思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ルドルフ・ケンペーー人間味あふれる天才指揮者のつくる音楽をぜひ。

2012-09-16 | 趣味

ケンペ(1910-1976・ドレスデン生まれのドイツ人)のつくる音楽は、
清く、美しく、力強く、豊かです。
最良の意味で男性的。
くせ、歪み、臭みがなく、健康美に溢れます。
音は伸びやかで輝かしい。

正確で緻密で丁寧ですが、神経質さは微塵もありません。
抑圧や強権性は皆無で、人間的な優しさに満ちています。

病的な部分はどこにもなく、健全で自然です。

疎外感の克服とか不全感の解消という面がなく、これ見よがしなパフォーマンスも皆無で、実に気持ちのよい音で音楽が淀みなく流れます。複雑な楽曲も見通しよく音化し、苦渋や停滞が全くありません。生理的に快適で、いつまでも聴いていたくなります。

作曲家の意図を歪めずに素直に表します。
これほど無理なく幸福感と愉悦感に満ちた音楽つくった人をわたしは他に知りません。

評論家があまり取り上げないのは、完璧で欠点がないためでしょう。
ケンペの指揮で音楽を聴く習慣を持てば、人生に大きなプラスになること間違いなしです。バランスのよい健康な精神をつくります。臆病、卑屈さは消え、堂々と人生を歩む人になるでしょう。

音楽的には天才でありながら類まれな暖かい人間性の持ち主であったケンペは、エリザベス女王にもタクシードライバーにもまったく態度を変えないナイスガイで、オーケストラプレヤーにも聴衆にも最高に愛された人でしたが、1976年にわずか66歳でこの世を去りました。

出ているCDは名演ばかりですが、まず、11枚組のボックスセット(5200円)を求められることをお勧めします。録音も大変に優秀で美しい音です。

武田康弘

 

ルドルフ・ケンペ EMIレコーディングス(11CD)(期間限定盤)

ドイツ出身のケンペ[1910-1976]は抜群のオーケストラ・コントロールと温かく細心の解釈でトップ指揮者としての地位を確立しました。彼の主要なレパートリーを概観できる11CD。
クラムシェル・ボックス、32ページ・ブックレット、各CD紙製ケース入り。(EMI)

【収録情報】
CD1
ベートーヴェン:
1. 交響曲第1番ハ長調 Op.21
2. 交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 1972年6月23-26日、ビュルガーブロイ、ミュンヘン録音

CD2
1. 交響曲第5番ハ短調 Op.67
2. 交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 1971年12月20-23日(第5番)、1972年6月23-26日(第6番)、ビュルガーブロイ、ミュンヘン録音

CD3
ブラームス:
1. 交響曲第3番ヘ長調 Op.90
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 1960年1月19-23日、グリューネヴァルト教会、ベルリン録音

2. 交響曲第4番ホ短調 Op.98
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 1960年2月14,22,23日、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音

CD4
1. メンデルスゾーン:劇付随音楽『真夏の夜の夢』より
 序曲 Op.21/夜想曲 Op.61-7/スケルツォ Op.61-1/結婚行進曲 Op.61-9
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 1961年1月30日、2月2,3日、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音

2. リムスキー=コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 1967年2月16-17日、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音

CD5
ドヴォルザーク:
1. 交響曲第9番ホ短調 Op.95『新世界より』
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 1957年9月2日、グリューネヴァルト教会、ベルリン録音

2. スケルツォ・カプリチオーソ
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 1961年4月26日、1月27日、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音

3. ヴァインベルガー:バグパイプ吹きシュワンダ
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 1961年1月、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音

4. スメタナ:『売られた花嫁』組曲(4曲)
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 1961年1月、2月、4月、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音

CD6
リヒャルト・シュトラウス:
1. 交響詩『ドン・キホーテ』 Op.35
 ポール・トルトゥリエ(チェロ)
 ジュスト・カッポーネ(ヴィオラ)、ジークフリート・ボリース(ヴァイオリン)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 1958年6月、グリューネヴァルト教会、ベルリン録音

2. 交響詩『死と変容』
3. 『サロメ』~7枚のヴェールの踊り
 シュターツカペレ・ドレスデン
 1970年6月13-24日、ルカ教会、ドレスデン録音

CD7
1. 交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』 Op.28
2. 交響詩『ドン・ファン』 Op.20
3. 交響詩『英雄の生涯』 Op.40
 ペーター・ミリング(ヴァイオリン)
 シュターツカペレ・ドレスデン
 1970年6月(1,2)、1972年3月(3)、ルカ教会、ドレスデン録音

CD8
歌劇『ナクソス島のアリアドネ』より
1. Kindeskopf! Merkt auf
2. An Ihre Platz
 シルヴィア・ゲスティ(1)
 テレサ・ツィリス=ガラ(1-2)
 グンドゥラ・ヤノヴィツ(ソプラノ)
 テオ・アダム(バス)
 シュターツカペレ・ドレスデン
 1968年6月27日ー7月5日、ルカ教会、ドレスデン録音

ワーグナー:
歌劇『ローエングリン』より
3. 第1幕への前奏曲
4. 第3幕への前奏曲
5. 真心こめて先導いたします(婚礼の合唱)
6. ハインリヒ国王陛下万歳
7. Was bringen die?
8. Mein Herr und Konig
9. はるかな国に
 ジェス・トーマス(テナー)(8-9)
 ゴットロープ・フリック(バス)(6-9)
 ウィーン国立歌劇場合唱団
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1962年11月23-30日、12月1-5日、1963年4月1-3日、アン・デア・ウィーン劇場

楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より
10. 聖なる朝の夢解きの曲
11. Sankt Crispin. Lobet ihn!
12. Ihr Tanzt? Was werden die Meister sagen?
13. 朝はばら色に輝き(優勝の歌)
14. マイスターをあなどらないでください
 エリーザベト・グリュンマー(ソプラノ)(10,13-14)
 マルガ・ヘフゲン(メゾ・ソプラノ)(10,14)
 ルドルフ・ショック(テナー)(10,13-14)
 ゲルハルト・ウンガー(テナー)(10,12,14)
 フェルディナント・フランツ(バス・バリトン)(10、13-14)
 ゴットロープ・フリック(バス)(13-14)
 ベルリン聖ヘドヴィヒ教会合唱団
 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 1956年4月、ヴィンターガルテン、ベルリン録音

CD9
1. 『トリスタンとイゾルデ』~前奏曲と愛の死
2. 『パルジファル』~前奏曲
3. 『パルジファル』~聖金曜日の音楽
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1958年2月10-13,17日、ムジークフェラインザール、ウィーン録音

4. フンパーディンク:『ヘンゼルとグレーテル』組曲(ケンペ編)(5曲)
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 1961年1月、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音

CD10
1. マスカーニ:『友人フリッツ』第3幕への間奏曲
2. ポンキエッリ:『ジョコンダ』~時の踊り(第3幕)
3. フランツ・シュミット:『ノートル・ダム』間奏曲
4. グノー:『ファウスト』ワルツ(第2幕)
5. ヨーゼフ・バイヤー:『人形の精』バレエ音楽
6. オッフェンバック:『地獄のオルフェ』序曲
7. ゴトヴァッツ:『あの世からきた悪漢』より
8. シューベルト:『ロザムンデ』序曲 D644
9. シューベルト:『ロザムンデ』間奏曲第3番変ロ長調
10. シューベルト:『ロザムンデ』バレエ音楽第2番ト長調
11. グルック:『オルフェオとエウリディーチェ』~聖霊の踊り(モットル編)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1961年12月11-17日、ムジークフェラインザール、ウィーン録音

CD11
1. ヨハン・シュトラウス2世:『こうもり』-序曲
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ『ウィーンの森の物語』Op.325
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ『浮気心』Op.319
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『ディナミーデン』Op.173
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ『千夜一夜物語』Op.346
6. ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ『クラップフェンの森にて』Op.336
7. ヨハン・シュトラウス2世:皇帝円舞曲 Op.437
8. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『天体の音楽』Op.235
9. ヨハン・シュトラウス:ラデツキー行進曲 Op.228
10. レハール:ワルツ『金と銀』
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1958年2月12,19,20,22日(1,8-10)、1960年12月21-22日(2-7)、ムジークフェラインザール、ウィーン録音

 以上、ルドルフ・ケンペ(指揮)

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超名演と出会う!「ベートーベンピアノ協奏曲第4番」 フライシャー、クレンペラー 1956年ライブ

2012-09-04 | 趣味

10枚組で1132円! 
あまりに安いので、つい買ったCDのボックスセット(1950年代と1960年のクレンペラー指揮のベートーベン、ブラームス、ブルックナー)は、思わぬ名演が幾つもあって、よろこんで聴き進めていましたが、今まで知らなかったピアニストによるベート―ベンのピアノ協奏曲4番を聴いて、唖然呆然。グイグイ引き込まれ、鳥肌が立つほどの感動を味わいました。もう6回聴きました。

 ジャケットには、Leon Fleisher と記載されています。

 この演奏は、

リズムとテンポがよく、明瞭でダイナミック。
輝かしく剛毅にして、繊細で多彩。
変化に富むが全体はひとつ。

深みと平易、
思索的と身体的、
落ち着きと情熱、
痺れるような美音と沈思が両立。

豊かにして軽やか。
弱音と強音、深淵と愉悦の幅が広い。

とにかく、生理的快感があり、何度でも繰り返し聴いてしまう演奏。
まるでベートーベン自身が奏でているかのよう。

バックの巨人クレンペラーの指揮は、いつものように悠然・磐石。リズム感がよく揺るぎない。深く、大きく、豊かで、自然そのもの。ピアニストに霊感と自信を与えているように思える。これまたベートーベンのイデアを具現化したよう超名演。

わたしは、40数年間、これほどの4番の演奏は聴いたことがありません。

いま、あわててLeon Fleisher(レオン・フライシャー)について調べて見ました。うーーん、驚くべきことが分かりました。クリックしてみてください。

武田康弘

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「カルメン」の革命―サイモン・ラトル、恐るべし。

2012-08-23 | 趣味

今日(8月22日)、HMVで先行予約しておいた最新録音のビゼー『カルメン』(CD2枚組・EU輸入盤)全曲が届きました。イギリス人のラトルがベルリンフィルを用いてフランス人が一番敬愛するビゼーの代表作『カルメン』を演奏!なんとも珍妙な取り合わせ。下手物の『カルメン』かな、と興味半分で購入しました。

今日は定休日。メールやコメントへの返信などをしながら聞き始めましたが、最初は、「ずいぶん大人しいカルメンだな、やはりベルリンフィルではフランス音楽は無理だよな」と思いつつ、そのまま流していました。

暫くして、あれっ、これは、全く新しい解釈によるラトル版『カルメン』なのだな、じっくりと落ち着いて音楽の内容を聴き取ることができる。プリマドンナのためのカルメンではないし、歌手のためのカルメンでさえない。かつての名盤、カラスとプレートルの華やかで情熱的で湧き立つようなオペラではなく、明瞭な主張をもつ音楽劇で、時代に挑戦した天才ビゼーのイデーに焦点をあてた革新的な演奏かもしれないという気がしてきました。

さらに聴き進むと、これはとんでもない『カルメン』で、革命だな、と確信するようになりました。全体は有機的に一体で、2時間30分の物語は、主人公のカルメンのためにあるのではなく、普遍的な「人間の物語」になっているのです。うーーん、やはりラトルは凄い!と感心しながら聴き進めましたが、時間がないので一枚目で終わりとしました。

 夜遅くなり、再び聴きましたが、2枚目はさらに素晴らしく、もう完全に虜になりました。終曲の4幕を聴きながら、これは、「人間とは何か」を追求した音楽による「哲学物語」のようだ。しかも、哲学書のような晦渋とは無縁で、分かりやすく面白い。ラトルの明確な理念は、ベルリンフィルの名技もあり、実にスムースに気持ち良く展開し、何度も痺れるような快感におそわれます。演奏と同質のクリアで美しい録音も特筆ものです。

聴き終えての感動は、ベートーベンの交響曲にも劣りません。『カルメン』というオペラには、これほど普遍的で深いメッセージがあったのだ! 素晴らしい音楽体験をして興奮で眠れずにこれを書いています。凄い曲!凄い演奏!なかなか眠れそうにありません。

武田康弘

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラームスのヴァイオリン協奏曲ー私の愛聴盤ーオイストラフ+クレンペラー

2012-08-13 | 趣味

わたしは、ブラームスのヴァイオリン協奏曲が好きで、幾多の演奏を聴きました。名演と評された新旧の盤はほとんど聴いています。40年以上にわたり各々の演奏の「よさ」「美質」を感じ、楽しんできましたが、音楽の豊かさと大きさ、格調の高さ、堂々としたさま、技術が優れていること、ブラームスのもつ男のロマンの表出・・・・全てに心奪われる演奏があります。

 それが、ウクライナ生まれのダヴィド・オイストラフ(David Oistrakh・1908~1974)の演奏です。バックは巨人クレンペラー指揮のフランス放送管弦楽団(クレンペラーがフランスのオケを指揮した演奏は極めて珍しい)ですが、楷書的で艶やか、かつ微動だにせぬ磐石の演奏は、深々とした感動をもたらします。フランス放送管弦楽団のアインザッツの緩さは多少ありますが、音色の明るさはプラスに作用しています。

 EMIヨーロッパからの輸入盤は、従来のものとは比較にならぬほど音質が改善されていますので、ぜひ、お聴きください。素的なオマケ、ダヴィド・オイストラフが指揮とヴィオラ・ソロを受け持ち、息子のイーゴリがヴァイオリン・ソロを担当したモーツァルト:協奏交響曲変ホ長調 K.364もついています。

HMVのマルチバイでは、わすか764円ですが、いま確認したところ、今年2012年5月に出た限定盤ですでに完売。従来盤(2001年発売)も完売ですので、残念ですが、暫く待つか中古品を探す他ないようです。日本盤ならばいつでも入手可能です。


武田康弘

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラトルの『ブルックナー交響曲第9番』(4楽章付き)--内的充実の世界に外面的音楽を接ぎ木。

2012-07-07 | 趣味

Symphony No. 9

輸入盤のジャケット・国内盤より音がよいです。

 

ラトルのブルックナーはモダンで艶やかな演奏。過去の「ブルックナー臭い」名演とは異なり、実にチャーミングで色っぽい。うっとりするほどのベルリンフィルの名技にも支えられ、迫力満点。やはり、ラトルは現代最高の指揮者だな、と思います。

ところで、ブルックナーの9番は未完で第3楽章までですが、ラトル盤では第4楽章が演奏されています。以下は、ベルリンフィル・アーカイブのコピーです。

「 ブルックナーは、死の直前までこの作品に携わり、1896年に死去した時には、第4楽章を作曲している途中でした。残されたスケッチを元に完成が試みられ、これまでにも複数の完成版が発表されています。今回使用される「サマーレ、フィリップス、コールス、マッズーカ版」は、そのなかでも最も学究性が高いクリティカル・エディション。4人の音楽学者・作曲家が25年以上の歳月をかけて復元し、2010年にさらに改訂が行なわれました。
『交響曲第9番』は、ブルックナーの辞世の句と言われますが、彼は作品を「愛する神に」捧げました。第1楽章は生からの決別を暗示し、続くスケルツォは不吉な死の踊りを連想させます。第3楽章アダージョは深い憂愁と同時に、破滅的なカタストロフも内包しています。補筆版の終楽章は計647小節に至り、そのうち208小節は、ブルックナーにより完全に作曲されています。これに個々の弦楽パート、管楽器のスケッチが加わりますが、37小節分のみが研究者の純粋な創作です。完成されたスコアは、ブルックナーの偉大さを示す一方で、やや奇異な印象を与えるでしょう。しかしラトルは、次のように語っています。「このフィナーレで奇妙な個所は、すべてブルックナー自身の手によるものです。ここには、彼が当時体験した脅威、恐れ、感情のすべてが現われているのです。 」

しかし、この第四楽章は、第三楽章までの内的な音楽=内側から湧き上がるほんもの迫力とは全く異なり、外面的で少しも面白くありません。聞き続けるのが辛くなります。金管楽器の咆哮もうるさく、わざとらしのです。音楽が少しも心の内に入ってきません。わずかの違いが決定的な相違になる見本のようですが、現代的な虚しさを知るには好都合(笑)で、3楽章までの内的生命力に溢れた音楽と、4楽章の外的価値に幻惑され空疎な音楽との対比は、人間が生きる上でほんとうに必要なものが何かを示しています。その意味でもこの演奏は貴重です。ラトルの名演をもってしても、元がダメならどうにもなりません。

 

武田康弘

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クレンペラーのマーラー交響曲集・フランス盤の音のよさに唖然!安さにも。

2012-05-30 | 趣味

 クレンペラーのマーラーの交響曲は、曲を超えていると思えるほどの名演奏で、恐ろしくなるほどですが、
日本盤CD(LPも)で聴く限り、音が固く雰囲気に乏しく、録音に恵まれないな、と長年、残念に思ってきました。

 ところが、今回入手したフランス制作の6枚組(EMIにあるクレンペラー指揮の演奏の全て・2,4,7,9番と大地の歌、クリスタ・ルートヴィヒによる歌曲)の音のよさには、正直、度肝を抜かれました。

 きめ細やかで、明晰、響きが豊かで、ナマナマしく、同じ音源?と疑うほど日本盤(HS2088のハイビット盤)とは差があります。
低域の量感が多めなので、サブウーハーの音量は下げて再生していますが、オーケストラも声のナマっぽい美しさも唖然とするほどです。

 これは、売り切れる前に買わないと損です。6枚組で1800円弱とはどういうことでしょうか?安すぎです(笑)。

(なお、装置については、クリック)

 

武田康弘

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラヤンは、やっぱりダメ。

2012-05-24 | 趣味

わたしは、中学生のころからLPレコードを聴き始めましたが、最初の頃は、一番人気であったカラヤンのレコードも幾枚か買い求めました。ベートーベンの4番と8番、9番は、最初期によく聴いたものですが、しかし、高校2年生の頃から次第に嫌気がさし、買わなくなりました。

CD時代に入り、今まで千数百枚のCDを購入しましたが、彼のCDは、リヒャルトシュトラウスの歌劇「サロメ」全曲の一組だけ。

あまり長いこと聴かないのも悪いと思い(笑)、先ごろ、カラヤンの得意とするワーグナーの管弦楽曲集2枚を購入し、聴いてみました。この演奏は、批評家から「最高」と評価されているものです。

以下は、わたしの感想です。

 

意識には階層があるが、カラヤンの指揮で音楽を聞くと、感覚神経次元の音響的快感に留まり、音楽が魂(心の深部)に届かない。さらさらと流れてしまう。流線形のクルマがスーと走り抜ける快感はあるが、それ以上ではない。

大スペクタクル映画の面白さで、絢爛豪華。外見を磨き抜いた美は、精神ではなく感覚だけを痺れさす。エンターテナーの楽しさに徹しているので、商売としては上手いが、人間の生死の次元とは別で、なんとも軽々しい。

 わたしは、彼の上っ面の音響音楽は、人間性を堕落させると感じる。深味の世界とはまったく異質、作られたアトラクションの面白さの提供なので、カラヤンの音楽を聞いていると、精神がどんどん軽薄になっていくのが分かる。わたしには「耐えられない軽さ」としか感じられず、苦痛になる。

 

クラシックを気楽に楽しもう!というのならば、それでよいのでしょうが、わたしは、【外的価値の象徴】のようなカラヤンはご免こうむりたいと思います。彼のファンには申し訳ないですが、もしわたしの言っていることが変だとお思いの方は、騙されたと思って、クレンペラーのワーグナーを聴いてみて下さい。1960年~61年の古い録音ですが、幸いなことに、新技術(今年再発売のEMI MASTERS)でとてもよい音で聴けます。次元の違う世界を体感できるはずです。(なお、この輸入盤のCDは、HMVではとても安く買えます。)

どこまでも見通せるような透明性。
圧倒的な存在感。
微動だにしない精神の深み、大きさ。
まるで自然物のような安定とリズムの確かさ。
何もしていないのに、呆れるほどに強い表出力。
こんこんと地下からわき出る泉。
雄大な山脈の広がり。
広い海、永遠に繰り返す波。
演出ゼロ、まばゆい裸の魅力。

とんでもないものを聴いてしまった、誰もがそう思うでしょう。

武田康弘

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしの愛聴盤・ペライアの弾く「ヘンデル&スカルラッティ」は、豊かな名盤。

2012-04-07 | 趣味

1997年に発売されてから15年間、折に触れ聴き続けてきたマレイ・ペライアの弾く「ヘンデルのクラヴィーア組曲・スカルラッティのソナタ集」は、聴くたびに心豊かになります。

わたしが、よく使う「豊かな」という形容詞のイメージは、ペライアの弾くピアノと重なります。自由闊達でかつ上品な音楽が、確かな技術により確固として現れます。ほんとうに「豊か」な世界が広がります。貴族趣味の退廃や、差別的な優越とは無縁な、健康な生活世界から立ち昇る品位の高い豊かさです。

とっても素敵な名盤ですので、ぜひ、どうぞ。
録音も演奏とピタリとあったふくよかな美しさに溢れています。

日本盤

輸入盤US

武田康弘
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うーん、この差は・・わが小沢征爾とシャルル・ミンシュのベルリオーズ

2012-03-18 | 趣味

わたしは、高校生2年生の頃から40年以上にわたってベルリオーズの音楽を愛聴してきました。MIXIに『ベルリオーズの世界』というコミュをつくってもいます。

わたしは、高校生のころから若き小沢征爾のファンで、彼の書いた『ぼくの音楽武者修行』(音楽の友社刊・現在は新潮文庫)は、わたしの私塾『白樺教育館・ソクラテス教室』(当時の名称は『我孫子児童教室』)で、教材として使っていました。30年以上前のことですが。

斉藤秀雄にほとんどマンツーマンで指導された小沢征爾については、今では(小沢を徹底的に排除してきたNHKが、小沢とサイトウキネンの実力と名声に屈し、放映するようになって十数年以上経ちますので)一般にもよく知られるようになりましたが、若き小沢が最も尊敬していたのが、シャルル・ミンシュです。彼はフランス人で、大きく豊かで艶と迫力のある演奏をし、ボストン交響楽団の黄金時代を築いた指揮者です。

シャルル・ミンシュは、ベルリオーズ(ロマン溢れる想像力そのもののような曲をつくったフランスの天才作曲家)演奏の大家でしたが、小沢も師と同じくベルリオーズを得意とし、ベルリオーズの全集録音にも取り組みました(レコード会社の都合で完成には至りませんでしたが)。わたしも「幻想交響曲」の1回目の録音からLPを買い、聴いてきました。ロメオとジュリエット、ファウストの劫罰、レクイエム、ベンヴェヌート・チェッリーニ、生演奏ではテデウムなども。

確かに小沢のベルリオーズの演奏は、西洋の音楽家とは違い、独特の美質(繊細さ・正確さ・清い迫力)を持つもので、それなりに優れたものとは感じていましたが、ほんとうに感動するというレベルにはなく、小沢を応援しつつも不満でした。もちろん、指揮者・音楽家としての小沢の優秀さは(ベルリーズの演奏に限定された話ではなく)現在よくマスコミに登場する佐渡裕(芸術というより部活のようなノリの音楽)とは比較になりません。また、彼の率いるサイトウキネンオーメストラは、色気も覇気もないNHK交響楽団とは比べ物にならぬほど優れています。

――――――――

この度、小沢の得意とするベルリオーズの幻想交響曲(2010年のカーネギーホールのライブ)を購入しました。小沢の新録音を聴くのは久しぶりです。
どんなかな?楽しみ~~。
オケは、サイトウキネンで、ニューヨークで大絶賛された演奏です。一楽章から気合十分。弦楽器の絹のような美しさも彼らならではのもので、終楽章の盛り上げも見事でしたが、しかし、ミンシュ(ボストン響、パリ管のCD)やクリュイタンス(1964年の東京公演のCD)の演奏を聴いているわたしは、正直、落胆しました。以前と同じ演奏です。

ミンシュやクリュイタンスではなく、いまの指揮者のものと比べればよいほうではあるので、比較する相手が悪いと言えばそれまでなのですが、どうにも、色がありません。整っていますし、上手ですし、一糸乱れぬ演奏ですが、艶が不足で色がない。豊かさに乏しく、感動が浅いのです。なにしろ決定的なのは、ベルリオーズなのに、依然として線としての表現で、面としての広がりがありません。うむーー。

もしかしてわたしの思い違いかな、と思い、
ミンシュボストン響の1962年のスタジオ録音盤を聴いて見ました。うーーん、これは違いすぎ、差があり過ぎ、音楽の豊かさがケタ違い。ミンシュの演奏で聴くと、美しい色が空間(部屋)いっぱいに広がり、艶やか。よい香りが充満します。美しく大きな壁画を見るようで、心と感覚が大満足。もう呆れるほどの違いです。

この差は、わたしにいろいろなことを感じさせ、考えさせました。

ほんとうに豊かで充実した生のためには何が必要なのか。
頭と心と身体の全体を有機的に連関させるためにはどうするか。
世界を「色づかせる」ための条件はなにか。


武田康弘
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マーラー:交響曲第8番  壮年の小沢征爾指揮・ボストン交響楽団による演奏。

2012-02-18 | 趣味
アマゾンにわたしの感想を書きました。

繊細で濃やか、憧憬に満ちた得難い高揚感

2012/2/18
By 武田康弘 "タケセン" (千葉県我孫子市)

マーラー:交響曲第8番 (CD) 小沢征爾指揮・ボストン交響楽団

初出時から聴いてきました。数多くの8番を持っていますが、この小沢盤は、他に変え難い美質があります。繊細で優しさに満ち、実に濃やかです。終楽章の人間味に溢れた高揚感は独自の世界で、全身が痺れます。欧米人の豪気さとは対照的ですが、傷つき易いマーラーの心を体現した音楽で、この曲の本質を照らす演奏の一つであることは間違いないと思います。大編成の音響的な興味よりも、内なる心の音楽を聴きたい人には大いなるよろこびです。このような憧憬に満ちた演奏は、今後は出ないのではないでしょうか。わたしは今は小沢ファンではありませんが、これはお薦めです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頭の音楽家から心身の音楽家へと進展=坂本龍一のヨーロッパライブに感動!

2011-12-30 | 趣味

いま、BSJAPANで、坂本龍一のヨーロッパ各地における演奏を聴きました。
(坂本の演奏旅行を丹念に追った見事な番組)

わたしは、音楽のジャンルに囚われず自由で多彩な活動をしてきた坂本龍一は、それにも関わらず「頭の音楽家」から抜けられないな、と感じてきましたが、このライブを聴き、心底感動しました。

頭の音楽家から【心身の音楽家】へと見事な進展・変貌を遂げた坂本に、喝采を浴びせたいと思います。

本人の言う通り、ロンドン公演の初日からはピアノの弾き方が変わり、音楽は自然性を獲得し自在な動きをもつようになりました。力が抜け、のびやかになり、彼の内から湧き上がる音が豊かに響きわたります。

透明になった音はダイレクトに聴く者の心身に届き、現代音楽的な臭みが消え、厚みを増したのです。ピアノの音はしなやかさと優しさを獲得し、音楽がベタっとすることなく浮かび上がります。ダイナミックで広々とした世界が開け、聴いていてほんとうに気持ちがよいのです。真に内側から、心身全体で音楽するようになった坂本龍一から目(耳)が離せなくなりそうです(嬉)。


武田康弘




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井上陽水のライブ、存在の魅力がそのまま歌に。

2011-12-28 | 趣味

23日(金)の夜中(24日の午前)にNHKのBSプレミアムで、井上陽水のライブを放映していました。偶然見たのですが、惹きつけられクギ付けとなり、録画もしました。

わたしが学生時代のころ、70年代前半、井上陽水は優れた自作の歌い手でしたが、どことなく突っ張った感じがあり、特別に好きというわけではありませんでした。

しかし、60歳を過ぎた陽水は、力が抜け、自然体で、彼のもつ存在の魅力がそのまま歌となっていました。艶やか、見事なステージ! 

わたしは、井上陽水が類まれな音楽家であることが証明されたようで、なにかとても悦ばしい気分です。

とくに、『少年時代』を歌う陽水の表情は、淡々として深く、魅力的でした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我孫子の手賀沼遊歩道 秋の二枚

2011-11-27 | 趣味
我孫子の手賀沼遊歩道、秋の二枚です。

『12枚の写真で見るふだんの手賀沼遊歩道』も見てください。






データ
ソニーα700
ツァイス ディスタゴン24mmF2
2011年11月1日 武田康弘
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12枚の写真でみる《ふだんの手賀沼遊歩道》

2011-11-19 | 趣味


《ふだんの手賀沼遊歩道》ーを白樺教育館のホームページにアップしました。




自宅のすぐそば、いつもの運動コースを撮ったものです。



12枚の写真ーふだんの我孫子手賀沼遊歩道(クリックしてください)









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うーむ、ついにデジカメは終着駅に行き着いた!?ソニーのNEX-7

2011-10-01 | 趣味


ソニーが11月発売予定の新コンセプトのデジタルカメラは、通常の新製品ではなく、デジタルカメラの終着駅とも言える革命的な製品ではないかと思います。

ソニーは、α55で半透明ミラーを用い、一眼レフの構造上の難点であった、シャターを切る前後にミラーを上下させるクイックリターン機構をなくしました(フィルム時代にはキャノンが一時この方式を採用しましたが、ファインダー画像を電子化できない時代でしたので廃れてしまいました)。これは、一眼レフの構造上の難点であったミラーショックの問題を克服し、数々の新機構(特に秒間10コマもの連写)を可能にしましたが、液晶ファインダーゆえに画像の悪さを甘受しなければならない欠点がありました。

今月発売になるα65と77は、有機ELファインダーにより画像を大幅に改善し、一見、光学ファインダーと変わらないレベルに達したとのことですが、これと同じファインダーを内蔵したのが、11月に発売になるMEX-7です。

NEXシリーズのNEZ-7は、ミラーレスの一眼ですので、平ぺったく小型軽量ですが、受光部はAPSサイズで一般の一眼レフと同じ大きさです。α65や77と同じ有効2430万画素のCMOSセンサーですが、光が半透明ミラーを経由しませんので、ミラーの平面性や反射の問題から完全に自由で、原理上は同等以上の画質が得られるはずです。

更によいのは、ミラーボックスがないこの形式では、広角レンズを逆望遠タイプ(レンズ後部がミラーに当たらない工夫)にする必要がなく、設計の自由度が大きいことです。12月に発売が予定されているツァイスの24mmF1.8は、この利点を活かし、ディスタゴンではなくゾナータイプです。大口径にも関わらず小型にできるため価格も安くなります。

α65や77と同じ新機構が満載で(レンズ収差も倍率色収差・歪曲・周辺光量をカメラ側で補正)、通常の一眼レフと同等の画質を実現したNEX-7は、小型カメラと一眼レフの利点を融合して生まれた新コンセプトのカメラと言えます。

この形式がデシタルの普遍的な構造になるのではないか、とわたしは思います。
よいレンズがたくさん出ると、今までの一眼レフの世界を脅かす存在になることは間違いないでしょう。

NEX-7は、デザインもよく、ボディー材質もマグネシュウム合金、パーツも金属削り出しで高級感があります。これはα77以上に買いですね~~。


武田康弘


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このブログを「価格コム」のクチコミ欄に掲載したところ、大反響で、わずか数日で「燃えるコメント」!?が59件も寄せられました。反響の大きさにビックリです。小型であるのにも関わらず確固とした存在感をもつNEX-7が放つオーラの強さを実感しました。
文学的レトリックを用いた標題=「ついに終着駅に行き着いた!?」には、反発された方が多いのをみて(ちゃんと受けとめられた方もいらっしゃいますが)、
ルソーの『社会契約論』(創造的書物に共通するレトリカルな表現をもつ)の意味を掴めず、ルソーは全体主義者だ、と言う社会学者の言説を思い出しました。言葉を部分としてしか読めない人(単なる事実学による事実人)が増えたのは、現代教育の悪しき成果かもしれません。

わたしは、以下のコメントを出して終わりとしましたので、コピーします。

なにはともあれ、活発な議論になり、よかったです。

もちろん、一般的な言い方をすれば、
「高い質感の金属ボディーもち、現代的に洗練されたデザインのデシタル一眼の高級機」
「一眼レフの主流と同じAPSサイズのイメージセンサーを搭載し、従来とは比較にならない高精度の有機ELファインダーを内蔵」ーーーこれは、画期的な新製品。
ということですが、
わたしは、あえて表題を「終着駅!?」にしましたので、インパクトが大きかったようです。
!?が付いていることで分かるように、文字通りの「終着駅」でないのは言うまでもありません。「一つの優れた結論」というのが正確でしょう。
ただ、
「部分」ではなく「全体」についての総合判断(あるものが優れたもの=魅力あるものであるかどうか)をし、それを書き表すときは、【レトリカル】な言い方のほうが適することが多いのです。
「終着駅に行き着いた!?」という文学的表現を使って、このカメラのもつ力を表現したのは、そのためです。

いろいろ有益なご意見を書いて下さった方々には感謝です。ありがとうございました。

武田康弘

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする