思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

クルレンツィス+ムジカエテルナの映画を見て感動。すみだトリフォニー小ホール 世界を変える!

2018-02-23 | 芸術

 昨日、すみだトリフォニー小ホールで、クルレンツィスと彼がつくった世界最高峰のオーケストラ=ムジカエテルナの映画を見て、感動。わたしの直観が正しかったこともよく分かり、とても嬉しい!!

 まったく予備知識なしに(彼の名も存在も知らずに)チャイコフスキーの「悲愴」を聴いて全身に震えがきたとき、クルレンツィスを《古代ギリシャからの使者だ!》と書きましたが、まさしく彼は、指揮者という職業につく人ではなく、そういう枠組みを超えて、「一人立つ考える人間」で、深く繰り返し考える人生を歩み、古代アテネを想い、古代から続くアテネのフィロソフィーの歴史を意識し、その空気を何よりも尊いとものとしている。それが、彼の口から語られたのには、言葉を失うほどに感動しました。

 それは映画冒頭の「私ではなく、私の原型(イデア)がわたしを動かしている」という言葉からも明確でしたが、わたしは、私の思想=恋知を彼が語るのを聞き、よろこびでいっぱいになりました。

 その方法論=オケのメンバーや歌手に自身のイデーを伝える仕方も、わたしのフィロソフィー(恋知)+教育の方法と全く同じでした。感覚・思索・直観と結びついたイメージの世界から立ち昇るイデアを他者に伝えるのに、実際に歌い、踊り、身体と顔(表情)をフルに用いつつ言葉を使います。猛烈な早口で一つひとつのフレーズを極めて快活に明瞭に歌いながら伝えるのです。笑い、大声を出し、足踏みし、喜怒哀楽を全身で表しながらです。

 わたしの授業を受けている人はご存知のように、それは、わたしの方法論そのものです。以前に書いた通り「全身の細胞で考え、伝える」のです。抽象を「超」がつくほど具体化することで抽象を目に見えるようにするのです。幼児にさえ分かるように(笑)です。それは根源的という意味でラディカルですので、ニッポンの「常識人」には嫌われ、こどもや男性化していない女性たちには好かれます。

 クルレンツィスの恋知、発言や行動とつくりだす音楽を聞いて、わたしは、50数分間、ただ悦びが全身に広がるのに身を任せていました。彼を、指揮者を職業とする人と見るのは完全に間違っています。彼の音楽は、コパチンスカヤと同じく、人生そのもの、生活であり、思索であり、一人の人間として生きることのすべてなのです。彼は、「システム人」「事実人」(事実として人であるだけ))とは対極にある、最も人間味にあふれた人間です。豊かな価値を創造し、さまざまな意味が横溢する人間なのです。

 音楽は人間の生であり、音楽は恋知であり、音楽は生活です。音楽は音楽なのではありません。日本人のもつ専門家主義、餅は餅屋というセクショナリズム、型ハマリ、紋切型、形式主義、儀式優先の非人間性とは対極にある「豊かな人間精神」です。しなやかに全身で生きること、柔らかく自由な発想ー生き方、厳禁の精神とは対極のエロース溢れる人生、恋愛と直観の力による神秘性と肉体性の結合です。

 まさに、21世紀が何よりも必要としている レボリューション スピリット。

武田康弘

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YouTubeの映像からつくりました。


書斎 兼 音楽室 兼 客間  友人のピアニストの吉田まどかさんは、「プロメテウスの部屋」と命名(笑)

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