思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

明日、Eテレ。後鳥羽上皇の仕掛けを破り、完全勝利して日本を統一した北条政子の偉業。夜10時から。

2021-09-20 | 社会思想
 
800年前の「承久の乱」=北条政子の大演説。後鳥羽上皇の攻撃を破って天下統一。
日本史最大の変革=(後鳥羽上皇・順徳天皇らは無期島流しー朝廷の財産は全て没収で、日本統一)が放映されます。

このBlogで幾度も紹介してきた話題です。ぜひご覧ください。

誰も書いていませんが、
1207年、28才の後鳥羽上皇の愛欲による法然門下=念仏宗への大弾圧ー親鸞の兄弟子4名を死刑(日本の歴史で死刑が執行されたのは初めて)、法然、親鸞ら8名を島流しと、
1221年 42才の後鳥羽上皇の政治権力欲による東国政権(北条政子と弟の義時)への戦争仕掛けの二つは一つで、
後鳥羽上皇の二つの激しい欲望=悪行が、日本史最大の変革をもたらしたのです。

それにより、東北から九州までの日本統一がはじめて果たされ、

また、日本の最大宗派である浄土真宗(親鸞開祖)が誕生することなりました。後鳥羽上皇の息子たちは北条政権により出家させられますが、そのうちの一人が、念仏宗の親鸞に帰依して東久寺と板敷山大覚寺を開き、院臣(大臣)だった壺井重義も後鳥羽上皇の悪行の罪滅ぼし(聖徳太子の夢告)に親鸞を助けて常弘寺を開きます。現茨城県の稲田・八郷地区中心に、半径40キロほどの圏内で、浄土真宗が誕生することになります(2023年は親鸞生誕850年・浄土真宗開宗800年)。

死罪と流刑による大弾圧(親鸞は主著=教行信証末尾で激しく糾弾)と、東国・北条政権への戦争仕掛け(逆に北条政子により無条件敗北)とは二つが一つなのです。
 
★ 親鸞より20歳年長の政子は、法然門下で、親鸞の兄弟子に当たります。政子の死後、親鸞は政子の供養のために力を注ぎました。


武田康弘


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