、エジプト暦→ユリウス暦→小改良で現代の世界暦。 (元号を公共の場で使うのは困る)

2020-01-27 | 学芸

  正しい暦=太陽暦は、エジプト暦→ユリウス暦→小改良で現代の世界暦。 

 

 現代に至る世界暦の最初は、4000年以上前にエジプトでつくられたものです(シリウスを観測する太陽暦)。1か月を30日として12カ月で360日、それに特別の休日5日を加えて365日としました。

 エジプトの天文官は、365日だと約4分の1日分がヅレていくことは承知していましたが、正式に4年に一度の閏年(うるうどし)を入れた暦は、だいぶ時代が下った紀元前45年に、ローマ共和国のユリウス・カエサルが制定しました。これが「ユリウス暦」です。

 ただし、1年を365、25日(365日と四分の一日)としていますので、より正確な1年=約365.2422日とはわすかなズレが出ます(1年間で11分強)。それをユリウスによる制定から1600年ほど経った1582年に修正し、400年間に100回の閏年を97回に減らしました。ユリウス暦を修正したわけですが、これをカトリック教会は、ローマ教皇の名にちなみグレゴリオ暦としたのです。

 グレゴリオというローマ教皇の名によって誤差修正を行い、ユリウス暦をキリスト教会の暦であるかのよう見せるために名称を変えたのです。ユリウス暦はキリスト教とは無関係(キリスト生誕前)でしたが、ユリウス暦の修正とは言わずに、グレゴリオ暦という異なる名称にしたのは、ローマカトリック教会の詐術です。そういう事情で、現在の暦は「グレゴリオ暦」と呼ばれています。

 なお、ADとは、ラテン語で、アンノドミニ(Anno Domini)の略です。これは「主の年に」という意味ですが、この言い方は、10世紀ころから欧州で使われはじめ、15世紀以降に一般化したものです。しかしイエス・キリストの誕生は紀元前4年ないし5年ころとされますので、生誕年とは一致しません。

 19世紀以降は、世界暦であることをはっきりさせるために、AÐではなく、CE(Common Era=「共通紀元」)に変える動きが広まっています。紀元前は、Before Common Era(BCE)。

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 元号を公共の場で使うのは困る。

 その国の王が死ぬと(あるいは退位すると)、時代名を変える。その国に住む人びとの時間感覚をいやでも王の名と結びつける。こういうシステム=元号制度は、世界中でやめ、21世紀の今日で残っているのは、日本ただ一カ国のみです。

 少なくとも公や公共の場面では、元号ではなく、世界暦にしないと、不便・不合理(何年前か後かがすぐには分からない)のみならず、世界との共時性、通時性が得られなくなります。

 また、何より天皇と結びつけた元号の役所における実際上の強制は、新憲法となり、国の主権者が天皇から国民に変わった戦後社会では、明白に憲法違反です。13条の個人の尊重、第19条の思想及び良心の自由、24条の信教の自由を犯すものです。


武田康弘

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古代ギリシャの偉大な思想=オリンピックでの栄誉は、個人にのみ与えられる。ナショナリズムを超克する理念がなければ、害あって益なし。

2020-01-16 | 学芸


国や地域、団体を讃えるのではない。


オリンピックの栄誉は、個人にのみ与えられる。

この古代ギリシャの精神とは無縁のオリンピックには価値がない。

栄誉は、個人のみ。

これが、争いが絶えない国と国の「現実」を超えるための強い思想だった。

ナショナリズムの超克を志向することがないなら、オリンピックはただの競技会に過ぎない。

それに巨額の資金を投入するのは、害あって益なしだ。精神をよいものにしないなら、なにごとであれ価値はない。


武田康弘

 

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異常なゴーン事件、数学専攻の元検事・郷原信郎教授の見解。 「検察独裁の日本の司法が問われているのです」(武田)

2020-01-03 | 学芸

日本の刑事司法は、国際的な批判に耐えられるのか~ゴーン氏出国は「単なる刑事事件」の被告人逃亡ではない

日産自動車の元会長のカルロス・ゴーン氏が、海外への渡航禁止の保釈条件に違反して日本を出国し、トルコ経由でレバノンに入国した。

2018年11月19日、羽田空港到着した直後の「衝撃の逮捕」以降、検察捜査の杜撰さ、重大な問題を指摘続けてきた私としては、ゴーン氏が出国したレバノンから日本に身柄が引き渡される見込みがなく、旧来の特捜事件での「人質司法」の悪弊の中で、ゴーンの早期保釈を獲得した弁護団の努力や、検察側の主張を排斥して保釈を許可した裁判所の英断があったのに、それらが裏切られる結果になってしまったのは、誠に残念だ。

しかし、被告人のゴーン氏が保釈条件に違反して出国して「逃亡」したことから、そもそも裁判所が保釈を認めるべきではなかったと問題と単純化すべきではない。ゴーン氏の事件は、極めて特異な経過を辿ってきた、特異な事件であり、一般的な刑事事件と同様に扱うのは誤りだ。

ゴーン氏の事件をめぐる経過を、改めて振り返ってみれば、それは明らかであろう。

逮捕直後は、検察が金融商品取引法違反の容疑事実とされた「役員報酬の過少申告」の内容を全く明らかにしなかったため、隠蔽された報酬は「海外での自宅の提供」だとか、SAR(株価連動型報酬)だとか、それによって日本で税を免れていたとか、マスコミが勝手な憶測報道を続けていた。そして、逮捕から5日後になって、その逮捕容疑が実際に支払われた役員報酬ではなく、退任後の支払い予定の「未払い報酬」に過ぎなかったという衝撃の事実が明らかになった(【ゴーン氏事件についての“衝撃の事実” ~“隠蔽役員報酬”は支払われていなかった】)。勾留満期には逮捕事実の「2015年までの5年間」の有価証券報告書虚偽記載で起訴し、その逮捕事実と同じ「直近3年分」で再逮捕するという、従来の検察の常識からも逸脱したやり方で身柄拘束を継続しようとしたが、東京地裁が、それまでの特捜事件ではあり得なかった勾留延長請求の却下を決定(【ゴーン氏勾留延長却下決定が検察に与える衝撃 ~根本原因は“不当な再逮捕”にある】)。それに対して、延長請求却下の翌日に、当初は「形式犯」だけの立件しか予定していなかった検察は無理やりサウジアラビア・ルートを含む特別背任を立件して再逮捕した(【ゴーン氏「特別背任」での司法取引に関する “重大な疑問”】)。

まさに、「衝撃」の連続だったゴーン氏の事件の経過を見るだけでも、この事件がいかに異常なものだったのかはわかるであろう。

そして、検察は、無理に立件したサウジアラビア・ルート、オマーン・ルートについては、日産から中東への送金が事業目的に見合うものであったのかどうかという「特別背任罪の成否の核心」に関する事実について、中東での証拠収集がほとんどできていないまま日産関係者の供述だけで特別背任で逮捕するという、これまた従来の検察の常識に反するやり方を強行し(【ゴーン氏「オマーン・ルート」特別背任に“重大な疑問”】)、逮捕後に、中東各国への捜査共助要請をして証拠を収集しようとするという有様だった。

これらの捜査は、ゴーン氏逮捕の際に社長として記者会見を行い、「ゴーン氏の不正への憤り」を露わにした西川氏を中心とする日産経営陣の全面協力によって行われたが、その西川氏も、退任後に支払い予定の「未払いの報酬」に深く関わっていることが明らかになり、さらに、自分自身の報酬に関する不正が明らかになって引責辞任に追い込まれた。

ゴーン氏の事件は、このような「異常な事件」であり、凡そまともな刑事事件ではないことは、いずれ刑事公判で明らかになるはずであった。しかし、その公判は一体いつ始まりいつ終わるのか、全く見通しがつかない。金商法違反については、来年4月に初公判が開かれる可能性が出てきていたが、中東ルートの特別背任については検察の証拠開示すら十分に行われおらず(もともと中東に関する証拠がほとんどないまま起訴しているのであるから、開示がなかなかできないのも当然である)、いまだに初公判の見通しすら立っていない。

こういう状況で、ゴーン氏は、保釈条件として妻との接触を9か月もの間禁止されたまま日本国内に公判対応のためだけに留め置かれ、いつになったら接触禁止が解除されるかもわからないのである。

しかも、このような明らかに異常な捜査経過の問題、長期間の身柄拘束や保釈条件による人権侵害の問題などを自らの言葉で世の中に訴えようとしても、当初の保釈後に記者会見をしようとした途端にオマーン・ルートの特別背任容疑で再逮捕されたことがあって、また逮捕されるのではないかとの恐怖から記者会見すらできない。弁護団が予定主張記載書面を公開したりしてゴーン氏の主張を公表しても、日本のマスコミは殆ど報じない。

こういう「絶望的な状況」に置かれていたゴーン氏が、何者かの援助によって「国外脱出が可能」ということを知り、15億円の保釈保証金を失ってでもその可能性に賭けてみようとしたのは、理解できないことではない。日本人が北朝鮮や中国で不当に身柄を拘束された場合と同じように考えたとすれば、何とか国外に脱出しようと考えるのは、普通の人間であれば自然なことと言えるのではないだろうか。

レバノンに入国したゴーン氏は、「私は有罪が前提とされ、差別がまん延し、基本的な人権が無視されている不正な日本の司法制度の人質ではなくなります」「私は正義から逃げたわけではありません。不公正と政治的迫害から逃れたのです。私は不公正と政治的迫害から逃れました。ようやくメディアと自由にコミュニケーションができるようになりました。来週から始めるのを楽しみにしています」との声明を出している。

ゴーン氏は、「レバノンに逃亡した被告人」の身に甘んじるつもりはないのであろう。日本の検察が逮捕・起訴した事件がいかに不当で異常なものか、日本でいかに非人道的な扱いを受けたのか、ということに関して、国際社会への発信を徹底した行うことで、自ら潔白を訴え名誉回復を図るであろう。

検察としては、保釈を請求した弁護人や、保釈を許可した裁判所を批判したり、恨んだりしている場合ではない。検察が起訴した被告人が海外に逃亡し、レバノンに所在することが明らかになっているのであるから、そのレバノンに対して、外務省当局の協力の下に、被告人のゴーン氏の引き渡しをとことん求めるべきであろう。犯罪人引渡し条約が締結されていなくも、本当に、ゴーン氏を起訴した罪状が悪質・重大なものであり、ゴーン氏に対する日本での扱いが不当なものではないと「確信を持って」言えるのであれば、国際社会に対してそれを堂々と主張し、犯罪者を匿うレバノンを批判すればよいはずだ。国際世論に訴えて、レバノンに身柄の引き渡しへの協力を求めることは不可能ではないであろう。

問題は、「ゴーン氏事件」が、日本政府が逃亡犯罪人を匿う国に対する「当然の要請」として行えるような事件なのかどうか、である。

「ゴーン氏事件」は、日本の検察・裁判所・司法マスコミの間では、「一つの刑事事件」であるかのように扱われてきた。そして、日本では多くの人がそう思っている。しかし、それが、果たして、国際社会から客観的に見た場合、そのような認識を持ってもらえる事件なのであろうか。ゴーン氏が主張するように、日産の日本人経営陣と経産省と検察とが結託して国際的なカリスマ経営者を日産自動車から追放し、さらに犯罪者として葬ろうとした「異常な出来事」にしか見えないかもしれない。

今年4月に、5年に一度開催される刑事司法分野における国連最大規模の国際会議である「国連犯罪防止司法会議(コングレス)」が京都で開催される(京都コングレス)。日本で開催されるのは50年ぶりであり、法務省は、ホームページに、「開催まで〇日」などと、オリンピック並みの扱いで開催をアピールしている。

日本の法務・検察当局は、ゴーン氏事件を契機に日本の刑事司法に対する国際社会からの批判が高まる中コングレスに集まる海外の刑事司法関係者に納得できる説明・反論が行えるのであろうか。

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明治が生んだ「天皇」という制度は、実は、とても怖いのです。なぜ? 私の人生を充分に生きよう!

2019-12-19 | 学芸


白樺教育館のホームページに分かりやすい私の論考が載りました。簡潔ですので、ぜひお読みください。大切な人生のために。

206. 天皇system+ismとは、集団同調ismを生み、理性を育てません

 人々の自立を妨げ、集団同調を強い、深く考えることを阻害する何かがこの国の社会にはある、と指摘する人はいます。でも、その原因について触れる人はいません。避けているように見えます。
 その真の原因は一体何なのか、それを明らかにしようと試みたのが館長・武田によるこの論考です。公平公正な本来の民主制(共和制)実現のためには避けて通れない王道でもあります。
きわめて重要な話ですのでじっくりお読みください。PDFファイルも準備してあります。印刷される際にご利用ください。
PDFダウンロード=>

 なお、この論考は客観的に分析的に語ったものですが、一方で内的な視点から語った同様の論考があります。以下を参照ください。両方併せて読んでいただけると、より深く了解可能と思います。

私と共和制  楽しい公共社会を生むために +人類思想の三分類と恋知


古林 治

 


   天皇system+ismとは、集団同調ismを生み、理性を育てません   武田康弘

 
 日本には、平安時代前期の村上天皇を最後として、江戸時代の後期に光格が再び天皇を名乗るまで800年以上の間、天皇と呼ばれる人はいませんでした。 天皇は権力を失い、京都周辺のローカル王になったからですが、とりわけ鎌倉時代の承久の乱(1221年)で、仕掛けた側の後鳥羽院が完全敗北し、隠岐に島流しの刑となり同地で死去した後は、京都の西側までもすべて鎌倉幕府が治めることになりました(北条義時と姉の政子による)。
法然とその門下親鸞など12名の僧を死罪・流刑とした後鳥羽院は、自らが島流しとなり最期を迎えたのでした(左上図)。

 
 その後天皇家は細々と生き延びてきたのですが(権力欲に憑りつかれた後醍醐による南北朝の戦いは例外)、その存在は、明治維新が成立した後でも、とりわけ東国では天皇を知っている民衆はほとんどいませんでした。明治政府は看板に書いて広めなくてはならなかったほどです。

 いまの天皇制は、明治維新の岩倉具視や伊藤博文、山県有朋らがつくった「近代天皇制」と呼ばれるものですが、それは、祭事(まつりごと)や武士の政治権力を聖化する儀式をして生家を立てていた一家の長を現人神(あらひとがみ・生きている神)として崇める政府神道(明治政府がつくった国家宗教)です。この政府がつくった宗教の総本山が「東京招魂社」(官軍側の死者だけを国家の軍神として祀る施設)でしたが、10年後に名称を「靖国神社」と改め、日本の伝統の神社でもあるかのように装ったのでした。

 知恵者である岩倉具視(※)は、まだ民衆にはあまり知られていなかった天皇を知らしめ、意識させるために、新しい元号制度を考案しました。数年に一度変わっていた元号(天災が起こったり祝い事があると変えていた)を、天皇の存在と結びつけ、天皇と時代名を一致させる「一世一元」にしたのでした。これにより民衆は、いやでも天皇を意識するようになり、時代名として元号を使うことで時間感覚まで古代の王制のように支配され、天皇教として無自覚に心身に入り込むことになったのです。太平洋戦争敗戦までの明治憲法時代(主権者は天皇で現人神)も、敗戦後の新憲法時代(主権者は国民となり天皇は「人間宣言」をした)も、同じ昭和時代と呼ばれ、それを誰もおかしいとは思わないのですから不思議です。


 続きは、クリックしてください。

 



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天皇ismはもう終わりにしましょう。型ハマリの日本人から、豊かな理性と溢れる愛情をもつ人間になるために。PDFファイル

2019-11-30 | 学芸

天皇という記号がもつ不幸を自覚できる小冊子をつくりました。どう生き、どういう国をつくればよいかの骨子も示してあります。

本文はわずか14ページで、話すように書きましたので、ぜひご覧ください。ここをクリックすれば、PDFファイルが表示されます(両面印刷すれば本になります)。

共和制へのスムースな移行は、皇族を含めて、みなの幸福の可能性を広げます。

 
なお、ファイル化、小冊子のデザイン・レイアウト、及び、印刷・製本は、すべて白樺同人の古林治さんによります。とても感謝です。

武田康弘

 

 

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天子(天皇)の即位の儀式とは、虚飾=不善の最大のもの、有徳の士は、無視して進め。 老子第62章

2019-11-24 | 学芸


老子62章
道者,萬物之奧,善人之寶,不善人之所保。美言可以市尊,美行可以加人。人之不善,何棄之有。故立天子,置三公,雖有拱璧,以先駟馬,不如坐進此道。古之所以貴此道者,何也?不曰求以得,有罪以免耶,故為天下貴

故に天子を立て

三公を置くに、

拱璧の以て駟馬に先だつ有りといえども、

坐して此の道を進むるに如かず。


老子は、虚飾をとても嫌いました。虚飾の最大のものとして、天子(天皇)の即位や大臣の任命の儀式をあげています。それらは、虚飾の行為=不善の行為である。そういうものは無視して、自分の道を進め、と言います。

武田康弘

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公共国家(市民国家)としての日本をつくるための「憲法改正案」の核。1条ー5条 大統領が国事行為を行い、天皇の人権を回復する。

2019-11-01 | 学芸

 明確な理念をもち、その理念のもとに政治を行うことがないと、必ず「世俗主義」に堕ち、混沌となります。立憲民主をはじめ、野党には、日本国をどうするかの明確な理念=土台がないために、表層的な正さのレベルに留まり、脆弱です。
【国民国家】(自民党のいう天皇を中心とする《国体国家》)ではなく、
【公共国家】(シチズンシップに基づく実存者としての市民がつくる《市民国家》)を目がけるという理念=根源思想が求められます。

 そのための出発点は、【憲法改正】です。
 米軍が主導でつくった憲法は、人間が人間を象徴するという意味不明の1条(マッカーサーが天皇制を利用するために作成)に矛盾が象徴されていますが、3条では、天皇の国事に関する言動は「すべて内閣の助言と承認を必要とする」とし、天皇家は、時の内閣に政治利用される仕組み=制度となり、天皇から完全に人権を奪っています。


 以下に核となる1条から5条までを記します。骨子です。


1条、日本国の主権は、公民にある。

2条 元首は大統領で、公民の直接選挙で選ばれる。大統領は国事行為を行うが、政治権力はもたない。ただし、首相の国会解散への拒否権をもつ。

3条 皇室は、伝統と文化の象徴としての役割を担う。住居は京都御所とする、

4条 戦争放棄 日本国は、武力の行使、武力による威嚇を行わない。専守防衛に徹する最低限の軍事力は持つが、いかなる理由でも海外への派兵は行わない。

5条 人権の尊重 個人の思想と行為は、公共の福祉に反しないかぎり、最大限に尊重される。・・・・・・・・

(個々の人権規定は現日本国憲法を踏襲し、さらに徹底させる。在日外国人の人権保障も加える)


武田康弘

 

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萩生田大臣は、ドイツならば、まちがいなく公職追放です。

2019-10-29 | 学芸

 萩生田光一文部科学省大臣は、戦前思想を掲げるウヨク団体「日本会議」と大変に関係が深く、議員会館に「教育勅語」(明治天皇から臣民に与えられた言葉)を掲げていました。

 戦前思想=全体主義の思想をもつ者は、ドイツでは公職にはつけません。大臣どころか議員になることはできませんし、役人になることもできません。公職追放ですし、そもそも戦前思想(全体主義)自体が禁止です。

 ところが、戦後、民主主義に反するとして衆議院でも参議院でも全会一致で廃棄された「教育勅語」を、国会という公の場に掲げた萩生田光一を、安倍首相は文部科学大臣としたのです。
世界基準では、決してありえない事態です。欧米から危険なウヨク政権と断定されるゆえんです。

 教育勅語とは、現人神である天皇が、臣民である国民に与えた道徳律ですが、「忠」という日本精神(上位者への恭順)こそ正しいとする思想を下敷きとして、その上に、個々の戒律が示されていますので、一つひとつの戒律の意味は、「忠」という土台となる精神=思想から解釈されなければなりません。切り離してしまえば、意味を変えてしまいます。「滅私奉公」、自分を滅して公=天皇に奉仕するという「忠」の道徳から切り離された個々の戒律は、意味をなさないのです。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員=国会職員に哲学と日本国憲法の哲学的土台について講義)

 




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テンノウヘイカバンザイ!    ー即位・大嘗祭違憲訴訟に向けて     石川逸子

2019-10-23 | 学芸

 

テンノウヘイカバンザイ!

   ー即位・大嘗祭違憲訴訟に向けて     石川逸子

 

テンノウヘイカバンザイ!

二度と聞きたくなかった 言葉

1990年11月12日

その言葉を聞いて あっけにとられた

あろうことか 現天皇の即位式のとき

海部首相がはるか高御座に坐る天皇を仰ぎ見

テンノウヘイカバンザイ! と三唱したのだ

 

そのテンノウの名によって

徴兵された 将兵たちが

「テンノウヘイカの おんために」

朝鮮に 中国に 東南アジアに攻め入って

殺戮・強かん・略奪・放火

ありとあらゆる暴虐をはたらいた事実を

忘れたとでもいうのだろうか

いわれなく殺されたアジアの死者たちが

バンザイ三唱を聞いて

地の底から憤怒の声をあげるのが

聞こえないとでもいうのだろうか

 

台湾からフィリピンの「慰安所」に連れていかれ

日々 殺すといわれて強かんされ

日本軍とともに山へ逃れ

たった一人生き延びた女性は

日本軍に撃たれて死んだ友の遺品に

今も 毎日供え物し 祈りながら

その償いを テンノウにこそしてほしいと

つい先ごろ 日本へ来て訴えている

 

皇国教育にまるごと染められ

テンノウヘイカバンザイ!

叫びながら 

原爆に体ごと焼けて本川をながれていった

私と同年の広島二中一年生もいた

 

テンノウヘイカバンザイ!

その言葉をさらに

2013年 4月28日 ニュースで聞いた

サンフランシスコ講和条約締結日を祝う式典で

退席しようとする天皇夫妻に

安部首相以下出席者一同が万歳三唱したのだ

アジア・太平洋戦争でヤマトの捨て石にされた沖縄を

今度はアメリカに売った その日

沖縄県民にとっては 屈辱の日だというのに

 

なぜ 主権者となったわたしたちが

テンノウに平伏する儀式を営まねばならないのか

なぜ アジアのひとたちを逆なでする儀式を強行し

なぜ 退位の礼並びに即位の礼で

テンノウに感謝し

テンノウから「お言葉」を頂かねばならないのか

なお霧に包まれた 大嘗祭行事に付きあい

そのために 多額の税を投入しなければならないのか

 

テンノウといえば よみがえる苦い記憶

奉安殿への最敬礼をうっかり怠って

教師に いやというほどぶんなぐられた友人

白木の箱を捧げ 眼を伏せた遺族が先頭に立つ

町中の暗い行列

満員電車であろうと 皇居前にさしかかると

帽子を脱いで乗客全員 体をよじって最敬礼していた

滑稽な日々

「畏くも」と教師がいえば

(あ 次はテンノウヘイカという言葉が来る)と察知し

さっと 姿勢を正さねばならなかった子どもの日

 

テンノウヘイカバンザイ!

など二度と云いたくない

そんな光景を二度と見たくない

バンザイ!を唱えることで

わたしたちの主権は侵され 

バンザイ!を唱えることで 権力を得

利を得るものたちが 跋扈する 

世が 

再来しているではありませんか



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