思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

八郷(やさと)の全体像 日本の原風景! 茨城県石岡市

2021-05-09 | その他
 
以下は、FBに出したものですが、
fbは、時間が経つと探すのに大変なので、Blogにも出します。


いつも行く八郷(やさと)は、わたしのお気に入りの場所(写真の中央)ですが、航空写真(グーグル地図)で見ると、全体象がよく分かります。

西(左)の山塊は、筑波 加波山系で、
南(下)の山塊は、不動峠 宝篋山(ほうきょうさん)小野山系で、
北東(上)の山塊は、吾国山(わがくにやま)難台山(なんだいさん)系です。
東(右)にも低い山が点々とあります。

広く開放的な盆地】 と言えますが、
富士山の宝永の大噴火(1707年)でも、東と南の山塊が火山灰を防いで、ほとんど入らなかったのではないでしょうか。
有史以前の浅間山、赤城山、男体山などの噴火による火山灰もブロックし、関東ローム層の赤土とは土質が違うように思えるのですが?(地理学者はどう見ているのでしょう)。

とにかく、日本の原風景のように思え、懐かしい感じがして大好きです。

赤印は観光施設のフラワーパークで、南から山間(前長1784mの朝日トンネル)を縫って走る道をまっすぐ進むと親鸞の居住地=笠間の稲田です。稲田から八郷は、800年前の浄土真宗開宗の地です。 9年前、2012年に朝日トンネルが出来る前は、八郷に入るには、不動峠を越えなければなりませんでした。


吾国山より見た八郷(2020年8月24日)


八郷から見た筑波山(2021年5月3日)
 

八郷から見た難台山(2021年3月31日)


武田康弘



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世間ではなく、他者ではなく、自分自身として生きる。

2021-05-09 | 恋知(哲学)

 

 わたしは、自分の体験から自分で考えたことを言い、行為し、生きてきました。どこにも属さず、ずっとひとりでね。

 金持ちと、政治権力者と、学的権威者と・・・幅広く友人関係もありますが、まったく忖度しない、というか忖度するとはどういうことかも知らず(笑)、他者に頭を下げたことはありません。

 それはふつうのことで、こどもたちを見れば分かります。金持ちだから、とか、その家の人が社会的地位が高いとか、で、こどもは友達にはなりません。その子と気が合うから友達になります。

 大人でも同じこと。お金や名誉や肩書を所有していようが、しまいが、それはどうでもよいことで、友人になるのは、その人間が気に入ったからです。もしそうでないなら、堕落した人になります。

 そんな人生を歩んで死んでいくほど愚かで不幸なことはなく、人間として生きる意味がありません。モーツァルトもベートーヴェンも、アインシュタインも、エルンスト・アッベも。志賀直哉も柳宗悦と兼子も、石橋湛山も、800年前に遡れば北条政子も、古代までいけば、ソクラテスもブッダも老子も、20世紀ではサルトルも、存命者ではチョムスキーも、20世紀の大指揮ではクレンペラーも、いまはクルレンツィスも、具体的に書きだしたら、紙面がいくらあっても足りません。有名人でなくとも、いくらでもいます。自分の人生を生きた人は、数限りなくいますが、そうでない人もまた数限りなくいます。

 どうするかは自分自身の問題ですが、納得をうる意味充実の生を歩むのがほんとうの人間の生き方だとわたしは思っています。自分に依り生きること、それはブッダの遺教(自帰依ー法帰依)でもありますが、自己納得と異なる生は不幸でしかありません。誰も幸せにしません。外なる価値ではなく、内から内発的にです。他者との比較ではなく、自分自身として生きることです。

武田康弘

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