ありえないものを目の前にして、なんとも言葉を失いました。
「忠」という精神は、中国にはない日本独自の道徳で、「忠」の精神=道徳こそが日本を世界に冠たる国にした最大の精神的エネルギーであると説明するのは、靖国神社の理論的支柱=東大名誉教授の小堀桂一郎さんです。
小堀さんは、「忠」とは公=天皇のために「私」を捧げて、ついには命まで捧げて公=天皇を守るという精神である、と言い、それが日本を立派な近代国家にした原動力であるとします(「靖国神社」で平積みで売られているパンフレット『靖国神社を考える』)。
そういう国家主義思想とは反対に、一人ひとりの人間のありのままの生につき味方するのが、親鸞思想で、浄土真宗です。それゆえに、差別戒名とは無縁で(浄土真宗は戒名ではなく法名)すべての人に平等に、最初に「釈」という文字がきて、その後にその人をあらわす固有名がきます。生まれや家柄や社会的身分による差別は元からなく、人間存在の対等性の思想で、ブッタの思想そのままです。
こともあろうに、親鸞自身がつくった寺院(国の重要文化財)の境内に日清戦争で戦死した軍人のための忠魂碑がありました!! あまりのことに私はその場で倒れそうになりました。だからこの寺の境内は、国宝に指定されているのでしょうか?(笑) 親鸞が呆れ返り、憤ること100%確実です。
おそらく、有名で広大な敷地をもつ専修寺の境内に当時の村長や軍人の意向で置かざるをえなくなったのでしょうが、「村の神社」(当時は明治政府によりすべて国家による神社にされていた)に置くべき、と言い、断わらないといけないのに、
断われない柔弱な住職(あるは自身も明治政府の天皇教に侵されていた?)により、設置を認めてしまったと予測されますが、
戦後、天皇主権から国民主権にかわり75年も経つのですから、靖国思想を是認する近くの神社に移築すべきものと思います。
断われない柔弱な住職(あるは自身も明治政府の天皇教に侵されていた?)により、設置を認めてしまったと予測されますが、
戦後、天皇主権から国民主権にかわり75年も経つのですから、靖国思想を是認する近くの神社に移築すべきものと思います。