思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「自分で考える=哲学する」能力を身に付けるには、算数の文章題を解く練習が不可欠です。

2012-10-11 | 恋知(哲学)

いうまでもなく、哲学するというのは言葉を用いることですので、言葉の意味を掴み、言葉のもつ論理を知らなければなりません。

もちろん、言葉の使用は、言葉以前の広大なイマジネーションの世界に支えられてはじめて可能になるのであり、この原事実を忘れてはなりませんが、
言葉の意味―言葉の論理を身に付けなければ、言葉の表現性に囚われずに、文脈を正しく理解して、明晰に事象を知ることは不可能です。

では、そのような能力を身につけるにはどうしたらよいのか?

深く、正確に考えるための訓練として一番必要なのは、算数の文章題を解くことです。方程式を使う数学ではダメで、小学生の算数の文章題を解くのです。言葉の意味(表現性ではなく内容そのもの)を正確に捉えるための練習としてこれ以上に優れた方法はありません。

哲学する(=元に戻して自分の頭で考える)には、パターン化しないで(鶴亀算とか植木算とか・・・という形で解くのではなく)文章問題を解くことが必要です。この練習がおろそかだと、丸暗記で対応するという頭脳やパターンをあてはめて解くという頭脳にしかなれません。受験秀才の99パーセントはこれです。パターン当て嵌めで分かったような気になる「考えているもどき」では哀しいです。哲学書オタクにもよく見られます。

大人の方も、小学1年生の文章題の問題集をお買い求めになり、一問一問解いてみてください。正しい思考訓練になり、脳が活性化するはずです。哲学するために何よりも大事な訓練は身近な算数文章題への取り組みにあります。哲学書を読む事ではありません。

武田康弘

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