思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

『部活』という世界に例をみない思想&手法。 自由化のためのキャンペーンを!

2016-04-09 | 教育

 わたしは、こどもたちと40年間、ともに悩み、考え、行動してきましたが、中学校(高校も)の『部活』(他国の言語に翻訳不可能)は、書ききれないほどの問題を抱えていますので、一つひとつではなく、根本的な問題について一言します。

 『部活』は、思春期の自我形成期に、周りに合わせる生き方を刷り込ませる力を持ち、本人の自覚なしに、集団同調イズムに染めさせます。一人の精神的に自立した人間=「個人」ではなく、集団主義のニッポン人をつくります。自立性の強い人を「変わった人」と見るのは、実に恐ろしいことですが、右へならえを当然と思う「非自立人」が多数を占めれば、人は「個人」としては生きられなくなります。根源的な人権抑圧ですし、不健全な社会をつくってしまいます。

 わたしは、『部活』と『受験主義』の学習と、意味のない『校則』は、三者一体で中学生を馴致するアイテムであり、豊かな人間性を底から奪うものと見ていますが、中でも心身全体を縛る『部活』は、世界に例をみない染脳ー占脳の方法で、極めて特殊日本的な現象です。酷く困った問題ですが、ニッポン主義ー集団主義に従わせるには、実によく考えられ練られた手法です。

 教師は、自からが既成価値に従うだけの奴隷的存在に過ぎなければ、人間として失格です。「ドレイがドレイの仲間を増やすだけ」という悲喜劇にしかなりません。変えていきましょう~~。わたしたちみなの幸福を生むために! 自由は、人間の基本的な権利です。

  また、長時間、毎日、同じことを同じ人としていると、自分の頭で考えるという基本が弱くなります。私という個人の自由と責任意識が育たなくなり、学習でも余裕がないため、思考実験をしない頭になり、パターン知に陥ります。単線的な紋切型の頭脳になってしまうのです。受験知秀才以上にはなれません。

 

 みなさま、ぜひ、「部活自由化」のキャンペーンに賛同され、シェアしてください。

※入らない人を有形無形に差別する、空気で圧力をかける、ということだけは、絶対に許されないことです。入る、入らないは、自由でなければいけません。

 

 

武田康弘

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Facebook コメント

石川 裕一 こんばんは

協調性の為なのかはわかりませんが、海外は真逆な感じもします。

田舎の村八分、モラハラの根源な感じもします。

 

武田 康弘 ニッポンの常識は、世界の非常識、では困りますよね。

-----------------------------

福留 敬 上下関係もありますよね。まえに部活の上下関係の話を大人として「黒いものでも先輩が白と言ったら白」というような理不尽に従えるようになれる為に部活は必要。という考えの大人が多くてびっくりしました。大人社会がそうだからそれを学ぶ場という意識なんですね。

大学進学率以上に部活の実績に魅力を感じて我が子を入れたがる親も多いですよ。部活至上主義の原動力です。

あと真面目なひとで、授業をサボるよりも部活を休むことが本人へのマイナスと感じている親も多いですね。なんというか「部活で完全燃焼したという青春を我が子の人生に残してやりたい」という感じです。そのウラにはあとの人生にイイことなんてないからという感じがありますね(笑)

結局、親ですね。親が幸せな大人になっていなくて部活に打ち込んでた中学時代が幸せだったなあと思ってる親が多いんですね。

ちゃんと子どもの幸せを見れていないと思います。
親を親としてちゃんと育ててあげないと子どもは育てられません。

 

武田 康弘 親も子であったわけですから悪循環を断たねば。

-----------------------------

長谷川 裕彦 シェアさせていただきました。思い起こしてみれば,小学校での運動会や卒業式を始めとする多くの行事も中学の部活に繋がっていると思います。本当に「良く考えられた手法」だと思います。なんとかしなければ!

武田 康弘 ニッポン人にはなると、人間やめなけれななりません(笑)。精神の自立を疎ましく思うという国では、人間が人間として生きるという基本がありません。

 ーーーーーーーーーーーーーー

石橋 司 武田さま、よく仰っていただきました。
部活に加入しない子を「帰宅部」と呼ぶなど、根深い同調圧力があります。
中学校の部活から企業まで、富国強兵路線が真っ直ぐつながっていると思います。

武田 康弘 帰宅部、まったくブラックジョークです。
わたしの息子は、幼いころから運動好き、一度もスポーツ訓練はしませんでしたが、運動会ではいつも1番でした。中学に入学し、サッカー部に入ろうとしましたが、見学して「こんな練習はマチガッテいるよ」と言い、【帰宅部】を選択。唯ひとりでした。我孫子市の管理教育の中学校でよく貫いたと思います。いま、35歳で二人の子どもにいつも遊んであげるパパになりました。毎日、心身全体で遊んであげると運動神経がよくなり、訓練などしなくても大丈夫の見本を身をもって証明したのは、わたしです(自慢・笑)。一番大切なのは、心身全体で十分に遊ぶことですね。

ーーーーーーーーーーーーーーー

北浦 俊太郎 本来、児童生徒の自主的な活動のはずなのに、中国地方五県では三割くらいの中学校で部活動の強制加入になっています。もちろん、児童生徒の負担も大きいですが、先生方も、半ばボランティアでやっているところもあり、学校のブラック化の要因の一つになっています。若い先生方は自分が部活動をやった経験のない人も多く、部活動をもたされるとパニックになることもあります。
私は、部活動をやるなら、地域の社会体育に移行して、児童生徒が自由に地域で行う活動にすればよいと思います。
部活動が加熱するのは政治経済的なものもあります。

石橋 司 北浦さま、青森県八戸市の石橋と申します。
私は2000-2004年に小学校PTA会長を経験しました。当時の校長から「小学校部活動を廃止し、愛好会としたい」と申し入れがあり、私も賛同したので、がんばって改革しました。主旨は、教員が本務である授業に専念できる時間を確保することです。
強烈な反発がありました。保護者からは「放課後、どこに子どもを預ければいいんだ」と、部活が学童保育になっている実態が浮かび上がりました。
また校長は市教育委員会から、こってりと絞られたそうです。「生徒指導上の手落ちとなる」という叱責だったそうです。
それでも強行しました。校長と私は信念を抱いたからです。
幸いその小学校は、事故もなく愛好会が続けています。地域の指導者が学校に来てくれているからです。

北浦 俊太郎 自主的活動について教育委員会から叱られるというのはおかしなことですね。小学生の時は、もっとゆったりして、家庭や地域で過ごす時間も大事だと思います。保護者のことは保育園の問題と同じ問題がありますね。

武田 康弘 『部活動』という言葉=概念そのものが非人間性=ニッポン人性をうむのです。部活動という思想を破棄する以外はありません。

武田 康弘  石橋さんと校長の努力、実にすばらしいです。感動しました。

ーーーーーーーーーーーーー

富岡 達彦 学校という日本式序列社会が、学級の平成版陸軍内務班化を推進しています。。子どもたちに、優劣序列意識を植え付け、全体主義と集団的迎合同調へ誘います。個の多様性とはドンドンかけ離れ、規格・画一的人間を量産します。。教育を『狂育』・『狭育』にしてしまわないような、議論が必要ですね。

武田 康弘 日本社会は、二つの言葉ですべて収まります。「型と序列」
政治的な左右と関係なくです、(却ってリベラル派に多いのが学歴による序列主義)。
仏教の国なのに、なんというテイタラク。

ーーーーーーーーーーーーー


稲田 由美子 まことにおっしゃる通りです。


部活の強制、校則で服装や髪型を規制すること、受験体制の矛盾、排除したいものばかりです。

武田 康弘 わたしたち日本人も人間になろう~~~~という運動をしましょう(笑)


ーーーーーーーーーーーーー


澁谷 浩之 賛成します

 

 

きくち かおり 私は自分の学生時代、教師時代も部活動は楽しく、やりがいのあるものでした。(主に吹奏楽部)授業とは違って、生徒主導の部分も多い。
東北では中・高の吹奏楽部、合唱部の経験から音楽活動を大人になってもずっと続ける方も多いです。高いレベルの音楽的活動してる部も相当数あります。

ただし今の授業と平行して全て学校の教師が面倒見るのはあまりにも負担。休日なしで長期休暇中もずっとやる というのは辞めた方いいとは思います。
 
武田 康弘 わたしも吹奏楽部、トロンボーンでした。吹奏楽、楽しいです。
でも、それが、「部活」になると、おかしくなります。「愛好会」「同好会」としてみなで楽しむという考えでないと、違った方向に行きますが、その独特の縛りや先輩後輩という人間関係がやがて「心地よく」なり、それが命のようになります。まるで麻薬のよう。学校は部活のためにある!?(笑・困)

ーーーーーーーーーーー
 
 
林 美春 私の学校嫌いは正に先生御指摘の点でした。
 
齊藤 麻由美 長男は、そのシステムに合わせようと頑張りすぎて、疲れてしまい、約半年、学校に行かれませんでした。
 
Masumi Wagner こうした動きがついに出てきたことはすごい進歩だと思います。
 
 
武田 康弘 こどもは、けなげに合わせようと努力する、大人は合わせるは当然で、合わせられない子は異常だとする、なにも見えず、分からず、鈍感な大人は、自分を反省せず、子どもを悪とする。わたしは、こどもの代弁者として闘い続けて40年。傲慢で愚かな大人が威張り散らす愚劣な国を変えなきゃ、底まで腐る。

ーーーーーーーーーーーーーー
 
 
村上新 あらゆることに優先する中高生の部活。今見直しが必要ですね。
 
 
武田 康弘 まさに、「あらゆることに優先する」ですね。
個人の都合は認められず、家庭の都合も認められず、部活が優先。
その異様、異常さに気付くことが出来ず、いつの間にか、それで「よい」になる。
そういう人が増えれば、「個人」という言葉をすべて消した自民党憲法のおぞましさ・危険性に気付かず、その「異常さ」を当然とする世界の孤児になる。オランダのウォルフレンの言う「人間を幸福にしない日本というシステム」の完成。
自由と責任をもつ「個人」ではなく、
集団に埋没する「組織人」=ニッポン人が出来る。
精神的に自立する個人が歓迎されるどころか、疎まれる国は、こうして誕生するーそういうシナリオは最悪。必ず食い止め、個人が個人として尊重され、それぞれの個人が輝く社会をつくる!!
それは、結果的に、組織を活性化し、組織の力を強める。わたしは、日本オラクル(株)においてずっと以前に証明済み。

---------------------------------

 
染谷 裕太
染谷 裕太 僕はまさに野球部で「部活動」を身をもって体験しましたが、3年間続けたということを「偉い」と大人に言われた時には「この人は何にも分かってない」と思いました。あれは辞めるのが正常であって、続けるのがおかしい。しかし、おかしなことに従順に従うと、それを大人は褒める。

いま旅行をして色々な国の人を見ていますが、地域、国によって自覚の程度は違っても「自分を出す」のが根本的な生きる姿勢であることは共通していると感じます。日本の場合は逆で「自分を出さない」ように教育される。部活動はその象徴と思います。
 
武田 康弘
武田 康弘
ゆうた君、アフリカの地からありがとう~~~!!

「おかしなことに従順に従うと、それを大人は褒める。」-----日本人は従い、耐え、自分を殺す、それが「正しい」という文化、【生かさぬように殺さぬように】ーこれがニッポンの伝統(あんまりヒドイ思想なので怒りを通り越して笑うしかない)。

[「自分を出す」のが根本的な生きる姿勢であることは共通。しかし、「日本の場合は逆で「自分を出さない」ように教育される。部活動はその象徴」]
----深い意味で、人権侵害、人権はく奪、それを、「教育」と呼び、「あなたのため」と言う。ずいぶん変ですね。

世界のどこにも通用しない(北朝鮮では通用するかな?)思想・誘導・強制が「正しい」!!??
 
Toshirou Maruyama
Toshirou Maruyama ノールウェイからの留学生が、日本の高校のブラスバンド部に入り、その異常な練習ぶりに「Japanese are clazy!」と叫んでいたのを思い出しました。
 
武田 康弘

武田 康弘 以前に、我孫子市の白山中学校にホームステイきた女の子が、「監獄みたいな学校」と言い、帰ってしまったことがありました。

日本は全然西側諸国と価値観を同じくしていませんね、安倍晋三君、ウソは休み休みにしてちょうだいね。まあ、言っていることいつもウソばかりなので、わがニッポン人はウソがすきなのでしょうね。
われわれは、ウソとゴマカシとタテマエで生きる「美しい国」の国民です(笑困呆)。

ーーーーーーーーーーーーーーー

※部活に入らない人を有形無形に差別する、空気で圧力をかける、ということだけは、絶対に許されないことです。入る、入らない、は自由でなければいけません。ほんらいは当然のこと。

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする