思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

今年の5月19日は、龍となった北条政子が、後鳥羽上皇への反撃の烽火をあげて800年。日本史最大の変革!

2021-05-18 | 社会思想


画・シヒラ竜也

 今日、5月19日は、後鳥羽上皇による北条政権(鎌倉幕府)打倒の企てを、龍となった尼将軍=北条政子の決断により打ち破ることになった記念日です。今年は、800周年です。
政子による史上名高い大演説により東国武士は一致団結し、これまた政子の決断で、朝廷打倒のために京都へ攻め登ることが決まったのです。

 昨日のBlogでご紹介した通り、北条政権の正史であり、日付入りの克明な日誌である『吾妻鏡』(あずまかがみ・全16巻)の現代語訳によれば、
 政子の大演説に東国武士たちは涙し、一致団結して後鳥羽上皇率いる京都の朝廷に対することになりましたが、待ち受けて戦う意見が多勢をしめた中で、広元は、こちらから兵を派遣すべきと言いましたので、執権の北条義時(政子の仲のよい弟)は、

両方の意見を政子に申したところ、政子が言った。『上洛しなければ、絶対に官軍を破ることはできないでしょう。安保刑部丞実光(あぼきょうぶのじょうさねあつ)以下の武蔵国の軍勢を待って速やかに京に参るべきです。
 この言葉に従い軍勢を上洛させるため、今日は、遠江
(とおとうみ)・駿河・伊豆・甲斐・武蔵・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・信濃(しなの)・上野(こうずけ)・下野(しもづけ)・陸奥(むつ)・出羽(でわ)などの国々に京兆(義時)の奉書を伝え、一族らを率いて出陣するように家々の長に命じた。」(『吾妻鏡』8巻104~105ページ)

 5月19日にはじめられた戦いは、一月後の6月には決着がつき、後鳥羽上皇ら朝廷は無条件降伏し、京都も京都以西もすべて北条政権の下に統治されることとなり、皇族は全員処分(無期懲役の遠島と出家)され、朝廷所有の荘園数百個所もすべて没収され、北条側の東国武士たちに与えられたのです。
 その歴史的な意味と、14年前1207年の後鳥羽上皇の私怨による法然門下の大弾圧(4名が死刑、親鸞ら8名が島流し)との深い関係。親鸞が茨城の地で浄土真宗を開宗したこと。親鸞が北条政子の供養に尽くしたことなどについては、すでに発表していますが、詳しくしたものを後日に書きます。


つづく。

武田康弘

 

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明日5月19日は、北条政子が、後鳥羽上皇の攻撃に反転攻勢した800年記念日=日本史最大の変革。まず、「吾妻鏡」をご紹介

2021-05-18 | 社会思想

旧暦ですが、明日の2021年5月19日は、日本史最大の変革から800年記念日です。

北条家の日記=「吾妻鏡」(全16巻)より、8巻の「承久の乱」の一部をご紹介します。内容は明日書きます。
吾妻鏡は、徳川家康の愛読書でした。


コメント (2)
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