思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

クリュイタンスのドビュッシーとフォーレ HMVへのレビュー

2010-02-28 | 趣味

以下は、HMVへのレビューです。

クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団&合唱団によるドビュッシーとフォーレの名演奏の再発売(この組み合わせでの発売は初めて)。


洒落の極み、強靭かつ優美、現代の偏差値音楽家の「つまらなさ」と対極にあるエスプリに満ちた音楽。ダンディズム&エロースとでも言いましょうか、大人の色香と子どもの無垢が合わさったかのようなドビュッシーのイマージュ(管弦楽のための映像)と、
美そのもの、発売から40年以上にわたり同曲のベストとされてきたフォーレのレクイエムの組み合わせ、

フランス音楽の20世紀最高の指揮者であったクリュイタンスの生む硬質で品位が高い名演奏は、聴くたびに感動を新たにします。
また、この輸入盤は、わたしが以前に購入した日本盤よりずっと音がよいです。繊細でかつ豊か、音の鮮度が高く、生き生きと音楽が再現されています。

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長谷川等伯の衝撃―東京国立博物館で没後400年展

2010-02-24 | 趣味

今日、上野の国立博物館で、長谷川等伯没後400年展を見てきました。

これだけの作品を一度に見られるとは驚きです。

高校生の時「松林図屏風」をみて全身に鳥肌が立ち、その奥深い美に魅了されてから40年、わたしにとって最高の日本画家は、ずっと長谷川等伯でした。今日、その全貌を見て、震えました。

繊細と大胆、自由と様式、柔軟と硬質、写実と抽象、伝統と革新、めくるめく多彩な世界です。抽象やシュールまである!

この凄まじいばかりのエネルギーはどこから来るのか。

繊細で優しい世界と、剛毅で強烈な世界と、夢幻的な世界とが一人の人間によって描かれている。この空と間の絶妙の構図は、世界のどこにもないもの。深遠かつ平明。

ぜひ、長谷川等伯という衝撃を経験されることをお勧めします。来月22日までです(クリック)。

武田康弘
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異端の匂い (C-moon )
2010-02-25 15:51:03

”繊細と大胆、自由と様式、柔軟と硬質、写実と抽象、伝統と革新、めくるめく多彩な世界です。抽象やシュールまである! ”
”繊細で優しい世界と、剛毅で強烈な世界と、夢幻的な世界”

まさにアンビバレントの世界ですね。
僕は激しくアンビバレントに惹かれています……もちろん等伯にも。

ほぼ同時代に活躍した等伯、利休、織部。
この三人にすごく興味があります。それは正統に対する異端の匂いみたいなものを感じるからです。
この中で、利休は正統として称賛されていきますが、利休の魂は、どこか孤独で異端であったのではないかと感じています。
利休に大きな影響を受けた織部も、利休と同じように切腹に処せられるという壮絶な最期を遂げ、そこに至る経緯にも異端的なものを感じます。
等伯の晩年も必ずしも恵まれていたわけではなく、一斉風靡した三人ですが、三人とも生き方、取り組み方、求め方の根底にあるものが、必ずしも当時のパトロンたちに歓迎されていたわけではないように思います。
作品や作風は異様に愛されたけれど、孤高に彩られたものだった……
それが三人の作風の底に流れているのではないかなと感じます。
特に等伯は、当時の主流とも正統とも言える狩野派に損なわれていたし、出生地の能登は、当時の異端的な宗教、日蓮宗でもあり、等伯も熱心な日蓮宗徒だったと聞きます。そうした正統に背を向ける精神的土壌が、必然的に培われていた……僕の勝手な推測ですが。

以前、金沢で等伯の作品を見ながらそんなことを感じました。

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おおいなる指針(タケセン=武田康弘)

よいコメントをありがとう。

今回の没後400年展には、等伯の宗教画、巨大な釈迦涅槃図をはじめ、日蓮の肖像画なども多数展示され、信仰の力が創作の背後にあったことが分かります。鎌倉時代の宗教革命(法然、親鸞、日蓮)は、知恵の宗教であった仏教を万人の「救い」に力点を移すことで「民」のものとし、巨大なパワーを得ました。その後の安土桃山時代には、この新仏教が大きな勢力を持ちましたが、自由で人間味あふれる「異端」の文化の開花は、ほんとうに血湧き肉躍るものですね。

わたしは、言語中心主義による「事実学」の累積が価値だとする知のありようを、イマジネーションに基づく「意味論」としての知に転換すること、換言すれば、「客観主義の知」(試験知)から「主観性の知」(民知)への価値転倒をはかることで、文化・文明の転回を実現したいと思っています。鎌倉時代の偉大な宗教者たちとその後の「異端」の文化創造者たちは、そのための大いなる指針になると思います。






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プレートルのレスピーギ YouTube映像ー唖然とする名演!

2010-01-28 | 趣味

2008年に続き、今年もウィーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮したフランスの自由人・ジョルジュ・プレートル。
元旦の衛生中継で見るプレートルは、85才という年齢がにわかには信じられない若々しい指揮ぶり。艶やかで躍動する音楽を奏で、元気いっぱい。聴衆は熱狂していました。

そのプレートルがレスピーギの三部作を指揮した映像がありますので(「プレートル」のコミュの方から紹介)お知らせします。
三部作のうち、「ローマの噴水」と「ローマの松」の二つです。

プレートルの豊かな主観性の音楽は、明晰かつ豊饒、知的にして官能的、艶やかなエロースの芸術です。ロマン主義とは無縁の真のロマンが全編に満ち溢れ、ホール全体に広がります。わたしは、あのトスカニーニの伝説的な名演を凌ぐ、最高のレスピーギだと思います。みなさんもぜひ堪能してください。2009年7月、85歳目前のプレートルです。

お時間のない方は、まずは、「ローマの松」4の5分間をどうぞ。DVDが出ないかな~。


ローマの噴水  ローマの噴水2

ローマの松1  ローマの松2  ローマの松3  ローマの松4



わたしの【プレートル賛】は、1年前の文章がありますので、貼り付けます。

「職人技に支えられた豊饒な主観性」

プレートルのつくる自由でこだわりのない音楽は、実に豊かです。
音楽の表情は(指揮する顔の表情も)変化に富み、飽きることがありません。
明晰にして豊饒です。
プレートルの音楽の豊かさは、アインザッツに無頓着で、各プレーヤーの自発性に任せていることに一因があると思います。
また、テンポも、プレートルの心身に忠実に刻まれているようで、聴いていて心地よいものです。ただし、楽譜の指定とはかなり異なることもあるようですが。
何より素晴らしいのは、音楽学的な窮屈な感じが全くなく、楽曲の意味が判然と伝わることです。全体がわしづかみにされて、明瞭に示されるので、とても分かりよいのです。

プレートルは、内外(フランスとオーストリア)で大きな音楽賞を受賞していますので、「異端」ではないはずですが、彼のつくる音楽は、ベートーヴェンやマーラーの交響曲においても、従来の演奏とは様相が大きく異なります。意味が濃く、表情がとても豊かで、分明かつパワフル。楽しいのです。楽譜に書かれた音楽が「客観」として示されるのではなく、プレートルという人間の「主観性」のエロースに満ちているので、面白く、長大な交響曲も繰り返し聴きたくなるのです。彼の主観性の豊かさ・魅力は、長年、オペラの指揮で身につけた確かな職人技に支えられているので、強く安定しています。

2008年、ニューイヤーコンサートの指揮者としてウィーンフィルの楽団員が選んだプレートルは、83歳にして突如大注目されるようになりました。昨年、録音後17年間もオクラになっていたマーラの交響曲・第5番、第6番が、『レコード芸術』誌で特選盤となり、第5番は、2008年度の「レコードアカデミー賞」・大賞も受賞しました。

従来の「客観主義」による正確・緻密な演奏とは大きく異なる「主観性」の豊かさに基づく演奏が、このように高く評価されるようになって、わたしは嬉しい限りです。
いま、時代が、更に言えば、大袈裟かも知れませんが、人類の文化・文明が大きく変わろうとしているのかもしれません。なんだか、ワクワク、ドキドキしますね~。

武田康弘
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ブラームス交響曲全集 ラトル・ベルリンフィルのライブー21世紀のルネサンス

2009-12-02 | 趣味

わたしは、ブラームスの交響曲全曲を昔からいろいろ聴き、CDもかなりの数を持っています。

クレンペラー・フィルハーモニーの超絶的な力に満ちた巨大な音楽。
ベーム・ウィーンフィルの緻密な職人芸による演奏。
バーンスタイン・ウィーフィルの艶やかなパトス。
バルビローリ・ウィーンフィルのイギリス紳士的ロマンの自己主張。
ヴァント・北ドイツ放送交響楽団のストイック・求道的な音楽。

全集ではありませんが、誕生時のパリ管弦楽団を指揮したミンシュの1番は、ふくよかで大きく、明るく輝かしい音楽です。また、ウィーンフィルを思い通りにコントロールしたクライバーの4番は、峻立するカンタービレとでも言いたい意志的な演奏です。 

先ごろ発売された新録音であるラトル・ベルリンフィルの演奏(ライブ)は、とても分かりやすく、かつ聴き応えがあります。音は力強く、美しく、生理的な快感を覚えます。思い切りとリズムがよく、輝かしい音楽です。

この演奏が嫌いという人は、よほどの渋好みでない限りいないでしょう。21世紀の新しいブラームスです。

20世紀の最後に録音され、高い評価を受けたヴァント・北ドイツ放送交響楽団の演奏と比較すると、その特徴がよく見えます。テキパキと前進し、「楽譜の客観」を追い詰めるストイックなヴァントの演奏は、正解を求め、「あるべき」世界を求めた20世紀を映しているかのようです。

ラトルの演奏は、それとは全く異なり、内から深々と湧き上がる豊饒な主観性の音楽です。世界一の合奏技術をもつドイツのベルリンフィルからこのような「ロマン」溢れる音楽が奏でられるのは、面白く、21世紀が人間性=主観性の肯定と回復の時代となる先駆けのように聞こえます。

「あるべき」という世紀から、「ありのまま」の人間が賛美される新たなルネサンスの世紀へ、そんなことを思わせる音楽です。
ところで、「ブラームスはお好き」ですか。


武田康弘
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芸術の中に現れる大きな転換 (古林 治)
2009-12-03 15:12:34

先日、タケセン宅で私も二人の指揮者によるブラームスを聞かせてもらいました。端的に言えば、ヴァント・北ドイツ放送交響楽団の演奏はおそろしく精緻で硬質、片やラトル・ベルリンフィルの演奏は人間性にあふれる温かみのある演奏でした。同じ楽譜を元にドイツ人が演奏した曲とは思えないほどの違いに少々驚きました。どちらも素晴らしいのでしょうが、私には後者(ラトル指揮)の方が魅力的に思えました。(ラトルはイギリス人だそうです。)
なるほど、客観知から主観性の知へ、という大きな転換が芸術の中にも、いや芸術の中にこそ現れるヨーロッパの先進性に改めて驚かされた、というわけです。
この国の現状を見ると、ちょっぴり哀しく悔しい気もしますね。

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主観性の花咲くときへ (武田康弘=タケセン)
2009-12-04 00:18:47

古林さん、
よい感想をありがとうございます。

21世紀は、主観性の花咲く時代・個々人のロマンに依拠する時代になるとわたしは見ていますが、ラトルのブラームスは、その宣言でもあるかのような豊かな音楽です。

内面から湧き上がる音楽は、カラヤンに代表された20世紀の外面の美とは対極にあります。聴けば聴くほど心身の深い満足が得られる演奏です。
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ブラームス、よいですね (utida)
2009-12-11 11:22:48

ブラームス、よいですね。私もいろいろ聞きましたが、
名盤がいっぱいありますね。先生の言及していないところでは、
ワルターの4番とかベームでベルリンフィルの一番やNHKライブ
の一番とか・・・・個人的には2番も好きです。
少し前にチェルビダッケの4番を買いました。
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ビートルズみたい!?かな (武田康弘=タケセン)
2009-12-11 12:54:38

utidaさん

どうもベームは脂が足りないな~(笑)、昔は繰り返し聴いた名演ですが、いま聴くとどうにも面白くないのです。ごめんなさい。

チェリビダッケは、ミュンヘンフィルとの全集を持っています。細部まで恐ろしくていねいで見事な演奏ですが、立派な「宗教儀式」に臨んでいるかのような感じで、わたしには、少しも楽しくないのです。

ラトルの新録音は、
従来、寄木細工的な、と言われたブラームスとは異なり、有機的な一体感の強い、パワフルでエモーショナルなブラームスですので、渋さ・古典性を求めるブラームス好きからすると、「青い」、とか、もしかすると、「ビートルズみたいだ」、とでも言われそう!(笑)。でも、聴くと、全身にエネルギーが漲り、うれしくなる演奏です。
この輝かしく、若々しく、まったく受動的ではない能動の最たるブラームスは、理窟抜きに気持ちよく、過去の名演を忘れさせます。騙されたと思ってぜひ聴いてみて下さい。お気に召さなくてもお代は返せませんが~(笑)。


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チャイコフスキー交響曲4番+ヴァイオリ協奏曲(ミンシュ&シェリング)

2009-11-16 | 趣味

1955年と1959年の超古い演奏を紹介するのは、少し気がひけますが、この剛毅な力に溢れ、しかも人間味豊かな音楽は、現代では得難いものですので、お薦めします。

50年以上前の最初期のステレオ録音ですが、CD化に際して新しい手法が取り入れられているようで、かなりよい音です。

交響曲4番は、ミンシュ特有の艶やかで大きな音楽です。腰の据わった一筆書きの演奏は、現代の演奏家には求めようのない剛毅なもの。

わたしの最も敬愛するヴァイオリニストであるシェリングが弾ヴァイオリン協奏曲は、男性的でありながらチャーミング。繊細かつ強靭、「粋」な演奏に魅了されます。

いまさらチャイコフスキーなんて、という方にもお薦めです。


武田康弘


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これはほんもの!!三菱電線のオーディオ用電源コードPC-1

2009-10-04 | 趣味

素晴らしいオーディオ用の電源コードを発見!?(笑)しましたので、ご紹介します。

このコード(PC-1・1.5m)の音は、解像力、SN比がよく、癖がなく、フラットでニュートラル。
破綻がなく、雑味がなく、澄み切ってクリアー、抜群の安定感を持ちますが、
しかし、冷たさ、硬さとはまったく無縁であり、
豊かで、コクがあり、まろやかでさえあります。音を絞ってもボケず、実に気持ちがよいものです。

音を意図的に作ったのではなく、正攻法で愚直なまでの熱意を持って取り組んだ結果が、極めてバランスがよく、聴きこむほどに魅了される美しさを生んだ、そう思います。
これは、ほんもの。本物中の本物と言いたくなります。3日間のエージングでどんどん音がよくなり、怖いほどです。価格を超越した見事な製品に乾杯!です。
世界最大の無酸素銅線のメーカーである三菱電線が、線材から開発したオーディオ用電源コードは、やはり半端ではないですね~~~。
設計者の情熱=冷静な科学を支えるパトスに感動しました。


(用いたSACDプレーヤーは、マランツのSAー12S2)

☆技術的な詳細は、三菱電線のホームページをご覧ください。販売店では買えず、直販のみです。

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追記、10月15日

SACDプレーヤー=Shanling(シャンリン)SCD-T200Cの修理が上がり、このプレーヤーで電源コードを試して見ましたが、結果は同じ。
この真空管出力のSACDプレーヤーは、マランツの高級型より更に音がよく、実在感に優れ、生の音のイメージに近づきます。そのよさを三菱の電源コードが十全にひき出し、実に聞きやすく、安定感抜群の音、低音が余裕をもって伸びていきます。
よい意味で、電源コードの標準となる製品、それがわたしの結論です。26000円は極めて良心的な価格です。


武田康弘


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オーディオ談義③ー「コードによる変化」

2009-10-03 | 趣味

古林治さんと染谷裕太さんの「オーデイオ体験談」 ① & ②の続きです。


コードで音が変わることについて。

誤解を避けるために、少し書きます。

オーディオ装置は、スピーカー、アンプ、CDプレーヤーで構成されますが、これらのもつ個性、とくにスケールの大小で、基本の骨格が決まります。
もちろん大型装置では、スケールが大きく、エネルギー量も豊かです(スピーカーに一番左右されますが、アンプやプレーヤーにも関係します)。
ただし、聴く環境や音量や聴き方により、大型装置ではマイナスとなることがあります。
現実には、小型装置の方が適することも多いのです。それぞれ違う「よさ」があるのです。

コードを変えることで、この基本の骨格・性格(特にそのスケール)が変わることはありません。基本の骨格は変わりませんが、音質の変化は、かなり大きなもので、おそらく、オーディオにあまり関心のない方が想像するよりもはるかに大きく、その変化に驚かれると思います。

コードで変わる、というのは、音の濃やかさ、質感、色模様、締まり、濃淡、余韻、硬柔、ある程度のエネルギー感などですが、何十万円もするハイエンド用のコードにしたら、元の音の骨格まで変わってしまうという意味ではありません。当たり前の話ですが。

なお、教育館本部(武田宅)のオーディオシステムは、
【CDによるコンサート】(新旧の演奏を味わうことや演奏の聴き比べ)のためにつくったものですので、一般家庭における再生音とは異なり、スケールが大きく、情報量が多く、ダイナミックレンジと周波数帯域が広いですが、そのためには、装置が大型化してしまい、建物の堅牢さも必要ですので、これを基準にして一般家庭用のオーディオシステムを組むことはできません。

総重量は200キログラムほどで、ピアノと同程度ですが、音楽の支えである低音を余裕をもって再現するためにはどうしても大がかりになってしまいます。
電源も家庭内配線とは別に200ボルトで引き、それをオーディオ用の大型トランスで100ボルト下げて使っています。

もう少し一般向きのオーディオの場合、大エネルギーは必要としませんので、量よりも質を確保すれば、気持ちよく聞くことができ、満足感が得られます。体全体で音圧を受けるような聴き方をするのでなければ、大きなシステムはいらないのです。


武田康弘


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う、これはよさそう!ソニーα550 10月22日発売

2009-09-30 | 趣味

わたしは、愛用のソニーα700を、「いいカメラです」で紹介しました。これはAPS版の本格的一眼レフで、つくりのよさは天下一品でしたが、現在は製造が終わり、入手困難です。

液晶画面の美しさは、デシタルカメラの命の一つですが、新しく発売予定のα550は、α700と同じ92万ドットです。またさすがに後発ですので、さまざまな機能も充実しています。価格が安いので、700の高級感はないでしょうが、デザインは美しく、小型化されているので、使いやすそうです(ただし、ファインダーは、プリズム式ではないので、見えはよくないでしょうが)。

一眼レフカメラとしての機能に徹していますので、ベテランの方も高く評価されるのではないかと思います。

ヒットする予感がします。

組み合わせるレンズは、ツアイスの16-80mmがお薦めです。このレンズは、データを超えて、白の抜けが他社のレンズとは明らかに違い、画像が美しいので、実写すると後戻りできなくなります(笑)。


武田康弘


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オーディオ体験談-② 一応、完結です。

2009-09-04 | 趣味

古林さん、
「コード」について悩まれているご様子ですので、少し書きます。

わたしが高校生の時(1960年代後半)、親友と二人で「コード」に着目していろいろ実験していたころは、コードで音が変わるという認識は世間にはまだなく、自分でつくる(数本をパラレルにしたり、三つ編みのようによじってみたり、平行線を二本にし離してみたり、・・・)しかなかったのですが、今は、三菱や日立や古川などの大企業から家内工業や個人による手作りまで膨大な製品が出ています。輸入品の数もすごくてとても全体を把握することはできません。同一製品でも超低温処理をして物性を変えた製品が販売会社から売り出されたりもしています。
こうした「コード」についての情報は、まさに新興宗教のようで、「いままでの音がウソのよう」「ついに出会った究極の音」「オーディオ界の革命」「寄せられた感激の声の数々」「10倍高い製品に匹敵」・・・という具合です(笑)。
コード選択の目当ては、音の傾向=硬・柔、太・細、緩やか・締まる・・・・・・を知り(季刊「オーディオアクセサリー」などで繰り返しテストをしています。また、熱心な販売員は、毎日のように新製品をチェックしています)自分の装置に合いそうなものをカンで探るわけですが、アンプとスピーカーの相性で古林さんも体験されたようになかなか大変です。
ある装置で「よい」という結果が出ても、他の装置には合わない、また、人による聴き方の違いも大きく、まったく正反対の結論に至ることもあります。利酒と同じで、音楽とオーディオ体験が豊富になれば、一定の一致には達しますし、合う・合わないの判断は出来ますが、「好み」のレベルになれば、バラバラです。
だから、コード類に限らずオーディオ製品は、聴く人と聴き方と環境に合ったものを探る、そのために「情報」を見る(=傾向を知る)というようにする他なく、無条件に「よい」という製品はないのです。 「絶対」はないし、つくれない。しかし、「一つのよい」はあるし、つくれる。これは、哲学=人間の生と同じですね(笑)。
武田

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古林です。

個人の嗜好と機材同士との相性を考慮しないと良し悪しの意味自体が成立しないこと、重々わかります。
その昔、オーディオにはまらなかった(敢えて深入りしなかった)理由は、単にお金と時間だけの問題ではなくて、オタク(病気)の世界と隣り合わせのように見えて気持ち悪く感じたせいもあります(笑)。当時はまだケーブル云々まで行ってませんでしたけど。
いずれにしても、より良いを追求する世界とマニア・オタクの世界とは表面的な現象としては近いところにあって紛らわしいですね。

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古林さん

「オタク(病気)の世界と隣り合わせのように見えて気持ち悪く感じたせいも
あります(笑)。」(古林)

は、オーデイオに限らずです。
哲学も、法学などの個別学問の学者もオタクが多いですよね。

①何のために、②何を目がけて、③どのような方法で、ということが、明晰に意識され、かつ開かれたものになっていないと、なんでもオタクになります。今の日本で「受験秀才」は、ほとんど全員オタク(=テストオタク)ではないでしょうか?(笑)。

オーディオは、感性が試される総合的な技術のため、特定の「理論」によって図ることが出来ず、実践的な試行錯誤と豊かな感性が求められます。ところが、「理論」による決着を求めがちな男性がオーディオの主役なために、「一つのよい」を求めるのではなく、「絶対的なよい」を求めがちで、それが、袋小路に入る原因のように思えます。無意識の底意として、「理論」を詰めれば分かる(解明できる)はずだ、という想念に縛られていると、どのような分野でもオタクになりますね。

武田

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染谷裕太です。

オーディオも大きな世界の中の一つのものだと分からずに
「オーディオ」という世界の中だけで重箱の隅をつつくような事ばかりしているのがオタクってことですかね。学者の世界もそうですね。


ベルリオーズ鳴らしてみました。
前から感じていたことですがベルリオーズの音楽は音楽じゃないみたいですね。
初めて聴いた時は自分が今まで聴いてきた音楽とは全然違うので戸惑いました。音楽って同じような旋律を何度も繰り返すので次がなんとなく分かって、だから無意識にメロディーを追いかけながら聴いていたのですが、ベルリオーズの音楽を初めて聴いた時は、どんなメロディーでどうなっていくのかが全然想像できなくて、「なんて聴き難いんだ」とさえ思いました。
でもタケセンが以前ブログに書いた聴き方のコツのとおりに聴いてみたら、ちゃんと音楽が入ってきたので、あれはちょっと目から鱗でした。

で、良いオーディオでベルリオーズ聴いてみてですが、音楽を聴いているというよりも、ベルリオーズの頭の中というか心の中というか、を見ているような体験しているような、なんとも言葉で言い難い感覚で、音楽なのにやたらと生々しく感じました。なんかもう他の作曲家とは頭の構造が根本的に違うと思います。なんであんな曲を作れるのか意味が分からんです(笑)

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古林です。
オーディオ体験談の続きです。

昨晩、私のピエガTS5を中心としたオーディオ・システムの音のチェックをしに
タケセンが拙宅へ。
二人で一通り、音を確認しながら、
『やっぱりこの組み合わせは結構いい音出してるよね。でもフル・オーケストラ聴くと(タケセン宅のシステムとの比較の問題だけど)ダイナミック・レンジの狭さを感じるねぇ。』
などと感想をたれていたのでした。

それから、
『ちょっとこの電源ケーブルに変えてみましょう。』
タケセンが持ち出したるは、タケセン宅で利用中の電源ケーブル。
恐ろしく頑強そうなごっついケーブルです。
ケーブル変えただけで音が変わることについてはもういくつか経験済みなのでさほど驚くようなことはない、と思っていたのでした。
が、これはちょっと!! ちょっとこれはないでしょう。
これまでは音の傾向が強調されるとか改善されるとかいうものでだったのですが、これは違います。全体に音がしっかりし、クリーンになり、楽器が生の楽器として聞こえ、人間の声(ヴォーカル)が生の声として聞こえてくるのです。
音の傾向はそのままに、音の質がまったく変わってしまうというあきれる経験をしてしまいました。
なんだよ!ケーブル一本でシステム全体の音の質が変わってしまうって?
参りました。聞かなけりゃ良かった(笑)。ケーブル一本に5万円?信じらんない!
と言っていた私がいずれ、そのような狂気にはまること間違いなさそうなのです。
ちなみに、いずれ買うことになりそうなこの電源ケーブルはジャーマンフィジックス(ドイツの独創的なスピーカーメーカー)製だそうです。

さて、おしまいに、スピーカーの下に御影石や大理石などを置いてしっかりさせると、さらに音がしっかり出るとのこと。今日、ジョイフル・ホンダで早速一枚750円の御影石を買ってきました。
石の下に敷くラバーマットを東急ハンズのネットで調べたのですが、よくわからずタケセンに相談したところ、タケセン手持ちのものを持ってきてくれたので、それを敷いて音を再生してみました。

今までこもっていたと思われる音が表に出てきた感じです。
たとえば、低域の音圧が体で感じられるようになりました。中域や高域でもこごもっていた音が出るように感じられ、結果的には音全体に厚みが出て立体感のある音に変わったように思います。

次はオーディオ・ケーブルをもう一度トライしてみようかと思ってます。

さーて、裕太君のほうはどうなってますでしょうかね。
お休みになったらいろいろいじってみてください。

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こんばんは、染谷です。

一昨日の日曜日、タケセンにスピーカーの置き方、ケーブルの接続の仕方などなど、色々と教わって現状の中で一応完成となりました。
で、感想ですが、とりあえずつないだだけだった一昨昨日まで状態と比べて明らかに良くなって、ベッタリしていた音がフワッと広がったように感じました。ケーブル一本、置き方一つで音は変わると聞いていましたが、基本を踏まえてちゃんとセッティングするとここまで変わってしまうとは。驚きです。

もう一つ驚いたのは電源ケーブル。古林さんの体験談その3に出てきたジャーマンフィジックスの電源ケーブルです。タケセンが持ってきてくれたので、それをつないで聴いた瞬間「え?ウソ?」と思いました。音が高級になって、オーディオの格があがったか、CDの演奏がもの凄く上手くなったのではないかと思うほど、ハッキリ違いました。雑音が消えたと言ったらいいのかな。聞こえなくてもいい部分が奥に引っ込んで、聴こえるべき部分の輪郭がハッキリとして、しかも高級な音で聴こえてくる。
値段が5万と聞いた時、「あぁやっぱり」という思いと同時に、「思ったより安い」とも思いました。見るからに高そうでオートバイに使うワイヤー錠なみのゴツさですが、これだけ音に影響することを考えれば、安いと思ってしまいます。これは「耳に毒だから」と言いながらも持ってきて聞かせてくれたタケセンにしてやられました(笑)
でもまぁ、しばらくはそのままで聴くと思います。その前にアンプ、CDプレーヤーを置く台と、スピーカー台のぐらつきをなんとかしないといけないので。

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裕太君

少し前の「常識」を持った人がこの音を聴いたら仰天!!するでしょうよ。
リビングが、まるでミニコンサートホールに早変わり!という感じでしたね。
朗々と歌う第九には聴きほれてしまいますが、このような音で音楽が鳴っていたら、み~んな音楽好きになります(笑)。
オーディオも大きく進歩して、よい時代になったもの。メイド イン ジャパンの素晴らしいスピーカー(フォステクス)を活かす組む合わせができて、わたしもホッとしています。ブラボー!!!

タケセン
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なお、組み合わせは、アンプとSACDプレーヤーは、デノンの1500です。

(コンパクトにまとめたい方は、同じくデノンのプレーヤーアンプ,RCD―CX1がいいと思います。なお、グレートを更に上げようと思う方は、プレーヤーを1650にされるとよいでしょう)

アンプとプレーヤーをつなぐピンコードは、一般的でどこでも入手可能なワイヤーワールド(1万円程度)を使用。
SPコードは、メートル1000円くらいのものでOK(締まり過ぎないもの)。電源コードは一番影響しますが、全体の価格を考慮して2万円程度のもの(ただしプレーヤーとアンプ用両方ですから4万円くらい)。

以上すべてで23万円くらいです。
なお、フォステクスよりこのスピーカー用のウーファーシステムが出ますが、これを加えると鬼に金棒ではないかと思われます。

タケセン=武田康弘



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オーディオ体験談ー① 古林治・染谷裕太・武田康弘

2009-09-01 | 趣味

≪オーディオ≫=感性が試される総合技術は、よき音楽文化を生みます。

以下は、白樺MLです。


古林です。
オーディオ体験談です。

今日(8月17日)、私は29年ぶりに自分のオーディオ・スピーカーを買ったのですが、とてもエキサイティングな体験でしたので少し触れてみたいと思います。

私が最初に自分のスピーカーを手にしたのは大学に入ってすぐ。JBLやタンノイといった海外の製品にあこがれながらも、高価なものは手に出来ず、迫力で勝負!とばかりに自作したのが最初の体験。
フォスターという日本メーカーのFE-203Σというユニットを2発入れたバックロードホーンでした。
品性とは無縁ながらジャズやロックを迫力だけで聴くには最高(とてもクラシックは聞けなかった、笑)。それから7年後、仕事の関係でヤマハ(日本楽器)のスピーカーを安く手にすることが出来、NS-690を買いました。実はつい最近まで他のオーディオ・システムとともにNS-690で聞いていたのです。私のスピーカーはそれ以来、実に29年ぶりなのです。

で、今日の秋葉行きとなったのですが、その経緯はこんな感じです。
染谷裕太君から、オーディオのシステムづくりを依頼されていたタケセンは、40年以上も付き合いをもつ秋葉原のダイナミックオーディオに行くことになり、スピーカーを物色していたわたし(古林)にも誘いのメールがありました。わたしもよろこんで同席し、視聴した、というわけです。

その体験は?
正に、驚きと歓びの連続でした。

最大の驚きのひとつは裕太君が買おうとしているオーディオ・システムのスピーカー、Fostex GX100。
そう、かつて私が自作したフォスターという会社の製品です(名称はFostexへ)。ところが、安くて迫力がある、というイメージだったものがそれとはまるで真逆。
GX100をDennonのアンプとCDプレーヤーにつなげ、ベートーベンを流す。まるでコンサート・ホールにいるような場が浮き上がってくる。音の輪郭はくっきり、透明で楽器一つ一つが明瞭に把握でき、立体感もある。音そのものに力もある。忠実な原音再生。限りなく元の音を忠実に再現してやろうというエンジニアの執念のようなものを感じます。その執念は半端なものではありません。なんだかツァイスのゾナー・レンズのあきれるほどの解像力を思い出します。それに、音量を上げても一向にバランスが崩れない。ますますパワーを上げたくなる。

これは凄い! こんな小さいスピーカーシステムでこれだけの音が聞けるのか!
あとはアンプをどれにするか。パイオニアとデノン。聞き比べれば明らか。パイオニアのアンプは良い音楽を再生しようとするけれど、GX100はひたすら原音に忠実に再生しようとする。結果的にはなんだか臨場感が失われてしまう感じ。デノンは忠実ですねえ。タケセンに言わせると地味、ということですが、細部にいたるまで原音再生にこだわるGX100にはこちらがぴったり。コンサートホールにいる臨場感、生々しさはこちららが凌駕。これで決まり!!

タケセン推薦のアンプとCDプレーヤーとスピーカーは一式で175000円(タケセンの交渉で価格コムの最安値より安い!)。
この価格でこれほどの音場が再生できるとは驚異としか言いようがありません。
これは素晴らしい買い物だ。


さて、次は私の番。
実は、真空管アンプ(Triode TRV-88SE)とCDプレーヤー(マランツSA8003)はすでに購入済みなのでこれらに合ったスピーカー探しということなのです。
タケセン推薦の真空管KT88を使ったアンプは、結構音がドンドンと出て来るタイプでエネルギーがあります。でも音自体は柔らかいです。音楽を聞かせるアンプです。
それとGX100を組み合わせるとどうなるか?良くないとは聞いてたけど、ちょっとドキドキワクワク。なぜって、あれだけ素晴らしい音出してたスピーカーですもん。でも・・・
なんだこりゃ!? 音が分離しない、ごにょごにょ固まった音魁が出てくるだけ。あきれ果てる。ガックリ!相性悪いとかではなく、まったく互いに受け入れない感じ。

それから店員さんお勧めのスピーカーをいくつか聞く。最初はJBL。えー!JBLってこんな情けない音だったっけ?モコモコして音の切れが悪い。確かに大きなキャビネットで鳴らせばそうなるよね。ちょっとがっかり。
それからElac。少し期待したのだけれど、これも今一ピンと来ない。
そこでタケセンが一言。ウィーン・アコースティック(ViennaAcoustic)はどう?
なるほど。音楽を聞かせようとする音、柔らかく訴えかけてくる。色艶たっぷりの音を奏でます。ジャズ・ヴォーカルなんかいいですねえ、これ。
でも、これじゃちょっとヌルくて飽きるような気がするなあ。音そのものに力も余りない感じ。悪くないんだけど、コルトレーンやカサンドラ・ウィルソン聞くには辛いなあ、と思っていると・・・

店員さん、いきなり作業を始める。これ、どうでしょう?と奇妙なスピーカーの接続を始める。幅は10cm程度、えらく細長い華奢な感じのスピーカー。音を入れる。
何じゃこりゃあ!?
低音域がえらいしっかりしている。見た目とのあまりのギャップの大きさに大笑い。でも足腰しっかりして芯がありながら色艶もしっかり出てる。音楽を奏でてるんだなあ、これが。パワーもある、音にエネルギーもある。まったくのドンピシャリ。これで決まりだな、とタケセン。

実は私も同感。ジャズボーカルもアコースティックもエレクトリックもいける。でも、ちょっと待てよ、こんな色艶出しててクラシックはちゃんと鳴るのかいな?ベートーベンを流して10秒。はい、決まり。まったく問題なし。
新製品導入のために展示品を処分する必要のあった店員さん、あまりにドンピシャなので、勧めた本人も驚いている様子。

私のシステムは真空管アンプ(Triode TRV-88SE)とCDプレーヤー(マランツSA8003)それにピエガ(Piega スイス)TS5となりました。
展示品特別割引(約4割引き))でした。

また、タケセンのアドバイスで、オーディオのアクセサリーやホスピタルグレードの電源コンセントなども購入してきました。裕太君は、SPコード、ピンケーブル、電源コードも揃えましたが、すべて組んで鳴らすのが楽しみでしょう。タケセンはまたチューニングが大変(笑)。御苦労さまです。

裕太君のシステム(GX100)も私のシステム(TS5)もどちらも素晴らしい音を奏でてくれます。でも内実はまったく異なります。
GX100のシステムはどこまでも原音を忠実に再生しようとします。まだ音楽の志向がこれからも変化する可能性のある若い裕太君にとって、良い音楽を良い音で聴き自らの感性を鍛え上げていくには、GX100のシステムは最高のチョイスでしょうね。

一方、ある程度歳を取り、音楽の志向も定着している私のような人間にとっては、その音楽を音楽らしくエネルギッシュに鳴らしてくれるKT88真空管アンプとTS5の組み合わせは音楽を聴く喜びを与えてくれます。私にはぴったりですね。
『人生いろいろ』とアホなことを言う人もいます。でも、それとは意味が違って、『良い』には質の違いがありますが、その一つの『良い』を生み出し、発見することは手間がかかり、また、よいアドバイサーの力が必要です。しかし、「一つのよい」を見い出したときには、言葉にならぬ大きな喜びが得られます。
というわけで、今日は二つの良い音を発見することが出来、とてもエキサイティングな一日となりました。(古林治)

参考:
http://www.fostex.jp/p/sp_index/ Fostex GX100
http://www.piega.jp/products/ts5_01.html Piega TS5
―――――――――――――――――――――――――――――――――

武田(タケセン)です。

古林さん、ピッタリのスピーカーに出会ってよかったですね。
お誘いしたかいがありました。

「『人生いろいろ』とアホなことを言う人もいます。でも、それとは意味が違って、『良い』には質の違いがありますが、その一つの『良い』を生み出し、発見することは手間がかかり、また、よいアドバイサーの力が必要です。しかし、「一つのよい」を見い出したときには、言葉にならぬ大きな喜びが得られます。」(古林)

ここが核心ですね。

同じオーディオシステムという枠内でも「よい」は実にいろいろ、多種多様で、目眩がするほど(笑)。
でも、ダメ・悪い、と ピッタリ・よいはハッキリしています。
このピッタリ~~を見出すのは、実はとても難しく、雑誌やネットという情報を頼りにうかつに手を出すと、酷い目に合います。時間とお金を持て余し、音楽経験も十分にある人でないと出来ません(笑)ホントウです。多くは、「主観主義」に陥り、オタク化してしまいます(独りヨガリ)。コード一本、置台ひとつで音はコロコロ変わりますので、座標軸が定まらないと、無限地獄!!(笑)

というわけで、音楽の愉悦に浸りたい方、音の魅力を味わいたい方は、この道42年のタケセンにご相談ください(笑)。ただし、総予算の最低限は25万円ですので、それ以上でお願いします(なんだか商売みたい?)。

音楽を聴く装置=オーディオは、主観性の「よい」の探求で、まさに哲学です。

――――――――――――――――――――――――――――――

染谷裕太です。

こんばんは、染谷です。すみません、ちょっと遅くなりましたが今度は僕のオーディオ体験談を。

古林さんの体験談にも出てますが、数ヶ月前(就職する前)、タケセンにオーディオのシステムづくりをお願いしました。僕の場合、古林さんと違って元々オーディオをやっていたわけではなかったので、本当に何も分からない状態からのスタートでした。

元々オーディオをやっていたわけではなく、クラシックの生演奏を聞いたことがあるわけでもなく、むしろ小学校の頃は音楽だけは毎学期必ずABCの「C」をとるくらい(笑)で、音楽を積極的に聴き始めたのも大学に入ってからという、音楽体験の乏しく、まさかオーディオに20数万もかけるようになるとは思えない人生送ってましたが、それでも買ってしまったのは恐らく、というより間違いなくタケセンの家にあるオーディオで音楽を聴いたからでした。自分の家にあるしょぼいミニコンポでも聴いていれば「良いな」と思ったり、感動のようなものを感じることはありますが、本物のオーディオで良い音楽を聴いた時には心臓を打ち抜かれたような感動を覚えます。その世界を知ってしまったらやっぱり欲しくなりますし、程度の低いものを持っていると、自分の程度もその程度みたいで、そのこと自体嫌になってきます。そんなわけでオーディオが欲しくなったのですが、機材やセッティングに関しては自分では「何が分からないのか分からない」状態なので、それ関してはもう完全にタケセン任せで、とりあえずなるべく早く最低ラインと言われた金額まで貯金するのに勤しんでました。

それで16日、お金も貯まった所で秋葉原へ連れてってもらい一式揃えたわけですが・・・
オーディオの世界は自分が思っていたよりもずっとずっと奥が深くて際限がない世界でした。
実は秋葉原に行く前に、一度タケセンと柏の「オーディオユニオン」という所へ行って、その時に今回購入したスピーカーGX100ともう一つどこか(どこのでしたっけ?)※注のスピーカーを聞き比べていました。価格差は2万円くらい(GX100の方が高い)だったのですが、その音の差は僕でもハッキリと分かりました。これは全く比較にならない、この値段の差でこれだけの違いはありえない、と。
GX100の方はあの小さな箱から出ているとは思えないくらいに音に密度があってクリアに聞こえて「聴きたい!」という欲求に十二分に応えてくれると感じましたが、もう一つの方はBGMで流す程度ならむしろ良いかもしれないけど、「聴きたい!」と思ったら完全に欲求不満になるような音でした。

秋葉原のダイナミックオーディオではGX100にデノン、トライオード、パイオニアのアンプとの組み合わせで何度か繰り返して聴いて、正直色々な組み合わせを次から次と聴いて途中わけがわからなくなったのですが、最後の方、改めてデノンを聴いた時に「あ、やっぱりこれだな」と思いました。
真空管アンプは音がこもって明らかに合ってない。パイオニアの方は最初聴いた時は「キレイ」という印象を持ちましたが、何度か聞き比べていると落ち着いてじっくり聴くにはなんだか軽くて飽きる感じでした。

最初、自分なりに理解するためにオーディオを自転車に当てはめてスピーカーがフレームでアンプがホイールかなぁ、などと考えていたのですが、全然当てはまらない!ということが分かりました。音に影響する要素は本当に沢山あって、僕はまだアンプとスピーカーの組み合わせで変わることくらいしか体験してませんが、電源コードで音が変わる、置く台で、置き方でも音が変わる、それもかなり変わる。さらに難しいのは高級品で全て揃えたからといって最高の音が出るわけでは全くなく、逆に最悪な音になるかもしれないということ。さらにはどんな部屋でどのように聴くかなど、様々な要素を同時にまとめて、引いて見ることが必要で、ものすごく骨の折れる作業だということを、タケセンに任せきりながらもヒシヒシと感じました。一個一個、部分部分だけを追っていたら本当に大変なことになりますね、これは。

最後に今日とりあえず線つないで聴ける状態にしてみたのでその感想を。
自宅で改めて聴いてみると、やっぱり良い!です(笑)。
今まで聞いていたコンポとは音の存在感が全然違います。雑音も照明も音に対して凄く邪魔に感じます。暗くして一人で静かにじっくりと聴いたら相当楽しそうです。
面白そうなのでクラシックだけじゃなく、モーニング娘のCD(僕のではないですよ)も聴いてみましたが、なんと下品なことか!ポップスの音としての質がこんなにも酷いものだとは思ってませんでした。他のJ-POPも聴いてみましたが同じでした。前にタケセンがクラシックは音として高級だと言っていた意味がよーく分かりました。ポップスしか聴かない人は良いオーディオを買ったらイケナイですね(笑)。分かりすぎてしまって全然聴いていられません。
とりあえず一通りは揃って聴けるようになったので、これから色々とやっていくのが楽しみです。

(※注 このスピーカーは、KEFのIQ30です。)
――――――――――――――――――――――――――――――

裕太君

「タケセンの家にあるオーディオで音楽を聴いたからでした。・・本物のオーディオで良い音楽を聴いた時には心臓を打ち抜かれたような感動を覚えます。」

なにかを欲するのは、何であれ「感動」が出発点ですよね。感動なしに(ただ外にある世間の価値に従って)何かをする人が多くなったのが現代ですが、それでは人間の芯が豊にならず、硬直し、紋切型のエロースに乏しい存在にしかなれません。いろいろな「感動」がこの裕太君のメールには溢れていて、読んでいてとても気持ちがよいです。今度はコンサートホールにも足を運んでくださいね。

「今日とりあえず線つないで聴ける状態にしてみたのでその感想を。
自宅で改めて聴いてみると、やっぱり良い!です(笑)。」

おー、おめでとう!スピーカーはじめ、すべての機材(コード類も)は鳴らしこむと音がよくなります。毎日聞いて下さい。大きめの音量で鳴らさないとエージングが進まないので、おやすみの日は近所迷惑で~(笑)。来週チューニングに行きます。

つづく。
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デイヴィス指揮ーベルリオーズ「レクイエム」のライブ

2009-07-15 | 趣味
ベルリオーズの音楽を愛聴して40年。
この想像力そのもののような音楽は、わたしに精神の自由を与えてくれた。

彼の音楽は、形式を踏まえた音楽とは対極の、情熱と抒情性の音楽だ。
ただし、横溢するロマンは、ロマン主義とはならず、古典的とさえ言える論理を持つ。

わたしは、長いこと、ベルリオーズが、自身の最高傑作を「レクイエム」だと述べたことが腑に落ちなかった。

しかし、昨年あるCDとの出会いが、その謎を氷解させてくれた。

長年、ベルリオーズに特別の思いを持ち続けるイギリスの指揮者、サー・コリン・デイヴィスが、1994年2月14日に行った「ドレスデン爆撃戦没者追悼演奏会」のライブだ。オーケストラは、シュターツカペレ・ドレスデン。

このレクイエム(鎮魂歌)は、東京大空襲と同時期に起きたイギリスとアメリカによるドレスデンへの無差別爆撃による死者を悼むために奏されたのだが、1960年代~70年代にかけて数々のベルリオーズの名演奏をなし、近年また頻繁にCDを出しているデイヴィス(そのLPとCDのほとんどをわたしは聴いている)は、この特別の演奏会で、今までとはまるで違う「霊感」に憑かれ、この曲の真価をはじめて十全に現した。

わたしは、ベルリオーズのレクイエムが巨大な編成を必要とするは、大音響による効果のためではなく、消え入るような弱音の美と深い叙情性を生み出すためであることを、深く了解した。

なるほど、これは比較を絶した驚くべき音楽だ。深い人間性の悲しみは、実に美しい。


武田康弘
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ソニーのデジタル一眼・製造中止したα700は、いいカメラです。

2009-06-26 | 趣味
実際に触れてシャーターを切ってみる、
その音がカメラの構造のありようを映す。小気味良い音がするか否か?
ファインダーを覗く、画像のシャープや明るさ、色の正確さを見る。
液晶画像の見易さ、美しさを見る。
こういう基本性能の高さは、使うものに深い満足をもたらし、よい写真を生む原動力になる。

ソニーが製造中止したα700は、実売価格が9万円程度だったが、基本性能が高く、お金がかかった造りをしていて、売ってもあまり儲からなかったであろう。
手抜きなしで真面目につくり過ぎた!?ゆえに、ユーザーは大満足だ。これだけ基本性能のよいカメラは、もし後継機種が出たとしてもかなりの価格になるはず。写真をしっかり撮ろうとする意欲のある方は、在庫があれば、ぜひ買われることをお勧めしたい(常用レンズは、コンパクトなAPS用のZEISS・16~80mmが一番。ボディーとのバランスがよく、描写は、解像力はほどほどだが、艶やかさ・色の抜けの良さ・白の美しさが際立ち、主観的満足度が高い)

この真面目な姿勢が続けば、ソニーは、デジタル一眼の世界でニコンやキャノン以上の価値ある存在になれるだろう。ZEISS最新設計のレンズ群を使えるという何よりの強みがあるのだから(大きくて重たいが)。



カメラのデザインについて。
ニコンは、「機械マニア」を連想させる固くて色気のないデザインだし、
キャノンは、「偏差値秀才」を連想させる余裕のないデザインだ。
わたしは、柔らかみがあり詰め過ぎないソニーのデザインが好きだ。親しみが持て、愛着が湧く。どこか長年愛用してきたフィルムカメラのコンタックスにも雰囲気が似ている。

------------------
上のブログに、プロのカメラマンのKさんからコメントがありました。

α-700 本当にお買い得です。大満足です。
α-7700i以来のMinolta愛用者で、Reflex 500mm F8レンズの熱烈なる愛用者です。
Konica-Minolta α-7 Digitalと共に使用してきました、良い写真が得られて来ましたが、
レンズに超音波モーターがないので、動体撮影ではCモードで「ジコジコ」と音がしました。
ところが、今回α-700 に着けて撮影すると、一瞬で合焦するので音がしません。

5月の初めに購入して、プロなので、テストに借りたNikon D700とNikon D3x と私のD300とD2x と撮り比べしました。写した結果をA4にプリントして比べてみても、Nikonのフラッグシップ・カメラによるものと、シャープネス、色再現、カラーバランス、質感などなど全く区別がつきませんでした。

恐らく、Sonyさんは、上級機種をα-900 に絞り込む予定ではないかと思います。
なぜなら、α-900はフルサイズという点を別にすれば。α-700と全く同じスペックだからです。逆にいえば、α-700 発売から1年半で、これに優る新型をだす必然性が無いと思います。

まだ在庫があれば、購入をお勧めします。
私の場合、決断が遅れて、α-700 Body は売り切れ、止む無くレンズ付キットで購入しました。キットの16-105 mm もシャープな良いレンズなので、損をしたとは思いません。

2009/06/28 12:18 

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ツァイスレンズーソニーα用のズームDT16-80mmF3.5-F4.5ZA

2008-07-26 | 趣味
この16-80mm(フルサイズ換算で24-120mm)は、
さすがにツァイスがデジタル用に新設計しただけのことはあります。
色の抜けのよさ、純白のキャンパスに描かれた絵、とでも言えばいいでしょうか。他社のレンズと比較するまでもなく、一目で色の純度が高いことが分かります。
これは、フィルム時代からのツァイスの特徴で、わたしがテストした国産レンズは、みな白が濁るのです。だから、画像の品位下がり、立体感も得にくくなります。
この特徴は、その場で画像が見られるデジタル時代には多くの人に分かるのではないでしょうか、一目です。
また、色のりがよく、その色が実物よりもわずかに艶っぽく見えるので、見る人の感情を満足させます。
ツァイスのレンズは、画像に豊かなエロースがあるために、その価格を忘れさせます。いくらでもいい!?(笑)という気持ちになるのです。おお、恐っ!(笑)。
こういう色のレンズを一度使うと、まず元へは戻れないでしょう。日本的な侘び寂(わびさび)の世界とは対極の明澄な善・美の世界は、エーゲ海のよう?

☆☆☆☆☆
こういう違いは、客観テスト・評価では出ません=表せません。
自分で撮ると違いは一目ですが、その違いの優劣の評価は、何を価値と考えるかという主観性の領域で決まるからです。結局は、善美の基準=生き方=哲学の問題になります。例えばトヨタの車が売れるのは、それが現代の管理社会の「よい」に合致しているからですが、ツァイスの思想はそれとは大きく異なり、ルネサンス的な「人間性への信頼と肯定のロマン」に通じる善美だと言えましょう。


ただし、これはズームレンズですので、同じツァイスの単焦点レンズ(いまのところ85mmと135mmしかありませんが)と比べれば差があります。

135mmとの違いは、3点です。①まず、色の透明度と忠実度が違います。135mmは透き通るような色で繊細な表現ですが、ズームはこれと比べると細やかさが不足しますし、少し派手でつくられた色に感じます。②次に、解像度はかなり違います。パソコン画面上では拡大されますので、違いは大きく現れます。135mmは極めて線が細くどこまでも解像して恐ろしい程です。一方、ズームの方は、必要にして十分な解像力といえますが、比べれば相当に差があります。ただし、コントラスト重視の設計で見せ方がうまく、プリントした写真は美しく見栄えがします。③最後の違いは、トーン(階調)の滑らかさと豊かさですが、16-80も健闘していますが、これはもともとズームが苦手とする分野で、差がつきます。

総合すれば、135mmは、繊細・緻密・透明でありながら、盤石の安定・強さを示す比較を絶したスーパーレンズですが、16-80mmズームは、ベールを剥がしたような美しさを、分かりやすく、くっきりと示す優秀レンズだ、と言えるでしょう。

ソニーα350とのバランスは、大きさ・重さ・デザインともに良好です(写真を参照)。


おまけ。
ある方のブログをご紹介します。キャノンのLレンズとの比較写真です.

キャノンは、フルサイズ用の24-105mmF4L IS USMで、
重さは670g、定価は、152250円です。

ツァイスの方は、このズームとは違いますが、レンズ一体型のソニーサイバーショットDSC-R1のレンズ(焦点距離は同じ)です。定価は、カメラ一体で99800円ですが、現在は発売されていません。なお、このレンズは、レンズ構成も開放F値も、ここで私が取り上げた一眼レフ用のDT16-80mmズームとは異なります。



武田康弘
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ツァイス ゾナー135mm F1.8ZA(ソニーα・デジタル用新設計レンズ)

2008-07-15 | 趣味
(下のブログのつづき)

【ツァイス ゾナー135mm F1.8ZAのレポート】http://www.ecat.sony.co.jp/alpha/lens/lens.cfm?PD=24690

まず一目でわかるのは、色の透明度と品位、シャープネスの違いです。

描写は大変きめ細やか、緻密で正確です。恐ろしいほどの解像力ですが、特別な強調感や癖が全くなく実に自然です。

次に色ですが、極めて透明度が高く、少しの濁りもありません。偏りがなく大変忠実な再現ですが、どこか近寄り難いような美しさを感じます。

絞り開放でボケを生かした撮影でも、画像は凛として立っています。

また、階調の幅が広く、なめらかです。これはズームレンズが不得手とする分野です。
ボケは、何がボケたかが分かるような芯のある美しさですが、階調の豊かさとあいまって見事な立体感を生みます。

見るからに高級な光学ガラス、特別なコーティング、ズシリとくる重さ、洗練されたデザインと金属鏡筒が醸す風格、とにかく使う人にも覚悟がいります。おいそれと使いこなせるレンズではありません。

かつて、コンタックス用のプラナー135ミリF2という大口径レンズを、たった5枚のレンズでつくるという離れ業を演じたツァイスですが、今度は、ショット社(ツァイス財団グループ)が開発したEDガラス2枚を含む11枚構成で、徹底的に諸収差を除き、F1.8開放から驚くべきコントラスト再現性と解像力を持つスーパーレンズを出してきたわけです。

これは、デジタル時代に放つツァイスの矢ですが、おそらくこのレンズを見てキャノンやニコンの技術者は心胆を寒からしめたのではないでしょうか。「写真はレンズで決まる!」をこれほどまでにはっきりと示したのは、ツァイスの高邁なプライドかもしれませんが、それにしても、ため息が出るほど美しい写りのレンズです。


武田康弘

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品位が高く上質なこと、柳兼子と清瀬保二

2008-07-08 | 趣味
「民芸」思想と運動の中心者であった白樺派の柳宗悦の妻、兼子(かねこ)は、日本最高のアルト歌手でしたが、夫の宗悦を物心両面で支え続けた人でした。
当時の常識に反して学生時代からの恋愛による結婚でしたので、兼子は「不良」と目されました。
彼女は、
生活においても、
芸術においても、
天皇制の日本政府によって虐げられた朝鮮の人々との熱い交流においても、
まったく怯(ひる)むことなく闘う人でした。
しかし、というか、それゆえにというか、兼子の顔は、優しさと厳しさが両立し、品のよい美しさに満ちています。
歌も姿勢も筋が通り、実に上質です。
体制に寄り添い、集団に同調し、狭い得を追う「俗人」とは根本的に違います。
人間の品位が高いのです。

その兼子が、晩年に一番尊敬し、敬愛した作曲家が、清瀬保二(きよせやすじ)でした。
清瀬もまた、既存のいかなる組織や団体とも無縁で、白樺派に親近性をもち、独学で音楽を極め、その質において日本最高の作曲家と言われました。世界的に有名になった武満徹は彼の弟子ですが、音楽の健全な強さと品位の高さにおいては師である清瀬保二を越えることはなかった、とわたしは見ます。
清瀬氏は、音楽上でも政治上でもけっして権威、権力に屈せず、闘う人でした。彼の音楽は純粋な強さをもち、極めて品位の高いものです。その顔もまた優しさと厳しさが両立し、品のよい美しさに満ちています。

わたしが見る限り、権力や財力に頭を下げ、地位や肩書きを求める人には、ひとりとして美しい人・品のよい人はいません。ほんとうの上質とは、己の存在を凝視し、その存在を世界に開き賭けるところからしか生じないのでしょう。周囲に迎合せず、深い孤独を引き受ける潔(いさぎよ)さが、よき美しき上質を生むのだと思います。

なんとも嬉しいことに、清瀬保二のピアノ独奏曲全曲(「東北のわらべ歌」は一部カット)が先月発売されました。待望していたCDですが、演奏もまた素晴らしいものです。ここでもまた、ピアニストの花岡千春さんは「美しい人」として知られる人のようです。ぜひみなさん、お聴き下さい。http://www.hmv.co.jp/product/detail/2731334

以下は、HMVに書いたレビューです。
「健全な強さ、土着的にして洗練の極、その質において、おそらくは日本最高の音楽である清瀬作品は、しかし、権威からも、伝統からも、前衛からも離れた孤高の存在ゆえに、既存の音楽家が手に負えぬものとなっていた。ところが、予期せぬところから素晴らしいCDが出た。花岡千春さんに感謝だ。清瀬保二の最初のピアノ独奏曲の録音としては、この清く手堅い演奏は、とても貴重である。」 タケセン, 我孫子市


武田康弘
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