思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

孫正義さんの主権在民のブログは、民主主義の原理そのもの

2008-09-05 | 日記
ソフトバンク代表の孫正義さんの2年前のブログが友人より送られてきましたが、これは【主権在民】と直接民主制の先行性を記したもので、【自問自答と自由対話】に基づく民主的=哲学的人間の育成を生涯の仕事とするわたしの考えに完全に符合するものですので、以下に全文をご紹介します。



赤じゅうたん vs インターネットテクノロジーで取り戻そう 主権在民の精神

 孫 正義(2006-08-30 11:52)


 先日、所用があり参議院を訪れた時のことだ。入り口中央には赤じゅうたんが敷いてあり私はなんら躊躇することなくそこから中へ入ろうとした。その瞬間、守衛から怒鳴られ制止された。

 「こら、そこを歩くな。横の通用口から入りなさい。そこは議員さんが通る場所だ」

 私は怒鳴り返した。

 「ちょっと待て。そんなことどこに書いてある。書いてもいないのになぜ、いきなり怒鳴られるんだ。そもそもどうして議員が赤じゅうたんの真ん中の入り口で、国民は通用口なんだ。俺は帰りも堂々と真ん中から出る。そして次に来るときも堂々と真ん中から入る。どうしても通したくなければ警察を呼んで逮捕してみろ」

 結局私は、真ん中から入り、真ん中から出たが、この出来事ほど今の議会制民主主義の歪みを表した象徴的な出来事はないだろう。まさに主権在民の精神を忘れた代議制度だと言えるのではないだろうか。

 議員、代議士というのはその名の通り、主権を持っている我々国民の代理として国会で議論をする人たちだ。憲法で主権在民が謳われているように、一番えらいのは国民であり議員は国民の下僕であるはずだ。それなのになぜ議員が真ん中の赤じゅうたんの入り口で国民が脇の通用口なのだ。

 もちろん守衛が悪いわけではない。彼らは職務として決められたとおりにやっているだけだ。しかし、彼らも長年この仕事をしてきて疑問に思ったことは無かったのだろうか。私と同じ主張をした人はいなかったのだろうか。なぜ主権を持っている国民が通用口で国民の代理人である議員が赤じゅうたんなのかと。もしかして我々国民もいつの間にか「一番えらいのは議員で、国民はその下」などと卑屈な考えを持ってしまっているのではないだろうか。

 ちなみに私はいろいろな国の国家元首を訪問した経験があるが、一度たりとも通用口など通されたことはない。いつも堂々と正面から入っている。何故自分の国の国会に正面から入れないのだ。

 代議制民主主義は、物理的な制約や、情報の偏在、テクノロジーの稚拙さなどで直接民主主義が不可能であった時代での民主主義の実現のため作られたシステムだ。そのシステムの根底にある精神は、主権在民であり、議員は国民の代理であるという考え方のはずだ。

 ところが日本においては、戦後の議会制度60年の歴史の中で、いつしか議員が権力を持っているかのごとく扱われ、主権在民の精神は薄らいでしまった。それは国民の政治への関心の低さにもひとつの原因はあると思う。

 このような状態は国家50年100年の大計でみると決して好ましい状態ではない。今まさに大きな枠組みを変える時がきたのではないだろうか。

 たとえば内閣総理大臣の選挙など何か国家にとって重要な決め事をする場合、国民投票など直接民主主義の制度を導入するというのはいかがだろう。直接民主主義というとすぐにポピュリズムだ、とか衆愚政治だとかいう反論が聞こえてくる。まさに、政治家や官が賢く民は愚かだ、という思想だ。

 確かに、教育水準にばらつきがありまた情報が偏在していた時代には、官が民をひっぱっていくというような政治、行政もあったであろう。しかし今は状況がまったく異なることは明らかだ。その証拠に官の仕事の代表格である全国の第三セクターの惨状を見てほしい。何一つ成功せず、その処理にさらに多額の我々の税金が投入されている有様だ。民間企業が血を流すような努力をしながら事業を行っていることを考えると、民は愚か、などということがどうして言えようか。

 国民と議員の関係は、株主と経営者の関係と似ている。株式会社で一番えらいのは株主である。社長や取締役は株主の委託を受けて会社を経営している。そして年一回だが必ず株主からの直接投票を得ているし、上場企業なら毎日株価という形で審判を得ているのだ。

 自民党総裁選が連日話題になっている。そのニュースを見ていると何か違和感を感ぜざるを得ない。

 自民党総裁は自民党議員、自民党員の投票で決まる。そして現在は自民党が与党であるから、総裁イコール日本の内閣総理大臣となる。確かに議員は我々が選挙で選んだ人たちだ。我々は選挙のたびに、候補者の政策、主義主張を比較しながら投票している。しかし議員が総裁選で誰を総裁に選ぶかまで考えて投票しているわけではない。また議員も総裁選の投票には必ずしも自分の意思で投票できていない可能性がある。派閥の論理に左右されるからだ。

 ということは自民党総裁選には、民意は正確には反映されていないということになる。また各省庁の大臣の人選についても同じだ。大臣については選挙もなく、総裁が指名する。では何を基準に選んでいるのか。財務大臣には財務のエキスパートが、経産大臣には経済政策のエキスパートが選ばれているのか。答えはノーだ。当選回数や党内のパワーバランスで決まっているのが実情なのである。しかし国家の難しい舵取りを任せる人たちがこのような選ばれ方で本当にいいのだろうか。せめて総理や大臣は国民投票で選んでもいいのではないか。インターネットというテクノロジーの進歩により国民は様々な情報に平等にアクセスできる時代だ。その情報を元に国民一人一人が投票を行う。最新のインターネット・テクノロジーを使えば簡単にできることだ。

 日本国憲法の制定によって確立した日本における議会制民主主義は今年で60年を迎える。憲法で保障されている主権在民の精神をもう一度取り戻す――。今まさに目指すべき方向ではないだろうか。

孫正義
コメント
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