思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

組織や団体ではなく私。 教育、恋知(哲学)、芸術は、ほんらいはすべて私塾。私、の復権が、人間=個人の復活となる。

2022-12-31 | 芸術

組織や団体ではなく、私。

個々の課題に留まらず、根底的に思考し行為する。

手に取れる、身の回りが何より大切で、
そこから掘ると、驚くほど世界が開け、大事が可能となる。

足はしっかり根を張り伸ばし、心は過去と未来を飛び回り、わたしの精神は自ずと充実し熱を帯びる。

混沌と秩序が一体となり横溢と豊饒がやってくる。

一挙に全体が開ける。直観知が炸裂し、誰も気付かぬうちに世界を変え、創造する。なんという愉悦。
しかし、誰も気が付かない。

組織や団体ではなく、私の仕業だからだ。


本来、教育とはそのようなもの。教育しない、教えない、大人はこどもに介入しない。ただ、一緒にいればいい。
わたしは黙って聞いている。わたしは、時に言いたいことを一緒になってしゃべる。わたしは社会や政治に抗議する。誘導は無しで、わたしの意見として主張する。

組織や団体ではなく私、なので、それが可能だ。教師ではなく、ひとりの人間として話す。遠慮なく。

教育は、本来は、哲学、芸術、恋愛と重なる営為だ。 哲学も芸術も教育もすべて、ほんらいは、私塾なのだ。

私、の復権。それが人間=個人の復活となる。


翔ぶエロース ルーブル美術館所蔵

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