思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ジュ・トゥ・ヴー(サティ:歌曲集)ーわたしの愛聴盤

2011-09-16 | 趣味

CD化されて13年、わたしの愛聴盤です。

エスプリに満ちたサティの歌曲は、なんとも楽しく、いつもウキウキ。
これをかけると、踊り出してしまいます。自然とおどけた動作が出るのです。

歌詞対訳もついています。

ステットナーによるCDの表紙絵画(水彩)も伸びやかで楽しく綺麗なので、飾っています。


武田康弘
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ソニーα用 ツァイス・ゾナー135mmF1.8

2011-09-10 | 趣味

2008年6月に購入し、3年以上使ってきました。レポートします。
ゾナー135mmF1.8は、デジタル時代にツァイスが放った超ド級の中望遠レンズですが、凛として立つ描写には、ただ脱帽するほかありません。
階調の幅が広くなだらかに明暗が変化することで得られる立体感、コントラストがよく極めてシャープなのに硬さがまったくない画像は、目の悦楽です。
ツァイスは、かつてコンタックスRTS用の135mmF2という大口径レンズを5群5枚でつくるという「離れ業」でカメラ業界を唖然とさせましたが、今回は8群11枚という贅沢なレンズ構成で、データ上の解像力とMTFも共にベスト。
透明感やヌケのよさはそのままに、開放から素晴らしい切れ味で、レンズ設計の進歩に唸らされます。対象の本質を赤裸々に暴くような精密描写ですが、実物よりも品位が高いと思わせる描写はツァイスの独壇場です。白が純白に写る美しさ!
単に技術的に最高というのではなく、対象をどのように見たいかーどのように写るレンズをつくるかという理念が明白で確固としているために、他に代えがたい優れた個性を持つのです。
わたしの友人をはじめ多くの方がこのレンズで撮った写真を見てソニーαに乗り換えましたが、ゾナー135mmF1.8はデジタル処理の時代でも「写真はレンズで決まる」を実証したと言えます。色純度が高く、【品位に優れる】とはどういうことかを分からせてくれる写りです。
恐るべきツァイス財団。

武田康弘
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「Humans B」(ヒューマンズ ビィ)という素敵なバック屋さん

2011-09-01 | 趣味

わたしの実家は、千代田線の千駄木駅から団子坂を上っていくのですが、駅を出てすぐ、坂を上がる前にバック屋があります。団子坂の通りは舗道も狭くて引きがないために、ショーウインドウをゆっくり見ることができませんが、昨日、暖かくオシャレなディスプレイに惹かれて中に入ってみました。

手作り感覚の美しいバックが、一品づつ丁寧に置かれ、気持のよい空間です。
すぐ目に留まったのが、写真のカジュアルな手提げです。価格は13800円。


手作りでよく馴染む感じが一目で分かります。「よし、かみさんに買って行こう」と即決。お店にいたのは数分間でしたが、店主の落ち着いた応対とともに気持ちのよい時間でした。

帰ってかみさんに見せると、素的!と感激。
気になったので、紙袋にある「HumansB」という名をネットで検索してみました。夜中にホームページを見て、なるほど、と感心。

職人気質のオーナーはアメリカナイズを嫌い、バックが生まれたヨーロッパの歴史(とりわけ服飾史)を踏まえ、それを日本の生活と風土に合うように、との考え。「ヨーロッパのように職人気質に似たバック専門店を、自らの手で直接お客さまに販売していく事を趣旨に『HumansB』を設立したわけです」と書かれています。

「生活の立場に立った普通の商品を半歩先の感覚で提案する」をコンセプトに1996年4月に設立。バックを通して人と人との繋がりを大切にしていきたいとの願いで「HumansB」(Bはバックの略)と名付けた。モットーは、※流行に左右されない生活に密着する商品、※品質の高い作りでありながら納得できる価格、と記載されています。

お店は、港区麻布十番と文京区千駄木の二店で、センターテーブルにバックを置きじっくり見て買うスタイルなので、通販はしていないようです。

※柳宗悦の民芸の思想、用の美・「ふつう、自然、健康」こそ最高の価値という白樺スピリットと重なる考えと商品であり、応援したくなります。

武田康弘


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ソニー新カテゴリーの高級一眼レフα77 これはよさそう。

2011-08-29 | 趣味
ソニーからα55の上級種で、有機EL液晶ファインダーを搭載したα77が10月に発売になるとのことですが、外観写真とスペックを見ると、これはいい!!買いですね~~。
優れた機構にも関わらず驚異的な低価格のα55の最大の弱点がファインダーでしたので、それが改善すれば鬼に金棒!?(笑)。
ソニーのカメラに賭ける情熱は半端ではないです。新機構満載で2400万画素。いよいよ、ツァイスレンズが活きるでしょう。わたしの24mmF2と135ミリF1.8がどのような絵を見せるか!いまから興奮してしまいます。今はα700とα55を使用。

なお、デジタル一眼は、35mmフルサイズは中途半端でダメ。受光部の面積はAPSサイズが正解です。乾板カメラのような高画質を求めるならば、ハッセルやコンタックス645のデジタルバックを使うのがよいのです。

ソニーさんに一つ注文ですが、AFでのピントの精度をしっかり管理してください。
新製品を買っても、それをサービスセンターに持ち込んで調整してもらわないとピントが合わないレンズ(またボディー)が多いようでは情けないですからね。

参考に、写真家の三好和義さんのブログをご覧下さい。


武田康弘
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ブリヂストン美術館のDVDー近代絵画の名品

2011-08-10 | 趣味

『ブリヂストン美術館』が制作し販売しているDVDは、とてもよくできています。

石橋財団の誇る世界的な傑作絵画(フランス近代が中心)を紹介するDVDですが、優れた画質で、丁寧で分かりよい解説付きです。
全体像の後でアップされる細部の描写は、作品理解に役立ちます。
男性ナレーターの声は落ち着いた美声で、装丁も上質です。ヨーロッパ近代絵画の一つの頂点=セザンヌ晩年の《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》が表紙を飾ります。この名品もブリヂストン美術館の所蔵品です。

詳しい内容は、美術館のホームページにありますが、これで1000円は、ほんとうにお買い得。美術愛好家だけではなく、子供さんや学生さんのいる家庭にもぜひ。BGMのように流しておくと自然と興味が湧くでしょう。優れた絵画を繰り返し見ることは審美眼を養います。


武田康弘
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清瀬保二(きよせやすじ)のピアノ作品を聴きながら、感じることを。

2011-08-06 | 趣味

清瀬保二(きよせやすじ)のピアノ作品を聴きながら、感じることを。


明晰(めいせき)な論理に支えられた抒情性。
土着的にして洗練の極み。
凛(りん)とした倫理性をもつ。

平易で透明、かつ豊か。
楽しく、かつ品位が高い。
不屈・強靭(きょうじん)で、かつ深く優しい。
リズミカル・舞踏的で、かつ思索的。

孤高にして民主的。
清瀬のピアノ音楽作品で多いのは「こどものための」と銘打たれた曲。
バルトークも40の小品集「こどもために」をつくっているが、清瀬作品は子ども用の練習曲ではなく、詩情に富み、はるかに多彩。

深い悲しみや憤りは、昇華され、心の襞(ひだ)を震わす美へと変貌している。偉大な芸術のみがもつ力だ。
それにしても、なんと繊細で深々とした音楽であることか。
天才的な響きと音色に、唖然となる。

日本が生んだ最高の作曲家・清瀬保二は、なぜか知られず埋もれている。



ぜひ、3年前にはじめて出た全集(清瀬保二ピアノ独奏曲全集・ピアノ花岡千春)をお聴きください。


武田康弘
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ルミックスLX5レポート・ライカ思想をみんなのものに

2010-11-05 | 趣味

わたしにとって5代目となるコンパクトデジタルカメラとして、ライカレンズを搭載したLUMIX-LX5を購入し、一か月ほど使用しましたので、レポートします。

結論から言えば、これは素晴らしい出来で、一度使えば誰でもが欲しくなるのでは、と思わせます。

フルオート(iA)での撮影では、一般のデジカメと同じく、人物、風景、夜景、逆光・・・を自動認識し、押せば誰でも奇麗に撮れますが、Aモードでは、絞り優先の「考えた作画」が一眼と同じ感覚で出来ます。
機能もすべて揃っていますが、一番優れている点は、使い勝手がよく、デシタルなのにアナログのような楽しい操作感が楽しめることです。ここにライカ思想を感じますが、「マニアックなおじさんカメラ」とは違い、皆が親しめ楽しめるデジタル時代のパナソニック・ライカです。特別な高級感がなく、サラリとしているのも、使い易さ、撮り易さにプラスに作用しています。いつでも気張らずに撮れます。

レンズは、24mm広角から90mm(ほとんど画質の劣化がないiAズームで120mm)までです。24ミリ時は、開放F値が2.0ですが、素晴らしい写りです。フィルム時代には、24ミリは、単焦点でさえこれほど明るいレンズはありませんでしたが、これはズームなのに開放でもシャープで高解像力、しかも歪曲収差が大変少ないので(カメラ側で補正している?)驚きます。小型CCD(一般のコンデジに比べれば2倍の面積はありますが)のもつ欠点を逆にレンズ設計の有利さとして活かしています。接写時も見事な高画質で、顕微鏡写真!と冗談が出るほど近づけます。最短はなんと1センチ(24mm時)。広角側が28mmではなく24mmなのも助かります。この差は実に大きいのです。
 
色調は、ルミックス共通のパステル調で奇麗です。これは、「線書き」的で解像力重視のライカレンズの特徴と合っています。わたしは、色乗りがよくコントラスト重視の「面」で見せるツァイスレンズのファンですが、このルミックスライカの絵も大変魅力的です。

感度は、400までは全く問題なし。800になると少しくすみと汚れを感じますので、オートの感度上限を400にセットするとよいです。また、定評のある液晶は、奇麗なだけでなく、撮影時に色調が正確に再現されます。

写真は、フィルターをつけるための「レンズアダプター」を付けた状態ですが、付けっぱなしの方が構えやすいのでお勧めです。アマゾンで1980円。キャップはルミックスからは出ていないので、ケンコーの52ミリのキャップを付けました。上に乗っているのは、「ライブビューファインダー」ですが、全ての情報を見ることができ、角度は90度まで自在に変えられますので、強い日差しやローアングル時には重宝します。

フル装備では「みんなのライカ」のように遊び心を持って撮れますし、本体だけにすれば、ふつうのコンパクトになります。LX5は、他に比較するカメラのない「唯一性」をもっていますので、通好みですが、子どもや初心者でも扱い易く奇麗に撮れますので、みんなにお勧めです。
本体のみならば、量販店では43000円ほどですが、価格コムの最安値ならば38000円くらいで購入出来ます。

(なお、わたしのデジタル一眼レフは、ソニーα700+ツァイスレンズです。また、フィルムカメラは、コンタックス645とRTS(初代からⅢ型まで)を発売時から愛用してきましたが、最近は使っていません。)


武田康弘

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サンデル教授の困った思考法に倣う大学人

2010-09-17 | 趣味
下のブログに対する荒井達夫さんのコメントに返信しましたが、大事な問題ですので、ブログにします。


わたしの指摘は、
サンデル教授の思考法が、
極限状態における人間の行為の是非と、日常生活における社会思想の良否を混同させてしまうために(=次元の混同)社会・人間問題の適切な分析にも解決にもならず、思考を混乱させるだけである、
とのものです。
これは、ソフィストの思考法(ディベート=言語ゲーム)であり、真実を目がけるソクラテスの問答法(ディアレクティケー)とは無縁です。

ところが、これはひとりサンデル教授の思考法の欠陥ではなく、多くの大学人に共通する実に困った問題です。単なる「事実学」(フッサールの概念)の累積が学問だと信じ込んでいる大学人の多数派は、知を硬直化させ、知から有意味性を奪っています。事実学とは、受験知の延長上にある「パターン知=二次元的な平面知」のことですが、立体から見れば影に過ぎない世界を実像だと思い込むために(比ゆ的には、写真を現実と混同するものと言えます)、言葉の上の問題を現実の問題としてしまい、いたずらに混乱を招く形式論理なのです。

小林正弥さんらの公共哲学が言葉の遊戯・造語趣味に陥るのは、頭脳(=思考構造)が立体化していないために、平面的思考の枠内で現実問題に取り組まざるを得ないからです。形式論理でしかない「事実学」の累積では現実問題を解決する視座が得られないために、「霊性」をプラスして、公共哲哲学運動を【公共的霊性(スピリチュアル)】の運動としていますが、これを公金で行っているのですから、なんとも酷い話です。

人間の生の問題や社会問題を考えるには、『意味論・本質論』として取り組まなければならず、『事実学』の累積ではどうしようもないのですが、そのことの明晰な認識を持つ人が少数なのは、ほんとうに困った問題(知のありようと教育)です。

事実学だけなら、勉強時間を増やして暗記すればいいのですが、そのような頭の使い方をしていれば、論理とはイコール「形式論理」となり、知は【受験知・官知】という狭く固い非人間的な〈形式知〉に堕ちる他ありません。まさに「人間を幸福にしない知」と言えます。いま何よりも必要なのは、ディアレクティケーの営み=実践なのあり、サンデル教授ら大学人の次元を混同させた言語ゲームや事実学ではありません。


武田康弘

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思考停止 (荒井達夫)
2010-09-19 00:03:04

難破船の乗組員4人がボートで漂流し、生きるために弱った者を殺して食べた。その行為の是非を議論するのに、社会運営の基本原理であるベンサムの最大多数の最大幸福を持ち出すのは、「筋違い」も甚だしい。問題に対する議論の仕方が明らかに間違っています。何か変だな、と思わない方がおかしいのです。「思考停止」というほかありません。
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本邦初討論-「ハーバード 白熱教室 」を巡って。山脇直司・小林正弥・武田康弘

2010-09-15 | 趣味

本邦初討論「ハーバード 白熱教室 Justice マイケル・サンデル教授」を巡って

が、 『白樺教育館ホームページ』にアップされました。制作は古林治さんです。

わたし武田康弘と、山脇直司さん(東京大学教授)小林正弥さん(千葉大学教授)との討論ですが、相手方(小林さん)の討論拒否に至る激論です。最近ではこれは珍しいことでしょうが、悪口やケチ付けではない「忌憚のない討論」はとても大切で、思考力は厳しい討論を経ることなしには強く豊かになりません。討論はテレビで「見る」ものではなく「する」ものです。勝ち負けを競う「ディベート」ではなく、なにがホントウかを探る「哲学的対話」を生み出したいと思いますが、なかなか難しいですね。

武田康弘


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バルトーク弦楽四重奏曲 クラシックを超えたエマーソンの名演

2010-09-04 | 趣味

わたしは、しばらく前からバルトークの弦楽四重奏曲(全6曲)をよく聞いています。

「とっつきにくい」はず?のバルトークの弦楽四重奏曲が、エマーソン ストリング クァルテットの演奏で聴くと、とっても面白いのです。
クラシックの現代音楽ではなく、まるでロックやジャズや民族音楽などのようにノリのよい楽しい演奏で、以前はじめて聞いた時、「えーっ!こんなバルトークあり?」とビックリ。そして思わずニンマリ。

6曲中最も難解と思われる12音技法満載の4番も実に明快、ウキウキ心身が弾みます。
暗いはずの最後の6番も、ユーモアに富み、柔軟に音楽が息づき、ピチカートが生き生き。暗い世相(独裁者ヒトラーの台頭)を映すかのような沈み込む終楽章も、粘り・艶・パワーを失いません。

バルトークは、名盤の誉れ高いアルバンベルク四重奏団の演奏でお聴きの方が多いと思いますが、エマーソン四重奏団のクラシックを超えたような演奏もとってもお勧めです。わたしは大好き。


武田康弘
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ハーバードの教授が「現代のソクラテス」!?―呆れるNHKの無教養。

2010-06-23 | 趣味

ソクラテスとは誰か?

夢想家のように、ボーッと自身の想いに沈潜することがしばしばで、

酒はいくら飲んでも酔わないほど強く、
軍人としての耐える力はギリシャ軍随一と言われた屈強の男であり、

善美のイデアを求め、
アテネから生涯離れず、街の中でたえず問答的対話をしていた人。

そして、その結果、思慮(ものごとの本質を考え・知ること)の点では、学者や弁論家や劇作家など名前のよく聞こえた人の方が、つまらない職業と思われている人よりも九分九厘劣っていることを発見した人。

そのソクラテスを真似て、青年たちも有名人を調べたところ、みな知識だけは豊富だが、ほんとうのことは何も知らないことを知った。それによって、ソクラテスは青年たちに悪い影響を与え、ギリシャの神を信じない男だと訴えられ、陪審員制(500名)の裁判で死刑になった人。


ハーバード大学のサンデル教授は、人間のタイプも生き方も立場もソクラテスとは全く異なりますが、その思想内容も、ソクラテスとプラトンの哲学の核である【イデア論】を否定し、その代りに【目的因】を導入したアリストテレスの哲学につくわけです。

「サンデル教授は、現代のソクラテスである」とする千葉大学の小林正弥さんの解説を繰り返し放映するNHKは、極めて非見識だと思いますが、違いますか?

小林正弥さん、NHKの番組担当者の方、ぜひ、反論をお願いします。



武田康弘


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愉悦の極みーアルゲリッチ&フレンズ・ルガノフェスティバル2009

2010-06-10 | 趣味
毎年6月にスイスのルガノで行われているフェスティバルのライブで、3枚組のCDです。


いや~、なんという遊び。

愉しく豊かな悦びの音楽です。

力が抜けきって、時間が踊りだす。

シューマンから始まり、ショパン、メンデルスゾーン、リスト、グリンカ、ラフマニノフ、ラベル、バルトーク、ファリャ、ブロッホ。

どれもこれも、しなやかで、艶やかで、生き生きとして、

時間を忘れてしまいそう。


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すごい絵師がいたもんだ! 片山楊谷と島田元旦

2010-06-06 | 趣味

いま、NHK「日曜美術館」で、片山楊谷(1760~1801)と島田元旦(1778~1840)という江戸後期の二人の画家の展覧会(鳥取博物館)を紹介していました。

自由で大胆、細密でありながら強烈なパワーを持つ片山楊谷の屏風絵を見て、仰天しました。また、画風は異なりますが、島田元旦の伸び伸びとした艶やかな色彩にも魅了されました。

伝統的な流派(狩野派や土佐派など)とは異なるところに、すごい絵師がいたのですね。ほんとうにビックリし、また嬉しくなりました。

鳥取博物館のホームページには、
「楊谷の生誕250年にあたり、本展はその画業をまとめて紹介する初の試みとなります。一方、蝦夷地の調査などによってもその名を知られる元旦にとっては没後170年にあたり、二人はともにその画業を再評価・再認識する時期を迎えたといえるでしょう。」
とあります。

地方の方が凄いですね。でも、東京でもぜひ見たいです。「国立博物館」で特別展をすべきです。


武田康弘
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松方とブラングィン、ふたりの情熱が生んだ『国立西洋美術館』

2010-05-31 | 趣味

松方コレクションをつくったイギリスの画家・総合芸術家であるHrank・Brangway(フランク・ブラングィン)の展覧会が昨日終わりました。国立西洋美術館(松方コレクション)の50周年記念の最後を飾る展覧会でした。

松方とブラングィン、ふたりの個人の思いと行動によって集められた美術コレクションが、国立の西洋美術館を誕生させ、それが今年で50周年を迎えたわけです。

この日本を代表する美術館=『国立西洋美術館』は、20世紀最高の建築家・フランスのルイ・コルビジェの設計で、シンプルで品位の高いデザインです。これみよがしなところがなく、内外装ともに美しく親しみのある建造物です。

「普遍性」とは、「私」の情熱が生みだすものであり、それに裏打ちされない単なる「一般性」は、よろこびのない灰色の世界しか生みませんが、そのことを見事に証明するのが、『国立西洋美術館』です。日本にある「国立」と名のつく施設は色気のないものばかりで、美しさと親しみのある普遍性を感じさせる世界とは無縁ですが、松方とブラングインの「私」の想い・情熱からうまれ、コルビジェの「私」につく設計から誕生した『国立西洋美術館』は、何度でも足を運びたくなる素晴らしい美術館です。わたしは、小学5年生の時から47年間、数え切れないほど来館しましたが、訪れるたびにいつも嬉しくなります。西洋美術館はわたしの美術館です。

今回のフランク・ブラングィンの展覧会は、実に素晴らしいもので、はじめてみる油絵の大作には圧倒されました。その色彩とボリュームは、イギリスのドラクロワ!とさえ言いたくなるほどで、大変な力量の持ち主であることを知りました。彼は、若いころはウイリアム・モリスの工房で働いていたとのことですが、職人技に支えられた芸術がもつ普遍的な強さを改めて感じました。

船乗りの仕事をしたこともあったブラングィンは、造船所や労働者の姿も生き生きと描き、よい意味での現実性をもつ創作は、生活世界の強さと安定性をもち、最良のコモンセンスです。
食器や家具のデザインもみな楽しく親しみのある美しさで、ほんとうによい展覧会でした。はやく知っていれば、このブログで期間中にご紹介できたのに、残念です。


(いかにして西洋美術館がつくられたか、その数々のエピソードについては、『芸術新潮』の2009年2月号をご覧ください。実に面白い!)


武田康弘



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わたしの名盤―交響曲のベスト3(クレンペラーの英雄他)

2010-03-15 | 趣味

ベスト3は、とても無理ですが、あえて決めます。
ただし、長年の愛聴盤ということで、20年以上聴き続けているものに限定します。
以下の3点は、わたしが大好きな交響曲の絶対的名盤です。

1.ベートーベン 交響曲3番 英雄 クレンペラー指揮、フィルハーモニー管弦楽団1959年のスタジオ録音
100種類を超える演奏を聴いてきましたが、これは別格。クレンペラーのライブもありますが、繰り返し聴くならこのスタジオ録音です。

2.ベルリオーズ 幻想交響曲 クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団・1964年、東京文化会館でのライブ。
この曲も30枚を超えるCDを持っていますが、色香と情熱、迫力と品位、すべてを満たす空前絶後の一枚、スタジオ録音もありますが、これはライブに限ります。

3.ブルックナー 交響曲8番 クナッパーツブッシュ指揮、ミュンヘン交響楽団 1963年のスタジオ録音
ヴァントや朝比奈の名演も、この「なにもしない」演奏の前では小粒な音楽でしかありません。まるで音楽の原理のよう。深く、有無を言わせず、人を惹きつけます。

以上の3曲は、最新録音を含めて同曲の私のベストです。

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コメント

わたしの感想 (内田)
2010-03-17 16:43:12

1.ベートーベン 交響曲3番 英雄 クレンペラー指揮、ニューフィルハーモニー管弦楽団1959年のスタジオ録音

これは見事なものです。フルトヴェングラーが好きな人が多いようですが、耳の感度が悪い私にはあの録音ではさっぱり音楽が分からないのです。バーンスタインのウィーンフィルライブも素晴らしいですが、クレンペラーはバーンスタインより数倍恰幅が良い堂々たる演奏ですね。そして細部も美しい。誤解は承知で正にヘーゲルの弁証法を想わせる演奏です。(笑い)


2.ベルリオーズ 幻想交響曲 クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団・1964年、東京文化会館でのライブ。

ミンシュのパリ管といわないところが『にくい』ですね。この演奏は、私もかつて聴きましたが、これこそライブ録音という演奏です。破綻すれすれのスリリングさはライブ音楽でしか味わえないところですね。聴き込んでいくと興奮して思わず腰が浮いてきてしまう演奏です。


3.ブルックナー 交響曲8番 クナッパーツブッシュ指揮、ミュンヘン交響楽団 1963年のスタジオ録音

これがまた凄い演奏です。
この「なにもしない」演奏の前では小粒な音楽でしかありまん。
なにもしないとは一体どういうことでしょうか?あの不気味ともいえるおどろおどろしいまでの4楽章は、確かに広がり続ける宇宙の中に身を投げ入れられたような錯覚に襲われます。ただ、音楽においてなにもしないことほど難しいものはないでしょう。個性(主観性)の消去に繋がりかねないのです。クナッパーツブッシュは練習嫌いで有名だったようですが、プレイヤー一人ひとりの自発性(主観性・主体性)を引き出します。指揮者にそのような技術を超えた『わざ』がないと、なにもしない演奏なんか創れないでしょう。演奏家の個性(主観性)と指揮者の個性(主観性)のぶつかり合いが成功した時、この演奏のようにあたかも「なにもしない」ように思えるほんとうに凄い大演奏が出来るのかもしれません。カラヤンと全く違うところのように思えます。
ただ、ヴァントや朝比奈も相当に大粒な音楽ですよ。そこのところは不同意!
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改めて (タケセン)
2010-03-18 12:59:04

うん、改めてこの三つの交響曲の演奏を聴くと、とにかくリズムがいいのです。呼吸するリズム・身体のリズムに合うので、生理的に気持ちがよいのです。「観念」の前にしっかりした土台としての「身体」があるのです。だから、言葉はいらない、とか、何もしていない、と感じるのでしょう。

クレンペラーの英雄は、同時代の名演として有名フルトヴェングラーのもつ主情性が全くありません。一つひとつの音のエネルギーが極めて大きく、そして個々の音が十二分に解放されています、音楽が生き物のように前に向かって進み、豊かに膨らみ、ついには自然物のような充足と安定に至ります。40年間に数百回以上聴きましたが、飽きることがありません。毎回、身体がパトスで満たされます。

余白にある「レオノーレ序曲第三番」も、これ以上は不可能と思われる巨大な演奏で、まるで天地創造のようです。わたしは、拙宅のオーディオでふだんクラシックを聴かない人にこれを聴かせたところ、その人は唖然として声を失い、しばらく動けませんでした。

クリュイタンス幻想は、上質の香りが漂うような音色で描かれる情熱の音楽です。終楽章は、痺れるような怒涛の迫力ですが、内田さんも言うように危うさを伴ったギリギリの演奏で、まさにライブならでは。一期一会の奇蹟の記録です。

クナの8番は、その後に出た名演と比較すると、その「何もしていない」凄さに黙るしかありません。朝比奈ファンの方、ヴャントファンの方、ゴメンなさい。なんという悠然。なんという無骨、なんという魅力。


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こんばんは (ken)
2010-04-04 23:52:40

クレンペラーのエロイカを検索していてたどり着きました。クレンペラーではストックホルムフィルとの共演版が好きです。クナは絶品、幻想は最近出たミンシュのライブ版が好きです。クレンペラーのライブでベートーベン交響曲全集はいかがでしょうか?
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クレンペラーのベートーヴェンライブ (タケセン)
2010-04-05 12:20:15

コメント、ありがとうございます。
「クレンペラーのライブでベートーベン交響曲全集はいかがでしょうか? 」
とのことですが、
テスタメントから出ているウィーンフィルとの第4、第5は世評にたがわず、EMIのスタジオ録音よりもよいです。わたしは、バイエルン放送交響楽団のとライブ(EMI)が録音を含めて好きですが。
第9もテスタメントの1957年ロンドンでのライブは素晴らしい演奏です。
田園はスタジオ、ライブ、それぞれのよさがあります。
7番は異常なまでに遅い最晩年の演奏(EMIのスタジオ録音)に惹かれます。出た当時に購入し(LP)戸惑いましたが(笑)。

コメント (4)
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