わたしは、公共哲学mlの中で議論したところ、突然除名されました(驚)。
この会の代表・小林正弥さん(千葉大学教授・NHK「ハーバード白熱教室」の解説者)が高く評価するサンデル教授の思想を批判し、同じく小林さんと近い関係にある鈴木文部副大臣のレジュメを批判する古林治さんのメールを転送したところ、3時間半後に、突然登録を削除されました。
小林さんは、「武田さんの思想は内容も表現も気持ち悪い」というある人のメールを肯定し、直ちに除名となりましたが、なにか怒るよりも呆れて笑ってしまいます。
経緯ですが、
21日の午前(夜半過ぎ)1時~3時の間に4通もの小林さんのメール(わたしを批判するもの)があることを、朝わたしは見て、以下のメールを出しました。
――――――――――――
21日(水)午前9時49分
小林さん
ようやく内容について触れましたね。
竹田さんには、これを機会にきちんと論争に加わって頂くようにしましょう。小林さんのサンデルへの無批判的讃辞は、反哲学的な態度であり、いやしくも哲学を名乗るml参加者としては、到底見過ごしにはできないですから。
古林さんの回答も今日か明日中にも書いて頂き、流しましょう。すでに彼には「品位が低い」という小林さんの批評を伝えてあります。
なお、数年間、わたしは同じようにこのMLで発言してきたわけですが、突然にこのような扱いを主催者から受けるのは、なぜでしょう。
それにしても、あなたは何を指摘されても無反省で自己正当化をはかるだけですねー「運動家」にありがちですが。これでは、少しも新しくなく、公共的でなく、哲学的でないのですよ。
なお、わたしの言う「東大病」を「東大主義」と言い換えて、その克服を企てている東大関係者(有力者です)から、「武田さんの意見に全面的に賛成します」というメールを頂いています。「小林さんの権威主義には困る」という内容の個人メールも複数の方から届いています。
とにかく、除名をチラつかせて、言論の自由を抑えるやり方は、関心しませんよ。
わたしは、集団で一人を非難する反民主的な言辞行為をしたことはありませんし、他者の人権侵害にあたることもしていませんし、暴言を吐いたこともありません。わたしが行い、これからも続けていくことは、ただ一つです。疑問点について、できるだけ明瞭に意見を述べること。それへの内容的な反批判に対してはきちんとお応えし、いろいろ吟味を続けていくことです。そのような恋知(哲学)する営みこそは、人間がよく生きることそのものだと思うからです。
(+情報発信のサービスはします)
武田
―――――――――――――――――――
その3時間半後に、「登録を解除しました」との通知が、小林さんから個人メールで入ったのです。
(わたしがメールを見たのは、夜仕事が終わった後ですが)
まったく公共的ではない「公共哲学」運動家・小林正弥さんにはただ呆れるほかありませんが、公金で運用されているわけですから、笑っているだけ、というわけにもいかないでしょうね。
武田康弘
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コメント
権力欲と小心さの果てに (古林 治)
2010-07-22 22:27:39
対話せず、他者の意見を受け止める器量も無く、それでいて政権に擦り寄る権力欲の大きさだけが目に付く小林さん。
都合悪くなって、タケセンを排斥。
あきれ果てるほかなし。
だから良識ある市民は学者さんを信用しなくなるのですよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俗物的な学の権威のために、公共を放棄した (荒井達夫)
2010-07-22 22:53:40
金泰昌さんは、公共のために俗物的な学の権威を放棄して、武田康弘さんや私との論争を掲載した「ともに公共哲学する」(東大出版会)を出版した。
小林正弥さんは、俗物的な学の権威のために、公共を放棄して、武田さんや私との論争を避け、公共哲学MLから私達を除名した。
私は、そう考えています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
哲学の自殺行為 (恋知A)
2010-07-23 23:58:14
私は、武田さんのサンデル教授批判についてどれほどの妥当性を有しているのかは、その論を詳しく見ていないので分かりまえせん。鈴木文部副大臣のレジュメに関しては全くの無知です。また、武田さんの思想は内容も表現も気持ち悪いという感想の根拠も分かりません。分からないことばかりですが、申し上げます。
いやしくも学者たるもの、学問や真理の前ではリベラルであるべきなのは、当然な態度といえます。また公共空間なるものがあるとしたら、異質な他者をどれだけ許容できるかが、その空間の底力の度合いを示します。かつて丸山真男は、『日本人の他者感覚のなさ』を嘆きました。自ら異質な他者を排除することは、自らの首を絞めることと覚悟すべきです。公共空間とは、開かれた言語空間であり、一定のルールの下にリベラルな対話が必要で、それ無しには進歩などないのです。加藤周一も『批判のないところに進歩はない』といい、久野収は、『敵からこそ学べ』といっていました。
武田さんがよくて、小林さんがだめ、その逆でもない。個人の善悪の話の次元に矮小化すべき問題ではないのです。
こういうこと繰り返せば、精神の自由を尊ぶ『哲学』の自殺行為となることを自覚することが肝心です。異質な他者をおおらかに包み込むような、柔らかな、かつ芯のある知性を持ちたいものです。
-------------------------------------------------
小林さんの行為は憲法違反である (荒井達夫)
2010-07-24 06:59:29
難しい話は不要だと思います。
・「公・私・公共三元論は妥当か」
・「サンデル教授の思想をどう評価するか」
これらを公共哲学ML内で議論してはならない。この議論で不快な思いをするML参加者がおり、退会者の続出を防ぐため、荒井達夫と武田康弘を除名する。
これが、今回の除名事件の実体です。
小林正弥教授(千葉大学公共哲学センター長)の行為は、明らかに思想・良心・言論・表現の自由に対する侵害であり、また、公共哲学MLは、国民の税金で支えられている国立大学法人千葉大学(公共哲学ネットワーク)が運営しているのですから、事は重大深刻というほかありません。
http://public-philosophy.net/center-ja
小林さんは、民主主義社会ではあってはならない反社会的行為(憲法違反の破廉恥行為)を、「公共哲学の名において」したということ。このことをしっかり認識すべきでしょう。
公共哲学ネットワークはもはや存在意義を失っている、と私は考えています。
この会の代表・小林正弥さん(千葉大学教授・NHK「ハーバード白熱教室」の解説者)が高く評価するサンデル教授の思想を批判し、同じく小林さんと近い関係にある鈴木文部副大臣のレジュメを批判する古林治さんのメールを転送したところ、3時間半後に、突然登録を削除されました。
小林さんは、「武田さんの思想は内容も表現も気持ち悪い」というある人のメールを肯定し、直ちに除名となりましたが、なにか怒るよりも呆れて笑ってしまいます。
経緯ですが、
21日の午前(夜半過ぎ)1時~3時の間に4通もの小林さんのメール(わたしを批判するもの)があることを、朝わたしは見て、以下のメールを出しました。
――――――――――――
21日(水)午前9時49分
小林さん
ようやく内容について触れましたね。
竹田さんには、これを機会にきちんと論争に加わって頂くようにしましょう。小林さんのサンデルへの無批判的讃辞は、反哲学的な態度であり、いやしくも哲学を名乗るml参加者としては、到底見過ごしにはできないですから。
古林さんの回答も今日か明日中にも書いて頂き、流しましょう。すでに彼には「品位が低い」という小林さんの批評を伝えてあります。
なお、数年間、わたしは同じようにこのMLで発言してきたわけですが、突然にこのような扱いを主催者から受けるのは、なぜでしょう。
それにしても、あなたは何を指摘されても無反省で自己正当化をはかるだけですねー「運動家」にありがちですが。これでは、少しも新しくなく、公共的でなく、哲学的でないのですよ。
なお、わたしの言う「東大病」を「東大主義」と言い換えて、その克服を企てている東大関係者(有力者です)から、「武田さんの意見に全面的に賛成します」というメールを頂いています。「小林さんの権威主義には困る」という内容の個人メールも複数の方から届いています。
とにかく、除名をチラつかせて、言論の自由を抑えるやり方は、関心しませんよ。
わたしは、集団で一人を非難する反民主的な言辞行為をしたことはありませんし、他者の人権侵害にあたることもしていませんし、暴言を吐いたこともありません。わたしが行い、これからも続けていくことは、ただ一つです。疑問点について、できるだけ明瞭に意見を述べること。それへの内容的な反批判に対してはきちんとお応えし、いろいろ吟味を続けていくことです。そのような恋知(哲学)する営みこそは、人間がよく生きることそのものだと思うからです。
(+情報発信のサービスはします)
武田
―――――――――――――――――――
その3時間半後に、「登録を解除しました」との通知が、小林さんから個人メールで入ったのです。
(わたしがメールを見たのは、夜仕事が終わった後ですが)
まったく公共的ではない「公共哲学」運動家・小林正弥さんにはただ呆れるほかありませんが、公金で運用されているわけですから、笑っているだけ、というわけにもいかないでしょうね。
武田康弘
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コメント
権力欲と小心さの果てに (古林 治)
2010-07-22 22:27:39
対話せず、他者の意見を受け止める器量も無く、それでいて政権に擦り寄る権力欲の大きさだけが目に付く小林さん。
都合悪くなって、タケセンを排斥。
あきれ果てるほかなし。
だから良識ある市民は学者さんを信用しなくなるのですよ。
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俗物的な学の権威のために、公共を放棄した (荒井達夫)
2010-07-22 22:53:40
金泰昌さんは、公共のために俗物的な学の権威を放棄して、武田康弘さんや私との論争を掲載した「ともに公共哲学する」(東大出版会)を出版した。
小林正弥さんは、俗物的な学の権威のために、公共を放棄して、武田さんや私との論争を避け、公共哲学MLから私達を除名した。
私は、そう考えています。
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哲学の自殺行為 (恋知A)
2010-07-23 23:58:14
私は、武田さんのサンデル教授批判についてどれほどの妥当性を有しているのかは、その論を詳しく見ていないので分かりまえせん。鈴木文部副大臣のレジュメに関しては全くの無知です。また、武田さんの思想は内容も表現も気持ち悪いという感想の根拠も分かりません。分からないことばかりですが、申し上げます。
いやしくも学者たるもの、学問や真理の前ではリベラルであるべきなのは、当然な態度といえます。また公共空間なるものがあるとしたら、異質な他者をどれだけ許容できるかが、その空間の底力の度合いを示します。かつて丸山真男は、『日本人の他者感覚のなさ』を嘆きました。自ら異質な他者を排除することは、自らの首を絞めることと覚悟すべきです。公共空間とは、開かれた言語空間であり、一定のルールの下にリベラルな対話が必要で、それ無しには進歩などないのです。加藤周一も『批判のないところに進歩はない』といい、久野収は、『敵からこそ学べ』といっていました。
武田さんがよくて、小林さんがだめ、その逆でもない。個人の善悪の話の次元に矮小化すべき問題ではないのです。
こういうこと繰り返せば、精神の自由を尊ぶ『哲学』の自殺行為となることを自覚することが肝心です。異質な他者をおおらかに包み込むような、柔らかな、かつ芯のある知性を持ちたいものです。
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小林さんの行為は憲法違反である (荒井達夫)
2010-07-24 06:59:29
難しい話は不要だと思います。
・「公・私・公共三元論は妥当か」
・「サンデル教授の思想をどう評価するか」
これらを公共哲学ML内で議論してはならない。この議論で不快な思いをするML参加者がおり、退会者の続出を防ぐため、荒井達夫と武田康弘を除名する。
これが、今回の除名事件の実体です。
小林正弥教授(千葉大学公共哲学センター長)の行為は、明らかに思想・良心・言論・表現の自由に対する侵害であり、また、公共哲学MLは、国民の税金で支えられている国立大学法人千葉大学(公共哲学ネットワーク)が運営しているのですから、事は重大深刻というほかありません。
http://public-philosophy.net/center-ja
小林さんは、民主主義社会ではあってはならない反社会的行為(憲法違反の破廉恥行為)を、「公共哲学の名において」したということ。このことをしっかり認識すべきでしょう。
公共哲学ネットワークはもはや存在意義を失っている、と私は考えています。
都合悪くなって、タケセンを排斥。
あきれ果てるほかなし。
だから良識ある市民は学者さんを信用しなくなるのですよ。
小林正弥さんは、俗物的な学の権威のために、公共を放棄して、武田さんや私との論争を避け、公共哲学MLから私達を除名した。
私は、そう考えています。
私は、武田さんのサンデル教授批判についてどれほどの妥当性を有しているのかは、その論を詳しく見ていないので分かりまえせん。鈴木文部副大臣のレジュメに関しては全くの無知です。また、武田さんの思想は内容も表現も気持ち悪いという感想の根拠も分かりません。分からないことばかりですが、申し上げます。
いやしくも学者たるもの、学問や真理の前ではリベラルであるべきなのは、当然な態度といえます。また公共空間なるものがあるとしたら、異質な他者をどれだけ許容できるかが、その空間の底力の度合いを示します。かつて丸山真男は、『日本人の他者感覚のなさ』を嘆きました。自ら異質な他者を排除することは、自らの首を絞めることと覚悟すべきです。公共空間とは、開かれた言語空間であり、一定のルールの下にリベラルな対話が必要で、それ無しには進歩などないのです。加藤周一も『批判のないところに進歩はない』といい、久野収は、『敵からこそ学べ』といっていました。
武田さんがよくて、小林さんがだめ、その逆でもない。個人の善悪の話の次元に矮小化すべき問題ではないのです。
こういうこと繰り返せば、精神の自由を尊ぶ『哲学』の自殺行為となることを自覚することが肝心です。異質な他者をおおらかに包み込むような、柔らかな、かつ芯のある知性を持ちたいものです。
・「公・私・公共三元論は妥当か」
・「サンデル教授の思想をどう評価するか」
これらを公共哲学ML内で議論してはならない。この議論で不快な思いをするML参加者がおり、退会者の続出を防ぐため、荒井達夫と武田康弘を除名する。
これが、今回の除名事件の実体です。
小林正弥教授(千葉大学公共哲学センター長)の行為は、明らかに思想・良心・言論・表現の自由に対する侵害であり、また、公共哲学MLは、国民の税金で支えられている国立大学法人千葉大学(公共哲学ネットワーク)が運営しているのですから、事は重大深刻というほかありません。
http://public-philosophy.net/center-ja
小林さんは、民主主義社会ではあってはならない反社会的行為(憲法違反の破廉恥行為)を、「公共哲学の名において」したということ。このことをしっかり認識すべきでしょう。
公共哲学ネットワークはもはや存在意義を失っている、と私は考えています。
小林正弥さんはこの小林氏と正面から討論ができるでしょうか?
優しい仲間しかおらず、厳しい批判を許さず、批判は黙殺、排除。自分の考えは本にするだけ。そしてまた、特定の人だけが先生と呼ばれるような序列意識に捕らわれた閉鎖空間にいては何の成長も見られず、広がりもまた期待できません。
そこでは、『真理』を否定しながら、自分だけの脆弱な『真理=自我の想い』を温存するだけの話です。ひ弱な思想オタクで終わるほかありません。
まして、そのような場に『公共哲学』という名称を冠するなど冗談にもほどがあります。
小林さんの根本的な姿勢の変更を望みます。
そうそう、先日のサッカーワールドカップ。日本代表は、『俺たちは下手くそなんだから、泥臭くやるしかない。』と、言って真剣勝負に臨みました。そこから代表の急成長が見られました。
(たかがサッカーの世界でさえも)自分を率直に見詰めることの大事さと難しさがあることを改めて見ることができました。
心を開いて閉鎖空間から一歩出る勇気を持ちましょう。
自戒をこめて。