思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

メールで寄せられた感想です。「民知ー恋知と公共哲学」について

2005-10-02 | メール・往復書簡

以下は、法案作成を仕事とするAさんからのメールです。

武田 様

「民知‐恋知と公共哲学」、読みました。
内容は深く高度ですが、とても読みやすい文章でしたので、私にもかなり理解できたように思います。

そうか、哲学ってこういうことだったのか。
実存主義とは、こういうものだったのか。
なるほど、なるほど、という思いです。

「恋知」とは、良い言葉ですね。
「専門知に取り組んでいるときも、そこに自閉するのではなく、生活世界の体験=直観に照らし合わせながら全体の意味を志向すること」
私のような少々専門的でマニアックな仕事をしている者にとっては、かなり重要です。
いつもこれを意識していこうと考えています。
また、私の専門知が武田先生の活動の参考になれば、とも思います。




励みになる感想をどうもありがとうございます。武田康弘





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危険な「自民党」の顔―愛国主義(国体思想)は国を滅ぼします。(メール公開)

2005-08-28 | メール・往復書簡

(以下は、法案・法文作成を業とするAさんとのメールでの「対話」ー「議論」です。)

武田様

「小泉純一郎とは「独我論者」にすぎません。あなたも騙されていませんか?」ちょっと粗雑すぎるのではないか、東大病の話が台無しになってしまうと、心配しております。

特に以下の点です。

郵政民営化法案は、郵政官僚の大反対を押し切って提出した法案で、「官僚がシナリオを書き、主導する政治改革」ではありません。総務省の局長の更迭までしているのです。

郵政民営化法案は全野党が反対ですから、参議院での法案否決が「自民党内の内紛にしかすぎない」というのは、明らかな誤りです。

参議院で法案否決、内閣総辞職でなく衆議院解散を批判されていますが、内閣の重要政策について国民に直接判断を求めることが、「暴挙」、「ハレンチとしか評しようのない行為」というのは、なぜでしょうか。とくに郵政民営化については、民主党はもともとは賛成であり、それが意味不明の理由で反対、法案否決となったため、国民の判断を仰ぐというのは、筋が通っています。最近、民主党は、2年間は公社のまま、その後は民営化を含めて検討、などと言っていますが、この問題に関する限り、国民を騙しているのは民主党の方ではないかと思います。

詳しくお話した方が良いかもしれませんね。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

A様。
ご意見、感謝です。
以下に私の考えを述べます。

郵政の改革、合理化には民主党も含め「賛成派」が多数です。
ただ、小泉首相がすすめる「小泉郵政民営化」に反対しているだけです。
にも関わらず、民営化・改革一般の問題にずらせて他者・他党批判をするのは、戦前にもよく見られた日本人の典型的なヒステリー行動自己感情という深層意識で予め決定している結論に冷静を装った論理をつくるという本質次元での誤魔化し=ゆゆしき問題です。

参議院での否決を受けて衆議院を解散!?というのは「狂気」か「病気」でしかありません。このような無謀な権力行使には、全国民(右派も左派も)で反対していかなければ民主政治は危機に陥ります。安定多数の議席をもつ自民党総裁が率いる内閣が出した法案が否決されたなら「内閣総辞職」しか道はありません。それを衆議院を解散するとは!これが暴挙でないなら何が暴挙なのでしょうか?

小泉首相の手法と、日本官僚主義の手法とは、その本質が同じです。人から見えるところでアリバイ的に「改革」し「人も切る」わけですが、「考え方ーやり方ー無意識的領域を含む意識の全体」は、 「一般的・普遍的思想」をもたず、一度決めた「個別の想念」を絶対化する深層ヒステリーというわけです。この「部分合理性」の追求しか知らない頭脳を「東大病」と呼びます。言葉がそれ自体自立し、内容が後景に退けば、生生しいほんものの改革なしに、改革が成就したように見えるーこの表層言語による誤魔化しこそが「日本官僚制」であり「東大病」なのです。

山県有朋がつくった「官僚制」の本質とは、「部分」の追求は真剣・マジメ・ていねい・合理的、しかし、大きく人間の生を捉え、幸福のための条件をつくることには全く不向き=「全体」は著しく不合理というシステム=思想です。人間の生のエロースが分からないのです。

細部や部分に目を奪われていると「全体」が見えなくまります。日本の知のありようは、部分合理性の追求でしかありませんから、学校秀才やマジメな人ほど「部分としての優秀さや個人としてのよき態度」に惑わされて全体の意味・事態が見えなくなります。ともあれ、異論・反論がでるから思想は明晰になり、進歩します。
「批判文」をどうもありがとうございました。

武田
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

武田様
>
> 郵政の改革、合理化には民主党も含め「賛成派」が多数です。
> ただ、小泉首相がすすめる「小泉郵政民営化」に反対しているだけです(武田)。

反対の内容が問題です。
国会審議を見る限り、反対のための反対でしかありませんでした。
どのような内容の改革、合理化なら、賛成するかという意見は、審議では全然出ていないのです。
郵政の改革、合理化には民主党も含め賛成派が多数であるなら、その方向での議論があったはずですが、現実はそうではありませんでした。

>
> 参議院での否決を受けて衆議院を解散!?というのは「狂気」か「病気」でしかありません。このような無謀な権力行使には、全国民(右派も左派も)で反対していかなければ民主政治は危機に陥ります。安定多数の議席をもつ自民党総裁が率いる内閣が出した法案が否決されたなら「内閣総辞職」しか道はありません。それを衆議院を解散するとは!これが暴挙でないなら何が暴挙なのでしょうか?(武田)

参議院で法案が否決されたら、常に内閣は総辞職しなければならないということですか?
問題は、参議院で法案否決の場合、国民の意思を問うために参議院の解散ができないところにあると思います。その場合、国民の意思を問うために衆議院を解散するのは、「狂気」「病気」なのでしょうか。
また、今回、仮に衆議院に法案が回付、再審議され、3分の2以上がとれずに否決となった場合、それで衆議院を解散するというのは、どうでしょう?
さらに、安定多数の議席かどうかと、法案否決で内閣が総辞職すべきかどうかとは、直接の関係はないのではないでしょうか?

>
> 細部や部分に目を奪われていると「全体」が見えなくまります。日本の知のありようは、部分合理性の追求でしかありませんから、学校秀才やマジメな人ほど「部分としての優秀さや個人としてのよき態度」に惑わされて全体の意味・事態が見えなくなります。ともあれ、異論・反論がでるから思想は明晰になり、進歩します。
> 「批判文」をどうもありがとうございました(武田)。

武田先生の考えをHPを見ている人々に広く理解してもらうためには、もう少し抑えた表現で丁寧な説明が必要なのではないか、と思います。
ついでですが、私は、郵政民営化問題については、民主党は本当にどうしようもないが、国際問題、外交問題等、まさに国益と国民生活に直結する重大問題を考えれば、自民党、特に小泉自民党にはやってもらいたくないと考えています。言うまでもなく、武田先生との出会いの結果です。こういう人間が一人でも増えてほしいと願っているだけです。

では、また。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

A様

そうですね。
アメリカへの極端な同調の言動(そのために日本はテロの標的にされる危険性が出てきました)にしろ、独断でのイラクへの自衛隊派兵(国会承認なし)にしろ、靖国への個人的信条による参拝(国益をおおいに損ねています)にしろ、『個人的な思い』が先行する小泉首相は、公人としては大変困った存在です。
「郵政」問題にしてもしかりです。
初恋の人であるゆえに?まだ「国民的合意=納得」がつくられていないにも関わらず、強引に通そうとしています。合意ができるまで案を練りつつ待つのが「民主政治」のはずです。

「今回、仮に衆議院に法案が回付、再審議され、3分の2以上がとれずに否決となった場合、それで衆議院を解散するというのは、どうでしょう?」(A)

よいと思います。3分の2の賛成を得るために衆院選挙をする、というのであれば「正しい」解散です。
また、私は「法案」が通らなかった場合常に「総辞職」せよと主張しているのではありません。

主張仕方には工夫しますが、小泉首相が「危ない」政治家であることは確信をもっていえます。安部元幹事長ともども日本を右傾化させ、(ネオ)[国体思想]を復活させる(すでに相当に成果を上げています)尖兵です。表面がスマートなだけに大変危険だと思っています。すでに日本人は「戦前の日本」に違和感を感じにくくなっています。ナショナリズムが浸透し、市民精神の育成は大きく後退しています。お互いに協力し合って、この困った事態の打開に向かいましょう!共に!

メール、ありがとうございました。
武田
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

武田様

すべて了解です。
ありがとうございました。





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ダメな民主党議員、それでも民主党政権を!なぜ?(メール公開)

2005-08-13 | メール・往復書簡

以下は、法案作成を業とするAさんからのメールと私の返信です。

武田様

「小池百合子とは、時の権力者に寄り添い、何度も「寝返り」を繰り返してきた女性ですが、こういう人が「もてはやされる」なら、人心は荒廃してしまいます。まさに「類は友を呼ぶ」、小泉首相自身が人を平気で裏切る名人、自分の「感情的思考」(思想なき想念)のみが絶対の男ですからね。」(武田)

一読者としての感想ですが・・・・・
具体的事実の指摘がまったくなしに人格非難をすれば、単なる誹謗中傷になりかねません。
読んでいてあまり気持ちの良くない文章ではないかと思います。

私は小泉さんも自民党も好きではありませんが、今回の郵政解散・選挙に関する限り、政策実現のための志を評価しています。
民主党は、もともと郵政民営化賛成で、法案反対は小泉おろしのためだけです。
だから、対案も出せなかった。
しかも、今になって、選挙で改革姿勢が問われるとマズイので、民営化賛成と言った方がいいのではないか、などという声が出ているのですから、馬鹿らしくなります。
要するに、民主党は責任を持って政策実現のための論争をしていないのです。
自分達がさんざん反対して、法案否決で解散となったのに、選挙の論点は別のところにある、などとうそぶくインチキ政治家を信用する気にもなりません。

ついでに、民主党の内部で育ってきている有力な若手も、受験戦争を勝ち抜いたまさに東大病の人々であると思います。






A様、よい「疑問」をありがとうございます。

(小泉純一郎と小池百合子の言動については、これだけテレビ報道で知られているので、具体的事実を記述するまではないと思いました。)

確かに民主党の「内容」は評価に値しません。無責任であり対案もはっきりしません。従来の野党の域を出ません。「東大病」もその通りです。

しかし、それでもなお、政権交代が必要です。

政権交代となればそのダメな「民主党」に票を集めなければ不可能です。
個々で見れば自民党より劣っていても、自民党政権が続く「害」よりは大局的に見れば「有益」だと考えます。

とくに外交における「政策以前の姿勢」を転換しないと国益をおおいに損ないます。教育における「政策以前のイデオロギー」についても同じです。日本がナショナリズムを強める方向に向かっていることを阻止することが国政の最重要課題です。

実は、ここが核心なのですが、「古い自民党」を代表する人たちと「小泉派」とはこれだけ激しく闘っていても、政策以前のイデオロギーが同じなのです。一言で言えば、明治政府がつくった「近代天皇制」を肯定する「日本主義」です。例えば自民党はすべて「元号」重視の表記ですが、民主党は「西暦」(世界暦)中心の表記に変わっています。

いま、遠いようで一番近い=大事な課題は、具体的政策以前の姿勢や想念を変更することだと考えています。それを可能にする方策を探ることですが、政権交代のために一票の権利を行使することは、そのための「はじめの一歩」だと言えるでしょう。

武田。



武田様

「実は、ここが最も核心なのですが、「古い自民党」を代表する人たちと「小泉派」とはこれだけ激しく闘っていても、政策以前のイデオロギーが同じなのです。一言で言えば、明治政府がつくった「近代天皇制」を肯定する「日本主義」です。例えば自民党はすべて「元号」重視の表記ですが、民主党は「西暦」(世界暦)中心の表記に変わっています。」(武田)

このあまりにも重要な指摘がHPを見ている人たちに素直に伝わるように、変に過激にならない表現で書いてほしいものです。

東大病・近代天皇制・日本主義という分析視覚は、現代日本のあらゆる問題の根元を説明するのに、すばらしい威力を発揮すると思います。

私は、武田先生との出会いのおかげで、頭の中がずいぶん変わりました。
特に、子ども達と一緒に自国の歴史を考えることは、自分の人生を考えるうえで不可欠であると考えています。
東大病の話が全国的に議論されることを願っています。

また、お話に行きます。
ありがとうございました。




A様
了解しました。
武田。



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メールー「東大病と公務員」 根源的不幸を断つのが「民知」=「恋知学」

2005-07-13 | メール・往復書簡

以下は、法案作成を仕事とする国家公務員の方からのメールと、それに対する私の返信メールです。

「東大病と公務員」

武田様

哲学の話は私にはとても難しいのですが、 「東大病」の話は非常に分かりやすく、今まで漠然と何か変だなと感じていたことをズバリ言い当てられたようで、深く納得しているところです。自分の経験から、東大病は国家公務員に最も強く感染し
ているのではないか、と思います。国家公務員試験が戦前から今日まで、一貫し
て東大法学部を中心とする競争試験になっているからです。とにかく高い地位に
就きたい、地位の高い人にほめられたいという単純かつ強力な権力志向があり、
無意識のうちに他人と競争することそれ自体が人生の主目的になって、仕事が忙
しくない者は脱落者であるとの脅迫観念に支配されている。これは特にキャリア
組の公務員に特徴的ですが、職員全般にも言えるもので、要するに程度問題だと
思います。何ともセコイ情けない話ですが、これが近代天皇制につながっている
とは、まったく驚きです。

A様。

「とにかく高い地位に就きたい、地位の高い人にほめられたいという単純かつ強力な権力志向があり、無意識のうちに他人と競争することそれ自体が人生の主目的になって、仕事が忙しくない者は脱落者であるとの脅迫観念に支配されている。」(A)

中身・内容として生きるー深い意味充実の生とは対極の外面(そとづら)人間として生きるように洗脳された人々=カタチ=形式=様式が支配する社会は、個人として生きるエロースをおおもとから消してしまいますね。

一元的な価値信奉のヒステリー=単純序列宗教=「天皇教」という形式宗教の中で「ドレイ的な眠り」を強迫されて生きる他はない。この「フィールド内競争人間」として飼育されている日本人の生きる術は、ただ「所属部族」の長に評価されることだけというわけですね。

わたしは、この「根源的不幸」の生を元から断つのが「民知として知」=「恋知学としての哲学」の実践だと考えています。

理性の根源を「礼節」という美名=強迫で絶ってしまう日本社会における「公共」とは、天皇制の序列社会内秩序に「合わせる」ことでしかありません。この日本的洗脳・支配から免れている人は滅多にいません。この点では右翼も左翼も同じです。みな序列と権威の中に「昇天」してしまう。真に中身・内容で生きる人=よき理性を発揮して生きる人は残念ながら極小です。

潜在的には多くの人が素晴らしい理性をもっていますが、これが天皇制的心性による序列宗教=「ザ・日本システム」によって押さえ込まれているわけです。

真の人間的な「礼節」の原理とは、自他に深いよろこびをもたらす言動=皆のエロースを広げる言動のことです。それができる人が最大の「礼節」者。けれども「序列・形式宗教」は、人の心を奥部くまで縛り、自由=エロースを消去してしまいます。

繰り返しますが、この問題を解決するのが「民知としての知」=「恋知学としての哲学」の役目だと私は思っています。人間的な悦び・エロース・自由を生み出すもの=実存の源泉が、ソクラテス出自のほんらいの哲学です。私は、自・他を意味充実の生=中身・内容で生きる魅力ある人間に変えていく仕事(=天職?)にますます精を出そうと思います。

お返事が長くなりました。メール、どうもありがとうございました。感謝!


7月12日 武田康弘




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うむ~「周り」は自己抑圧人!自分と世間ー(白樺ML公開)

2005-07-05 | メール・往復書簡

白樺MLのメールやりとりです。


武田様

最近体験したこと。
あるところの機関紙の編集委員会で、8月は平和に関することを特集記事に
したいという意見が出た時、一方で、「それはまずい。この機関紙でそれを
取り上げるのは恐い」という意見が出ました。
発言した人は、思想的に色をつけずに平和を取り上げることの難しさを思い、
出来るだけ無難に済ませたいという気持ちが働いたのでしょう。
そのやりとりを聞きながら、いつのまにか平和について真正面から大声では語れ
なくなった最近のこの国の異常さを感じました。

“ヒステリー的な「思い」だけの運動、「立場」や「主義」を固く守りるだけの愚行”
イデオロギー色をプンプンさせた平和運動のあり方にも問題があったのでしょうね。
うっかり「平和」を特集記事にすると、そういうものと同一視されるという懸念は
確かにありますよね。

一方で我々一般の市民の側の問題ですが‥
殆どの人は平和を何よりも大切なものだと思っているでしょうし、誰かに平和に
ついて大声で語ってはいけないなんて言われたわけじゃない。
それなのに、どこかで目に見えない何かをおそれ、セーブしてしまうということの根は
17年前の「自粛」の連鎖の時の考え方とも繫がりますか?
こういう考え方って儒教思想と関係がありますか?
どの民族にも共通して起こり得ることですか?

自分自身の変革の努力と周りへの働きかけと‥私に出来ることはとても小さい
ですが、「精進」します。これからもどうぞよろしく!
楊原

==================================================================

やなぎはら様。

「17年前の「自粛」の連鎖の時の考え方とも繫がりますか?
こういう考え方って儒教思想と関係がありますか?
どの民族にも共通して起こり得ることですか?」

繋がるし、関係あるし、起こり得る、とも言えますが、
体制的なもの、世間体への過度の恐怖心(本人は適度のと思っている?)は、個人のていたらく、「やわで弱っちい」臆病者のわが日本人の特徴ですね。
人前で自分の考えを話すこともできず、自分のフィールドだけでしか生きられない大人ばかりが目立つ国など「お笑い」で「お終い」ですよね。
これは確かに「教育」のせいです(「人間力」をつくらない「情報知」と「制度知」のみの愚かな教育が「輪郭線だけの世間体人間」をつくる)。
だから、問題の核心は自己変革にあるのです。
社会を批判する前に、己を知り、しっかりと自由に生きることのできる自分を育てることが何よりも必要です。
私が○○さんなどを鍛え続けたのもそういう思いからです。
私の見るところ誰ひとり及第者はいません。念のため言いますが、武田が完璧などと言っているのではありません。相互学習が「哲学の会」であり「白樺フィロソフィー」なのですから。互いに精神のおおもとを鍛えるほんとうの強さ=優しさを育て合いたいと思います。

ご意見ありがとうございました。

====================================

武田様

お返事頂き、ありがとうございます。

体制的なもの、世間体への過度の恐怖心(本人は適度のと思っている?)は、
個人のていたらく、「やわで弱っちい」臆病者のわが日本人の特徴ですね。
お上には楯突かず、長いものに巻かれて生きるのを得意とする日本人には
これが染み付いていて、必要以上に謙遜し、問題に真正面から向き合おうとせず
自己満足への楽な道へと逃げ出してしまうんですよね。
この特徴、自分にもどこかに染み付いているのを感じます。
これでは本当のエロースは得られないと分かってはいても、抜け出すのは意外と
難しい。この意識下の「日本人」が時々無意識に顔を出すから厄介です。
自分自身の心の葛藤を乗り越えたとしても、次に周りとの軋轢が生じますから
結構しんどいことですが、変わらねば!

客観世界の側の矛盾を立て直すためには、一人ひとりが心のうちの魂のあり方から
変えていく必要があるということがよく分かりました。
ありがとうございました。
楊原

====================================

「客観世界の側の矛盾を立て直すためには、一人ひとりが心のうちの魂のあり方から変えてい必要がある」(楊原)

一番難しく、一番面白く、一番有意義な課題です。共に!

武田

困った問題ですが、これでは「まずい」と思った人間が、少し勇気を出して、人に多少いやなことを言われても知らないふりをして、すこしづづ個人の自立のエロースを広げていきましょう! 「政治的意見」の同一性を重んじるのではなく、「自分の頭で考えて行動する」人を重んじたいと思います。(武田)

2005.7.5








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「東大病」の克服のためにーML・メール公開

2005-06-30 | メール・往復書簡

「東大病」の三回目です。 第1回(クリック) 第2回(クリック) もご覧下さい。

京都で新しい教育に取り組む平野慶次さん(お会いしたことはありません)からの質問メールを受けて、私と山脇直司さん(東大教授)との間でのやりとりです。



武田さん 平野慶次@京都です。

 「東大病」という言葉は使ったこともありませんでしたが、なるほどと思いつつ
読んでおりました。

 線形的に過ぎる思考は、パッチワークが如く公式化されている。思考は、もっと
自由だ、と。

 こんな感じで理解していて良いのでしょうか?

―――――――――――――――――――――--------------


平野様。
武田です。

そうですね。思考が「型はまり」なら思考ではなくパターンですものね。

おおもとに戻して、具体的経験から立ち上げる「知」(ソクラテス的な知)ではなく、既存の理念や公式から出発する「知」(受験勉強的な知)のことで、これは東大の問題ではなく、日本の教育一般の問題ですが、象徴的に「東大病」と言えば分かりよいと思います。

東大以外は大学ではない、という親がたくさんいます。一元的な価値信奉のヒステリーは「狂っている」としか言いようがありません。わたしの周りでも悲劇が何件も起きています。自殺者も出ています。序列意識がつくる権威主義の支配は市民運動にまで及びます。

こういう同一価値観による一極集中は、みなを不幸にします。エロースが広がりません。東大関係者はじめ皆が「東大病」の解決に取り組むことが必要です。受験力ではなく人間力を育てること、人間の知的能力の多様さを深く自覚することが重要だと思います。問題解決の「はじめの一歩」は、この社会的ヒステリーをはっきり「病気」と認識することでしょう。

ブログの記事ー「東大病」もそういう意味で書いています。
「思索の日記」http://www.doblog.com/weblog/myblog/29972

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

私にも一言:
山脇です。

武田さん、平野さん
私は一度も東大で学ぼうと思ったことがないまま、めぐり合わせで東大教員になった者ですが、東大卒の思考力の訓練が他の大学より劣るとは必ずしも思いません。政治家でも、中曽根、後藤田、宮沢らの東大卒は、石原(一橋)、小泉、橋本、竹中(慶応)、森、海部(早稲田)、安倍(成蹊)などより、政治的狡猾さを中心とした思考力(型にはまらないという点を含んで)では上だと思っています。ですから、すべてを「東大病」というのは、ある意味では痛快ですが、ある意味ではミスリーディングで、真面目な少数の東大生が可哀想だと思います。一元的な価値のヒステリーは、受験業界に多くの責任があるでしょう。
また、この問題は科挙制の伝統に通じるかもしれません。ちなみに、韓国や中国や台湾の受験戦争は、日本以上にすさまじいと聞いています。
山脇直司

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

山脇さんへ。
武田です。

この問題は、経験的次元でどこがいい、悪いという話とは違うのです。(私は「慶応」の福沢主義の問題を批判し続けてきました。)

「一元的な価値信奉は人間を幸福にしない、旧・帝大中心の日本の教育政策には大きな問題がある、いくつもの違ったよさをもつ大学を育てなければいけない、、、」ということを東大の人も非東大の人も、心ある人は皆が一緒になって言わなければ、と思いますが、どうでしょうか?「官の支配」ということは、この問題と直結しているのですから。「公共善」をつくるためには各自が自分の所属する世界を相対化する営みが必要です。

佐々木毅学長が率先して、日本人の「東大病」を改める必要とそのための具体的方策を提言すれば、ふつうの市民の側に立つ健康な精神をもつ大学として、より東大の価値が上がるのではないでしょうか?

「東大病」とは、日本人の多くが東大絶対の信仰をもっていることを指す言葉なのですから、東大関係者が率先して、「東大病を治しましょう!」と言うのがよいと思います。ぜひそうしましょう。

笑って自己変革のできる余裕のある精神が底力のあるほんものの「公共哲学」を生むと思います。内と外のラディカルな変革を共にしましょう!真面目な東大生は私の提言に賛同してくれると思います。心配無用です(笑)。

では、また。失礼。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――


武田さん

お返事に納得しました。
あと蛇足ですが、佐々木毅さんはこの3月末で退任し、現在の学長は工学部出身です。ちなみに、佐々木毅さんは、思想史家としては大変優秀な方でしたが、公共哲学に関して言えば、私と違って「市民的公共性」と「政府の公」を峻別しようとしません。そのせいでしょうか、学長職にあっても、法学部的発想の域を出ず、期待はずれに終わった感じがします。あと、東大法学部のど真ん中で学んだ小林正弥さんにも、現在は平和運動やCOEでご多忙でしょうが、東大論をこのMLで書いてもらえれば面白いでしょう。

山脇直司


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「マジメ」とは狭い囚われの自我のことー自他を不幸にします。あなたは?

2005-06-28 | メール・往復書簡

以下は、白樺MLでのやりとりです。

高城久です。

昨日、武田先生が治療に来て、終わったあと、少し話しをしました。

武田先生は

「まして宗教者の固いあるいは『マジメ』な人間性にはウンザリで、どこか深いところで「インチキ」(自己欺瞞)をしているな…」

というように「マジメ」をネガティブに捉えることが多いのです。
もちろん、小泉純一郎氏のようなフマジメを奨励していることではないのは明白です。

私はここにあるような教条的というか型にはまったマジメを限定的に指していると解釈していて
確認のために質問してみると、タケセンはこう言いました。

「本物が好きなんですよ。」

親鸞の言葉を借りれば、本物とは『計らいのない』ということですか?と確認するとYESの答えでした。

つまり、念仏をするぞ!とか念仏を唱えなければいけないというのは凡夫の計らいで、
本物の念仏者は計らいがなく弥陀の本願が身体化して自然法爾(じねんほうに)の状態になるというのが親鸞の確信です。

「マジメ」をかるーく飛び越えて本物になりたいと思い、ふかーく納得です。



武田です。

その通りですね。

ひとつ付け加えると、「ほんもの」とは、「実用性」と「遊び心」の融合ですー「用の美」こそ本物の美(柳宗悦)。

日本の事実学=受験的な思想(神経質な愚か者の想念)とは対極にあるおおきく豊かな世界です。

一時の損得や他者の評価などに惑わされることのない「内的意味充実」の世界をつくりあげることが「ほんもの」です。

エロース豊かな生のことです。

ニセモノの顔は貧しいです。いつも「はからって」ばかりいるから、自分自身になれないのです。小さな自己を守ろうとして、殻に閉じこもればエロースはやってきません。「存在そのもの」の魅力が消えて「世間体人間」へと堕落するのです。

ちょっと思いつくままに。失礼。






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東大病ー近代天皇制=ヒステリーの制度化

2005-06-09 | メール・往復書簡

「東大病」=思考力の減衰(東大教授・山脇さんとのメール)-このすぐ下の記事
に対して以下のようなメールがありました。法律の専門家の方からです。


「日本の社会・人間問題の底には、「東大病」という名の精神病があります。右翼も左翼もその点では同じです。」(武田)

右も左もだけでなく、エリートも非エリートも「東大病」にかかっています。
もちろん私もそうです。
いくらか自覚があるかどうかの違いだけです。

「東大病」の根っこが近代天皇制にあるという認識が重要であると思います。
敗戦をきっかけにこれを清算すべきだったのですね。
それがないまま60年も過ぎてしまった。



そうですね。内容ではなく形式が優先するのです。それが人間を幸福にしないわけです。
東大生や東大教授個人が「どうこう」の問題ではなく、「一極絶対のヒステリー」の制度が皆を不幸にするのですね。意識を歪め、内容の豊かさを損なう生き方―価値観の象徴が「東大神話」です。その根っこが「近代天皇制」にあることはもちろんです。

誰とも何も変わらない生身の同じ人間を、「日本国民全員を統合する象徴」!?にしているのですから何ともおかしな話です。
生まれながらにして全て特別待遇の人間が存在し、「皇族」であるだけで敬語が使われるとは、人間の平等に反しますね~。ほんとに。
「東大」であることが偉かったり、「官僚」であることが偉かったり、「巨人」であることが偉かったりするのと同じです。
理不尽な話なのに誰も何も言えずに黙っているしかない。おかしな敬語で遇する。爽やかでない空気をつくって人々の深層意識を抑圧しているのが、こういう「形式が支配する」非人間的なシステムです。ヒステリーが制度化された社会が明治以降の日本です。

もっともこれだけ一極集中していると「もろい」ですから、本気で取り組めば変革は容易かもしれません。
「王様は裸だ」!と言い出す人が幾人か出れば、個々人から出発するエロースを奪うおかしなシステムは瓦解するでしょう。
もう21世紀、古代国家ではないのです。いつまで不合理極まりない「元号」を使い、時間―時代区分までひとりの人間の生死にゆだねているのでしょうね。愚かです。

「皇族の人権と市民精神の涵養」をぜひご覧下さい(クリック) 。日本社会の健全な発展のために、また皇族の人権を回復するためにも明治政府が作った「近代天皇制」を改めることが必要です。天皇家を「歴史・文化的存在」とし、天皇「象徴」の規定をやめなければいけません。

6.9 武田康弘

付加:6月10日 山脇さんからのコメントが入りました。わたしのコメントも貼り付けました。「コメント」をクリックしてご覧下さい。問題の本質が明瞭になると思います。




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東大病=思考力の衰退 (東大教授・山脇さんとのメール公開)

2005-06-07 | メール・往復書簡

私とメールで思想的なやりとりをしている山脇 直司 さん(「公共哲学とは何か」の著者・東大大学院院総合文化研究科教授)へのメールです。(公開にあたり一部カットしました)山脇さんからは「重く受け止める」との返信がきています。
以前の山脇さんとのやりとりについては「メール・往復書簡」クリックをご覧下さい。


山脇さんへ。
小堀桂一郎(東大名誉教授)のこと、
なるほど、そうですか。

情報処理能力と思考力は逆比例しがちです。自分の頭で考えることを始めると、深層的な理解は深まりますが、表層的な処理能力は落ちます。日本の教育は、深層の力(本来の意味での哲学)の開発については全くというほどできていません。したがって日本で頭がいいというのは、真に自分の頭では考えず、情報をパッチワークする能力が高いということにしかなりません。

深い思考力の持ち主=ソクラテスが文字を残さず、しかも自国語しか話さなかったということ、アインシュタインがアメリカに移住しても英語は最低限しか使わず思考はすべて母国語(ドイツ語)で行っていたこと、などの意味を掘り下げてみるのも一興かと思います。

ちょっと話がずれてしまいましたが、
戦前の東大国史科・主任教授の学生への一言ー「きみ、農民に歴史があるのかね?ブタに歴史がないのと同じで農民に歴史があるはずないだろう」と同じで、頭の芯が歪んでいて、歪んでいるのが自分の「偉さ」だと固く信じているのですから救いようがありません。現在の日本の「高級!?官僚」も同じ歪んだ「エリート!?」意識に囚われていますね。
(「イワンのばか」を書いたトルストイはさすが!です。)

日本の社会・人間問題のには、「東大病」という名の精神病があります。右翼も左翼もその点では同じです。『人間を幸福にしない日本というシステム』の源は、人間の価値・能力に対する偏った見方(あまりに侵食されているのでほとんど自覚できない)にあると思います。日本社会の本質的問題とは左右の政治対立という次元の話ではなく、もっと深く人間的エロースの源泉を涸らしてしまう[単眼的価値観刷り込み]の思想・制度(社会思想的なことばで言えば「近代天皇制」)にあると思っています。韓国の人が「日本人は三人集まればもうそこに天皇制が始まる」と言いますが、その意味するところは何か?を探ることが核心です。外面、役割の固定化、秘密主義、、、、、

即物的、決定論的思考、序列主義ー権威主義、紋切り型、深層ヒステリー、潔癖症、規範主義、、、、しなやかさー自由さを消去するこうした意識は深く人間生活の全てを覆っています。ちょっと油断すると改革者の頭も心もすぐに染まります。或る「構造」が厳として存在するからです。有名大学に行くのは、日本社会での序列上位を獲得することが最大の目的なのですから、『哲学』は永遠にやってきません。哲学は大学内「哲学科」の職業としてだけ存在する、というわけです。

山脇さんはめずらしく現状変革的な方なので、ぜひ内部からの問題提起をしてもらいたいと思います。いかがでしょうか?何よりも深く重い課題ですが。同志としてエールを送ります。

2005.6.6 武田康弘



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櫻井よしこさんの変心?『社会問題への取り組み』(メール)

2005-05-12 | メール・往復書簡

以下は、白樺同人の高城久さんと私の「白樺ML」でのやりとりです。


武田先生
高城です。

櫻井よしこさんのこのところの発言は
Bさんとは違った意味で危惧しています。

テレビ朝日のサンデープロジェクトに出演した際の発言を聞いていると
対中国、対北朝鮮などへの発言は以前とは違って非常にラジカルになってきています。

1例をあげれば、
小泉内閣4年間の評価は出演者の中で一人だけ落第点だったのですが
唯一評価できることは外圧があっても靖国神社に参拝してることと言っていました。
他にも中国の反日教育への論拠を示さない批判、北朝鮮への制裁強化
などなど以前のリベラルな櫻井さんからは考えられない発言が多すぎます。

しばらく前に武田先生に
北朝鮮への制裁強化の発言は櫻井さんらしくないと言ったら
拉致被害者の方々へ取材を通して、憤りに共感したための過激さだろう、と言っていましたが
何かが櫻井さんの思想を変えたと解釈した方がよいような気がします。

私などは気持ちが熱くなると語り口まで熱くなってしまって失敗することが多いので
櫻井さんを見習いたいと思っていただけに最近の発言の内容を吟味すると
残念でなりません。




高城様。
武田です。

私は、基本的にテレビに出る「人」の発言はあまり「マジメ」には見ていません。(昔、日本テレビのアナウンサー?をしていた頃の桜井さんは、なかなか魅力的!な女性だな、と思いましたが、)

テレビ人の発言は、その時々の「流行」を正逆双方で支えるものです。その役回りに自分を合わせる(られる)人がテレビをつくっているわけですから、そういう世界のショーとして「楽しめ?ば」いいのではないでしょうか?

別に桜井さんという個人の思想がどう変わろうと、どうでもいいことだとしか思えません。
変心!する人も多いですが、本人の人生の選びの問題ですしね。
ただ、私個人としては、強靭で美しい人生=自分の心に忠実な人を愛しますし、社会思想の一貫性は大変重要なことだと考えていますが。

なお、わたしが「転送」したメールの主題はそこにはなく、憲法問題です。Bさんのように個人のキャラクターの問題に眼を向けての批判は、虚しいということです。すでに「負けている」証拠です。社会問題は、社会思想の次元で深く説得的な言説を編み出さなければいけません。個人レベルの「うわさ会議」をしているような「弱い」精神では、戦う前に敗北者です。そのことを強く言いたかったための「転送」メールでした。他山の石とするために。

では、また。




武田先生。
高城です。

武田先生のように階層の違いを見事に見抜ける人は稀なのではないでしょうか?
レヴェルの違うことをいっしょくたに見てしまう人の方が多いのではないでしょうか?

いわゆる論客と言われている人の発言と自分の意見が似ていた場合
それによって自分の意見の正当性の証明をしている「弱い」人が沢山いるのではないでしょうか?
そういう人にとってのポピュリズム真っ盛りの今の世の中、影響は多大だと考えるのですが・・・。

また、
「 テレビ人の発言は、その時々の「流行」を正逆双方で支えるものです。その役回りに自分を合わせる(られる)人がテレビをつくっているわけですから、そういう世界のショーとして「楽しめ?ば」いいのではないでしょうか?」

ここのテレビ人を日本の政治家に置き換えても充分意味が通じてしまいます。
テレビなら楽しめますが、政治となると??

櫻井さん個人のことよりこのことを言いたかったのです。




高城様。
武田です。

もちろん影響はあるでしょうが、左右両方の論客に影響される訳ですから、こういう話は主題にはなりません。

政治家のポピュリズムの問題は、大衆社会では致し方ないことです。
「大衆」から「市民」に成長するための最も大事な課題は、しっかり冷静に物事を見ること、真に説得的な考えと魅力的な生をつくることでしょう。
私=自分自身の「変身」!(変心ではなく)ですね。
自分の「永久革命」?が、社会を変える!というわけですが、新しい自分の開発は人生何よりのエロースです。

繰り返しますが、社会問題を考えるためには「社会思想」の探求が不可欠です。皆がやることはないですが、しっかり考えたい人はそれに取り組むことが必要です。変革のために大事な事は、皆がどうであるかではなく、私がどうするかです。変革のエロースとは縁のない人も大勢いますが、それはそれです。縁のある人がしっかりと取り組めばいいのです。

では、また。失礼。

2005.5.12 



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京セラの責任ーNシステムと645システムはわずか発売数年です。

2005-04-28 | メール・往復書簡
「コンタックス製造中止」のブログ(この下)に関してdelta16vさんから以下のようなコメントを頂きましたが、確かにおっしゃる通りだと思います。

ひどい話なのですから、「京セラ」経営陣の責任を追及しなければいけませんね。趣味のサークル内の話ではなく、社会問題ですから。

認識を新たにしました。ありがとうございます。



[delta16v] [2005/04/28 12:23] [ MyDoblog ]

レンズそのものの価値に対する責任というよりも、そのマウントと将来性を信じてシステムをそろえた顧客に対して、頭を下げるべきなんじゃないでしょうか。

645にしてもNにしても、長いマウントの歴史からすると、始めてすぐに投げ出した、と言われても仕方がないタイミングだと思います。


[タケセン] [2005/04/28 16:36] [ MyDoblog ]

コメント、ありがとうございます。

確かにそうですね。大資本ー「京セラ」という会社の無責任性を許してはいけないと思います。

具体的にはどうしましょうか?

武田康弘




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中国問題をめぐるやりとり=「違い」は「生産的」です。

2005-04-18 | メール・往復書簡
『メタフィジカルな気分』のlucienさんの中国への強い批判のブログをきっかけに、私と彼との間でコメントのやりとりがありました。 「違い」は、ものの見方を深め、クリアーにする意味でとても「生産的」です。 以下にやりとりをコピーして載せます。
lucienさん、ありがとうございます。


まずは、lucienさんのブログのコピーからお読み下さい。

中国の日本潰しが始まった~中国と断交してかまわん! lucien
[ 19:29 ] [ 読書録 ]
[ スライドショウ ]

中国の日本潰しが始まった
著者/訳者名 : 黄文雄/著
出版社名 : 徳間書店 (ISBN:4-19-861850-X)
発行年月 : 2004年04月
サイズ : 311P 20cm
価格 : 1,575円(税込)

はっきり言おう、中国の低脳な愚民どもが日本を嫌いなのであればとっとと国交断絶すべし。最近のあの低脳な愚民の愚挙には我慢ができかねる。日本大使館やら企業を「襲う」土民を「低脳な愚民」と呼ばずして何と呼べばいいのか。
反日教育をし、国内の各地に反日記念館を建設するヴァカ中共にどうしてODAなどするのだ?まるで貢物ではないか。核ミサイルだかが東京とか各都市に照準を合わせているような国にここまでされて私たちは何も言わないのだろうか。何も感じないのだろうか。

本書はなぜ中国人が反日行為を繰り返すのかがよくわかる本だ。
その梗概はやはり国内の所得格差の拡大や高率な失業率や腐敗した政治体制への不満、独裁的で不自由な体制への不満によって為政者は体制維持に危機感を感じていて、もはや求心力を失った共産主義ではなく、外部の日本の悪行に愚民の目を向けさせて乗り切っているのだという。

やはりそういうことか。反日教育やキャンペーンは江沢民が主席になってから特に力が入れられたのだが、その環境で育った若い層が反日運動の主力なのだそうだ。

さらに、中国では民主主義化は不可能だとする、かなり説得力のある議論がなされている。
民主主義は小国の原理であって、広大な多元的多民族をまとめるには中央集権的な独裁体制しかありえないこと。また、有徳者が天に代わって万民を統率することが中国では理想とされていること。そういえば儒教は国家を運営する哲学だとも言える。
中国では国家を存続させるには民族主義を高揚させるしかないらしい。

とっとと中共など潰れて、民主主義が可能な程度の小国に分裂してくれ。中共なんかの存続のために反日などされたらたまらん。




以下は、コメントのやりとりです。

[タケセン] [2005/04/12 09:06] [ MyDoblog ]
元・特攻隊員の話、「チャンコロの首を切るとどんな音がするか分かるか?」をアップしました。(「思索の日記」)
東京新聞の紹介記事ですが、どう思われますか?
(武田康弘)



[lucien] [2005/04/12 09:50] [ MyDoblog ]
こんにちは。
旧日本軍の大虐殺事件や731部隊等の残虐行為は一応知ってますが、それがゆすりたかりのネタにされてはたまらないということです。残虐さでは中国人も日本人に負けてはいないと思いますし。
海底資源の強奪、原潜の領海侵犯、尖閣諸島や台湾問題、靖国内政干渉問題など、中国が日本を刺激し続ければやがて日本も右傾化することは誰でもわかることなのですから、中国も戦争から何も学んでいないことになります。
私は戦争など真っ平ゴメンですが、これから先日本の危険なナショナリズム高揚は避けられないでしょう。



[タケセン] [2005/04/13 12:09] [ MyDoblog ]
避けられないかもしれませんが、避けようではありませんか!自分と皆の意識を変えていく営みー思索と実践ーには、おおきなエロースがあります。
lucienさんは、せっかくたくさん本を読み、よく思索しているのですから、それを大いに活用し、日本社会をよく変えていくために一肌脱いで下さい!笑。期待していますよ。
(武田康弘)



[lucien] [2005/04/13 17:12] [ MyDoblog ]
もしかすると、普通の国程度の正常なナショナリズムが広がるのが「良い世の中」になることかもしれません。
最近の中国の態度を見ているとそう思います。



[タケセン] [2005/04/14 10:49] [ MyDoblog ]
自我の問題と同じでしょうね。自分が、自分が、と思っているとよい人間関係はひろがらない、結局は自分が損をする。「得」も「徳」も得られない。自民党政府のように、明治政府が作った「国家神道」という宗教の施設=靖国神社を是認していては、日本は、『ふつう』の市民社会になれません。これは国際問題であるより先に国内問題です。ふつうの愛国心ー健全な皆の得になるふつうのナショナリズムが育つ土壌がつくれません。よき日本の伝統を断ち切った明治政府の「近代天皇制」=現人神の思想を大元から批判し、日本版の市民精神による市民社会(実は自治政治は500年前からの伝統)をつくる思想と実践的努力をしないと、「ふつう」にはなれず、柔らかさ・自由さを欠いた日本が、日本が、という国家自我主義に陥るしかないでしょう。芯の強い優しさー本物の強さをもった国にするには、自国を変える勇気を内外に示すことです。(武田康弘)



[lucien] [2005/04/15 23:31] [ MyDoblog ]
もちろんおっしゃるとおりだと思います。明治政府の廃仏毀釈はまったく余計なことでした。しかしどうしても国家の近代化を急いでやろうとすると、天皇という超越者をしつらえて強力な求心力も必要だったわけです。そういった自我=内面のナショナリズムというより、私がこの記事で言っていることはただ単なる普通の人間的感情なんですが。中国人民は本当に不幸な人たちです。反日が中共のガス抜きだと気が付いている人もいるでしょうけど、もうちょっと賢くなってほしい。それか、いっそのこと反日デモが爆発してその矛先が中共に向いて民主革命でも起こればと。



[タケセン] [2005/04/17 22:03] [ MyDoblog ]
中国政府の思想や政策、「反日」の過激な行為をする中国人への批判は分かりますが、私たち日本人が取り組むことは、日本社会の問題をしっかりと分析し、解決していくことではないでしょうか?
もし、真に明治中期以後の天皇教の「洗脳教育」を批判し、「靖国」問題をしっかりとクリアーしていれば、とっくにアジア諸国の真のリーダーとして尊敬を集める国になっていたはずです。
自国の問題の深い解決は、自国ー他国の双方に大きな「得」と「徳」をもたらします。 今からでもいいのです。ほんものの「知」に関心のある人は、健全な社会実現のために力を出そうではありませんか。 他国の批判はたやすいですが、自国を見つめることは難しいものです。 お互い少しづつ前進しましょう!!
(武田康弘)



[lucien] [2005/04/18 20:24] [ MyDoblog ]
何回も言ってしまいますが、武田先生のおっしゃることはもっともだし、私も賛同するのですが、今どきの人たち(もちろん例外もたくさんいます)にとって、先生のおっしゃることはあまり意味を持ち得ないと思いますよ。何しろ2005/04/18 の記事に書いているような現実は既知のことであり、正論によって世界が変わると信じる若者は本当に少数です。大人も同様でしょう。だから「世の中なんてぶっ壊れてしまえ」とみんな思っているわけです。シニスムやニヒリズムの上で彼らは認識や判断を構築してるので、根本的な地点からニヒリズムを揺さぶるような戦法を取らない限り無理があるのではないでしょうか。



[タケセン] [2005/04/18 23:59] [ MyDoblog ]
そうですか。正論=まともでは如何ともし難い、という感じもよく分かります。私は、「ふつうの人間じゃない!」「哲学者だから・・」などと評されることもありますが、あえて「真正面」・「健全」・「楽天」を貫いてきました。私の内的な意味充実の世界が、外的な負の世界(個人であれ社会であれ)を蹴飛ばしてしまうのです。私に自ずとやって来る内的な確信は、意味=「なぜ?」「どうしたらよいだろうか?」を考えることを、歯磨きのように習慣化したところから生まれるようです。悲観的な情報も自分の生を豊かにするために「逆転」させてしまいます。特権や固い組織に守られていない人と子どもたちが勇気と元気を持てるように考えようとする癖があります。常に具体的に思考し、実践します。そうすると不思議とエネルギーが湧き、力に満ちるのです。「健全」以外はない、というのが私のイデオロギーです。つき合わせてしまい御免なさいね。 



最後に私の信条を書きます。 武田康弘

原理的な思考により、「ほんとう」をつかむこと、「現実」に負けないこと、愚直に本道を歩むこと以外には道はないと思います。
たとえ多くの人が「気だるさ」に支配され、「ごまかし」や「その場しのぎ」の生き方をしていたとしても、それに引きずられては「損」です。
「社会」に逃げてはいけません。問題とは、結局は「自分」の問題なのですから。皆がどう言おうと、自分がよく生きることです。
社会問題を考えるのは、既成秩序のツマラナサを批判して、新たなエロースを広げるためです。受動性から能動性へと人生を転化するためです。真に自分を中心に生きるためです。それ以外にはありません。
あらゆる学と思考は、人生を肯定するためにのみ意味と価値をもちます。逆に言えば、自分の人生を肯定し、喜び・悦び・歓びを広げるような選び=決断を断固として行う勇気が必要です。展望のない思考には存在理由がありません。よき実践=行為をともなわない思考は、有害・有毒で、人生からエロースを奪ってしまいます。(4.19)





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嬉・ブログ内で成立!!「アイデンティティ」の踏み込んだ議論=「民知」

2005-03-24 | メール・往復書簡

「互いの誠実さへの信憑」が心のどこかで成立していると、全く趣味もタイプも違う人間同士が、ブログ上のやり取りで議論を深めることができるという貴重な経験をしました。
ブログ者は、「民芸」 クリックならぬ、「民知クリックを実践し、広げていきませんか?


現代人の重要な課題―「アイデンティティ」についてのやりとりを以下に貼り付けます。


以下は、lucienさんのブログです。

昨日続いて、宮台の言う「流動性社会」について考え続けてしまっている。
流動性社会とはアイデンティティの得にくい社会のことだ。たいていの人はただのサラリーマンであり、ただの主婦であり、ただの学生であり、ただの自営業者であり、ただのニートである。サラリーマンなどはクビになれば代わりの人間など掃いて捨てるほどいるのが現実だ。その人にしかできない仕事や行為を為せる人間はごく少数で、あなたのやっていることは別にあなたがやる必然性を持っていない。誰でもできることなのである。人間が生きていくにはアトリビューション(属性)=共同体からの承認が必要だ。しかし現在の社会に生きることは常にそれが脅かされている。
それを解消する手段として宗教があるだろう。某創価学会を思い起こしてみれば、選挙に勝利するために粉身砕骨するあの人たちの顔の輝きは何なのだろう、と、羨ましくさえ思える。
私とてかつて変な夢想に囚われたことがある。三島由紀夫を耽読していた当時、強引に「祖国防衛」という目的を作り出し、盾の会という共同体を作り出し、「文化概念としての天皇」、つまりアイデンティティの根源としての天皇を戴いて自決したあの事件について深く知るにつれ、戦前の「皇国の臣民」としてのアイデンティティとはいかなるものであったのかリアルなものとして妄想した。
三島由紀夫事件もアイデンティティの問題が根源にあるとして切り取ることができそうである。無いアイデンティティを強引に作り出す奇怪さがそこにある。豊穣な創造力+強烈なアイデンティティへの欲求が重なってあのような結果を招いたのだが、一般人には危険極まりないものだと気がついて、私はなんとかバランスを取り戻すことができた。

社会からの承認を得たいとする欲求が強すぎるとどんな奇形が発生するのか。私にはホリエモンが思い浮かんでしまう。
逆に社会からの承認を諦めてしまえばどうなるか。そういった人たちは脱社会化し、無規範的な行動に陥るか、自分でオリジナルな行動規範を作り出してしまうかだ。社会とは無関係な場所に自分勝手なバモイドオキ神を創造した酒鬼薔薇が好例だといえる。

「承認の供給不足」はそういった脱社会的人間たちを量産すると同時にホリエモンのような奇形も生み出してしまう。また、精神的な問題を抱える人たちも生み出している。
現在の成熟化社会における最大の問題はこのアイデンティティの問題なのではないか。いったいどうしたら良いというのだ。
昔のような地域共同体の復活などあり得ない。おせっかいババアにお説教ジジイと共に閉域で生活することはもうあり得ないだろうし、マスメディアやネットなどのマスコミニュケーションのもたらす存在の流動性は地球上の隅々にまであまねくスタンダートとして確立しつつある。
これからますます殺伐とした社会になることは覚悟しなければならない。そういうことを考えていると本当に絶望的な気分になる。こういう状態が長く続くと、一人のカリスマの出現によって一気に全体主義へ流れていくことも容易に想像できるからだ。



私(武田)のコメント

[タケセン] [2005/03/22 02:06] [ MyDoblog ]

同感です。
鋭い指摘だと思います。

現代社会では、「意味論」(本質学)なき「事実学」の積み上げが「知」だとされてしまうために、直観=体験能力が養われず、心身全体による会得=腑に落ちる納得が得られません。

自己のアイデンティティとは、深い納得=「意味充実」の世界がもたらす充足感によりますが、ゲームとしての「知」では、やればやるほど自己解体を加速し、ニヒリズムを招来してしまいます。

世間から隔離されて育ったお坊ちゃま(三島)も、百科事典相手に育った東大坊や(ホリエ)も、人間の最終の拠り所=「内在」として知覚が希薄なのでしょう。哀れです。


lucienさんのブログ

コメントどうもありがとうございます。
お返事が長くなりそうなので、いっそ記事にしてしまいたいと思います。

日本では一般的には意味論というのは非常に難しいことだと思います。
よく言われていることですが、キリスト教圏では論理や倫理の最終的な保証を神が受け持っているので、意味論が回転し展開することができるのですが、日本では意味論を追求していったらとたんに虚無に転落するような気がします。
共同体の知恵としての「神」という概念が、本当に私たちの社会にも必要だと感じます。もちろん宗教的な神ではなく、神と同様な機能を果たす、何がしかの共同幻想ですが。
戦前までは明治政府によって天皇が復活して地域共同体の上部にメタレベルの共同性を構築し、急激な文明的近代国家へとまとめあげることに成功したわけですが、戦後になって経済成長に目処がついた1980年代あたりから成熟社会になると、とたんに足元に虚無が広がっていることに気づかざるを得ないわけです。

何がしかのメタレベルの神的な共同幻想は自分のアイデンティティを試行錯誤の下に構築できる人たちが多数な社会なのでしたら必要のない措置だと思いますが、いかせん、私を含めて他者からの「承認」の供給を待ち続けてしまうような凡人だらけなのですから。昨今の占いブームの根源もここにあると思います。そしてますますこの傾向は加速するはずですし、非常に危険な状態にあるような気がしてなりません。
この状況につけこめばオウムの麻原みたいな詐欺師が簡単に事を成せますし、殺人にいたる敷居の低い人間たち(些細なことで殺人に至るような)が増えるはずです。

メタレベルの共同幻想を作り出す(これ自体が危険なことなのですが)のでなければ、自分で意味の試行錯誤をし、内面の強度(濃密さ)を作り出せるようなスキルを開発する必要があると思います。
しかし、私にはそのスキルをどのように開発すれば良いのか、さっぱりわからないのですが。この仕事はおそらく、広義のクリエイター、哲学者、思想家、芸術家、音楽家、教育者、小説家、政治家、科学者、などが知恵を振り絞って即急に取り組まなければならないと思います。
[ 更新日時:2005/03/22 23:50 ]


私(武田)のコメント

[タケセン] [2005/03/23 14:08] [ MyDoblog ]

lucien様。よい議論ができて感謝です。 

自己肯定ができるような「小さな物語」をつくりつつ生活すること、その積み上げ以外に、アイデンティティの確立はないと思います。

肝心なのは、「情報知」と「心身全体による会得」の違いの自覚、その図と地の関係を逆転させないこと。足は大地に根を張って、心は宇宙を駆け巡る、というわけです。

この種の問題解決には、残念ですが、「専門家」は無力です。日々の創意工夫という「足元」から以外に出発点はありません。

外にではなく、誰でも、自分の中に神ならざる「神」はいるー至高のよきものは、あなたやわたしの内部にのみ住んでいる、と考えるのが哲学の立場です。 

よろしければ、2004.11.23.と 12.16 のブログもご覧下さい。 武田康弘



lucienさんのコメント

[lucien] [2005/03/23 18:26] [ MyDoblog ]

武田さま
こちらこそコメントいただいて光栄です。

『外にではなく、誰でも、自分の中に神ならざる「神」はいるー至高のよきものは、あな
たやわたしの内部にのみ住んでいる、と考えるのが哲学の立場です。』
このような信念の元に試行錯誤ができるように、学校で教えるべきでしょうね。アイデンティティを心身全体で会得するのがまず第一なのはまったくそう思います。

現在は「情報知」が圧倒的に優位になっていますが、だんだんとそういった弊害に気がつく人が増えていると思います。子供が、他者とのコミュニケーションを取りながら遊ぶ重要性を指摘する学者も増えていますし。だいたい「音読することによってボケない」という最近の健康法の流行なんかも、情報と肉体的なパフォーマンスの融合の重要性が再発見されているように見えます。

しかし、アイデンティティの問題というのは難しいですね。はっきり言って私の手に負えません。



私(武田)のまとめです。

lucienさんは、私の手に負えないと言っていますが、ここには、答えがきちんと示されています。
後は、この原理をどのように実行していくか?だと思います。


余談になりますが、lucienさん、様々な問題を真正面から主体的に受け止めて思考されています。今の日本人には、稀有な人だと思います。これからもぜひ、楽しく気張らず、自由な文書―思考を続けて下さい。 「民知」と共にあらんことを!

2005.3.24 武田康弘



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速報!ヨーロッパ憲法・総選挙結果ースペイン (j.マシア)

2005-02-22 | メール・往復書簡

武田様
以下のメールを公共哲学関係のメーリングリストに流しましたので、参考までに転送致します。
山脇直司

昨年3月のスペインのマドリードでのテロ事件に関して「テロに打ち勝つ平和運動」というメッセージを送ってくれたスペイン在住のマシア神父から、今回のスペインでの選挙に関して、以下のメッセージが届いたので、転送します。日本の今後の政治のあり方に対する皆さまの政治的想像力への刺激財として、各方面に転送して頂ければ幸いです。 山脇直司



 日本人の友達への通信 (2月21日零時) J.マシア 

ただいま、ヨーロッパ憲法に対する国民の意思表示を表す総選挙の結果が明らかにな り、総数(75、5%以上)賛成だったという良い知らせをみなさんと分かち合 いたい。

去年までの前政権は積極的ではなかったが、今回は現政権(社会党)も、野党(前政
権の人民党)も一緒になってヨーロッパの一致をつよめる路線を打ち出すことができてありがたかった。

スペインは人口的にも経済的にも大きな重みはないのに、去年イラクから引き上げ、 不正な侵略戦争に反対し、米国に向かって「否」と言えたのはドン.キホーテ的な精神の現れとでも言えるだろうか。今回ヨーロッパでヨーロッパ憲法を支持する国民意志表示をこのように表すのはスペインがはじめて。

とにかく、ユートピアの少ない世の中にいながら平和への夢を見続けたいものである。戦後六十年の日本がど うか平和憲法を守り続けて下さるように願いつつ... 

 J.マシア (マド リード、コミリャス大学にて)。


(改行、下線、字句の間違え訂正は、私・武田です。)

真剣な思想の交換ー山脇・武田 メール公開・第五弾ークリック







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マシア神父(スペイン)からのメッセージ「テロに打ち勝つ市民運動」

2005-02-11 | メール・往復書簡

私とメールで思想的なやりとりをしている山脇さんのご友人ーマシア神父からのメッセージです。「真剣な思想の交換ーメール公開」もご覧下さい。


東京大学教員の山脇直司です。
私の友人であり長らく上智大学で教え、この2月からマドリードに帰ったマシア神父
から、スペインでの3.11以降の一連の動きについて日本語で感動的なメッセージ
を頂いたので、転送致します。
山脇直司


≪テロに打ち勝つ平和運動≫

J.マシア、S.J.(スペイン・コミリャス大学生命倫理研究所長)

3/11にスペイン人および多国籍社会のマドリードで生活している人々の心の中
には二つの実感がまざっていた。つまり、悲しい事件のつらさとすばらしい出来事の
刺激であった。悲しい事件というのは三台の列車同時多発テロであった。すばらしい
出来事というのは平和を求める動きの盛り上がりであった。

一週間以上経った今日は、アトチャ駅に何千本もの蝋燭が燃え続けている。その前に
一日中祈る人が集っている。壁や柱にも、蝋燭の合間の床にも手書きの札が一杯。そ
れを読むと胸が高鳴る。「われわれはみん兄弟」、「あなたがたを忘れない」、「国
籍の壁をやぶろう」、「戦争は解決ではない」、「あの列車の中に我々は皆のっ
ていた」等など...

そして、3/14の選挙の結果引き起こされた政権交代によって戦争反対と平和支持
の運動への明るい展望が開かれたスペインのこのごろである。

では、その出来事の実感が覚めないうちに以下の箇条書きをまとめることにした。平
和と和解の世の中を作っていくために日本の読者にとって参考になれば幸いである。

 ◇ ◇ ◇
 
1.<多国籍社会の被害者>

犠牲者の大部分は移民労働者と学生だった。モロッコ人もふくむ11国籍の人々で
あった。在留許可を持たない人もいると推測されたが、政府は被害者とその家族に在
留許可を与え、国籍がほしければそれも与えると発表して、かれらを安心させた。
「たとえ不法入国者だとしても、安心して病院にいらしてください」と述べた法務大
臣の対応の仕方が、注目された。マドリッド市長の言葉も印象的だった。「この事件
をきっかけにけっして移民やイスラム系の人々一般に対して差別してはいけません。
彼等はわれわれであって、われわれは彼等である」。と

2.< 教会はあくまでも平和を訴え、戦争に反対する>

爆発が起こった駅のそばにあるイエズス会の教会で、マドリードの枢機卿がミサを行
い、和解と平和を訴えた。多くの教会でも死者の冥福を祈り、平和を求める集いが行
われた。説教の中で次の訴えはよく聞こえた。「テロに打ち勝つのは爆弾や戦争でも
なければ、嘘や暴力でもない」。テロリストにも、犠牲者の中にも、モロッコ人がい
たが、モロッコで行われた犠牲者の葬儀では、カトリックの司教とイスラムのイマム
(導師)とユダヤ教のラビ(聖職者)が共に祈り、平和を訴えた。

3.<諸宗教の反省>

スペインのいくつかのイスラム教のモスクの責任者たちはテロ事件を断罪し、被害者
の冥福を祈った。「イスラムのテロ」という言い方をやめて、われわれは「アルカイ
ダのテロ」というべきであろう。イスラムの中でも自分達の伝統について反省をおこ
なっている宗教者もいれば、原理主義的にコランを解釈するものもいる。キリスト教
の中でも、福音的な平和をもとめる者もいれば、原理主義的に戦争を宗教で正当化し
ようとする者もいる。どの宗教でも自己反省が必要である。キリスト教は十字軍や宗
教裁判に対して反省と謝罪をしたように、諸宗教におけるその歴史にみられたそれな
りの暗いところを乗り越える必要がある。

4.<戦争は解決ではない>

イラクへの先制攻撃はテロにうちかつどころかそれを増やしたことがあまりにも明確
になった。チェチェニアに対するロシアの態度もパレスチナにたいするイスラエルの
攻撃もますます暴力の連鎖を招いている。ブッシュ大統領の側近で力を握っている
「軍人」と「企業」と「原理主義的なイデオロギ-」に反対することは世界的に現在
の最も緊急な課題である。

5.<「テロとの戦い」という言葉を避けて、「テロから市民を守り、暴力から解放
する」と言う方が適切である>

テロリストたちのことを「敵軍」とみなすよりも「犯罪人」とみなすべきである。そ
うした犯罪に対する国際的な対策は必要であることが認められる。しかし、その対策
はミサイル、戦争、爆撃などではなく、別な方法を取るべきである。例えば、テロリ
ストの金銭的源泉を制御したり、テロリストが育つ国の協力を得たり、警察の国際的
な協力を強めたりすることがあげられる。しかし、イラク戦争での過ちを繰り返すべ
きではない。その過ちというのは、国際法を無視したこと、倫理的に認められない先
制攻撃を正当化しようとしたこと、グアンタナモ基地で捕虜された人々の人権をまも
らず法治国家のルールをやぶったこと、全世界でテロを引き起こす原因を増やしたこ
と(9/11やバリ島やカサブランカやマドリッド等でテロによって死んだ人の数よ
りもアフガンやイラクで死んだ一般市民の数が多い)。

6.<一般市民こそ主人公>

3月13日の平和行進には、雨の中、205万人が参加した。若者、お年寄り、乳母
車に赤ちゃんを乗せた若い夫婦。プラカードには「平和」の言葉が目立った。テロ反
対の行進は、戦争反対と平和を求めるものでもあった。やはり、9.11の時とはさ
まざまな面で違いが見られる。主体は政治家ではな一般市民であった。

7.<政治家の操作と軍事の力よりも世論の声が強い>

当初から国際テロではないかという推測があったが、それを隠して、スペイン内部の
問題だと見せかけようとした
政府の対応は市民の反感をかった。一年前に戦争を支持した現政権への批判が高まっ
た。選挙の結果は、政権交代が実現した。

8.<恐怖の投票よりも勇気の投票だった>

テロの恐怖の中で選挙が行われれば、 与党・保守党が勝ち、テロへの対応が米国追
従になるかもしれないと予測した人々もいたが、結果は一般市民による平和への叫び
が勝った。決してテロリストに譲ったからではなく、テロと暴力と戦争などに打ち勝
ちたいからこそわれわれは政権交代をもとめたのである。

9.<われわれは皆被害>

10歳のこどもが記者から聞かれていた。「あの電車の中に学校の友だちがいました
か」。答えは、「殺された200人は僕の兄弟です」。なるほど、彼は被害者ととも
に痛みを感じ、自分も被害者だと感じていた。

10.<われわれは皆加害者>

霊安室で遺体を運んでいた職員は、心の痛みでたまらなくなって、「殺人者を殺せ」
と叫び出した。彼を慰めたのは被害者遺族であった。一部分しか残らなかった殺され
た子どもの遺体を前に、立っていたお父さんは、その職員を抱きながら言った。「お
ちついて下さい。私たちは復讐を求めない。戦争と憎しみはもうたくさんだ。平和、
平和を…殺された息子の死が無駄にならないよう … 私も怒っているけれど、暴力を
止めましょう。黙って祈ったほうがよい…」。放送されたこの言葉には、録音してい
た放送局員の泣き声が混じっていた。

11.<許し合うこころこそ暴力に打ち勝つ>

犠牲者遺族から、次のような手紙が届いた。「私は3.11で息子を殺されました。
痛みで胸が一杯ですが、私たちと共に泣いてくれた人々を通して、神の慈しみを感じ
させられました。みなさんにもお祈りをお願いしますが、それは息子のためではなく
(なぜなら、息子は天国にいるからです)、テロを実行した人々と、それを計画した
人々のために祈ってください。彼等がもたらした傷をいやすため、また、彼等を支配
している悪を、彼等自身がそれを乗り越えるために必要な愛を見出すことができるよ
うに、祈ってください。私たちは息子の遺体を前にして、暴力が世の中からなくなる
よう全力を尽くすことを誓いました。世界に暴力より愛を選ぶ人々が増えれば、いく
らテロが起きても、愛が打ち勝つと確信しています」

(マドリッドにて、2004年3月20日)。






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