16日のブログの続き
麻生太郎さんが自民党総裁になりましたが、内閣の顔ぶれは、一年前の安部内閣と同じく「お友達」&「国権派」ですね。「親の七光」と世間で言われている人たちが世襲でつくる内閣では「生活者が第一」の政治は無理でしょう。主権者であるふつうの市民がつくる公共政府ではなく、選民(エリート)がつくる公=国家主義政府はほんとうにもうたくさん、というのが正直なわたしの感想です。
東大出版会のシリーズ『公共哲学』(全20巻)の基本方針である「公」(おおやけ)と「公共」を分けるという思想は、民主制の原理に反するものです。現状は公(官僚政府)と公共(市民)が分かれていますが、それでは市民社会の原理である民主主義とは言えません。
われわれ主権者の「代行者」が政治家であり、官僚とは市民的公共を実現するためにのみ働く市民「サービスマン」である、という原理=当り前の思想に徹底して立つ政府(内閣)を市民の力でつくらなければ、と強く思います。エリート思想を排することで日本を北欧なみの民主主義社会にしたいものですね。
夢かな~?
麻生太郎さんが自民党総裁になりましたが、内閣の顔ぶれは、一年前の安部内閣と同じく「お友達」&「国権派」ですね。「親の七光」と世間で言われている人たちが世襲でつくる内閣では「生活者が第一」の政治は無理でしょう。主権者であるふつうの市民がつくる公共政府ではなく、選民(エリート)がつくる公=国家主義政府はほんとうにもうたくさん、というのが正直なわたしの感想です。
東大出版会のシリーズ『公共哲学』(全20巻)の基本方針である「公」(おおやけ)と「公共」を分けるという思想は、民主制の原理に反するものです。現状は公(官僚政府)と公共(市民)が分かれていますが、それでは市民社会の原理である民主主義とは言えません。
われわれ主権者の「代行者」が政治家であり、官僚とは市民的公共を実現するためにのみ働く市民「サービスマン」である、という原理=当り前の思想に徹底して立つ政府(内閣)を市民の力でつくらなければ、と強く思います。エリート思想を排することで日本を北欧なみの民主主義社会にしたいものですね。
夢かな~?