北条革命=承久の乱は、東国まで支配しようとした後鳥羽上皇ら京都の朝廷が、「義時を討て!」という院宣を出し、戦いを仕掛けたことにより起こりましたが、
「朝敵になった」ことに動揺する鎌倉幕府に集う東国武士たちを、北条政子は歴史的大演説により一つに団結させ、義時の長男・22歳の泰時は、深く敬愛する伯母の政子と父の義時の命でわすか18人で京を目がけて出陣。やがてその数は19万という大軍にとなり、京都の朝廷を完全に制圧し、後鳥羽上皇側は執権・北条義時に対して無条件降伏したのでした。
朝廷・後鳥羽上皇と10名あまりの息子たちは、遠島(後鳥羽と順徳は無期懲役)と出家で全員処分され、財産=数百か所の荘園は没収され、京都とその以西もすべて北条政権が統治することになりました。ここに東北から九州まで日本全国が統一されることになったのです。1221年の5月から6月の一か月間で勝負はつき、処分も終わりまた。
その処分により出家させられた後鳥羽の息子の一人は比叡山では周観と名乗りましたが、東国に来て、念仏宗を精力的に布教していた親鸞に帰依し、名を善性と改め(親鸞が名付)浄土真宗開宗に尽力しました。父の後鳥羽上皇の悪業(=親鸞の兄弟子4名を死刑とし親鸞など法然とその門下8名を流罪とした)を超え、親鸞の弟子として念仏宗布教のために東弘寺(現茨城県常総市)と板敷山大覚寺(現茨城県石岡市)などを開基しました。
この日本史最大の革命は、政子が念仏宗の寺(法然の浄土宗・安養院)をつくり、親鸞は、泰時に依頼されて政子の供養に尽力したように(茨城にいた時も京都へ帰ってからも)、新しい民衆(武士も含む)のための念仏宗=新仏教の布教と深く結びついています。釈迦の初心に帰ることを目がけた親鸞の浄土真宗はやがて日本最大の宗派に発展することになりました。なお、2023年は浄土真宗開宗800年、親鸞生誕850年です。
再来年2022年のNHK大河ドラマは、この北条政権の執権 義時を主人公とするものであると、わたしは、永井路子さんの「炎環」で知り(文庫本の帯に記されていた)、驚き、喜んでいます。昔の本ですが、読んでいなかったので購入したらお知らせがあったのです。
東国初の政権(将門の夢であった!)を源頼朝が現実としたのも、承久の乱という革命にまで進んだのも、すべては北条政子の燃え上がるような純愛にあります。13才で伊豆に島流しにされた源氏の御曹司の頼朝と、片田舎の小豪族の平氏側の長女である政子とが出合わなけば、何もなかったのです。政子が父親による軟禁から豪雨の中を頼朝の元に逃げなければすべては起きなかったことですが、その政子の一生を史実にそい描いたのが「龍になった女―北条政子の真実」です。とてもお勧めです。
なお、吾妻鏡(あずまかがみ)は北条政権の第一級資料ですが、全16巻もあります。マンガでは3冊に圧縮されています。