31日、わが友の松橋桂子さんが亡くなりました。真っすぐに生き抜いた見事な人生でした。一生独身でした。
孤高の天才作曲家、清瀬保二さんを最期まで支えた松橋桂子さんは、詳細な大著『楷書の絶唱ー柳兼子伝』を現わし、日本のルネサンンスとも呼ぶべき「白樺派」に新たな視点から光を与えました。兼子さんの偉大な業績は、この書によりはじめて世に知られることになったのです。
頭脳明晰な松橋さんは、清瀬保二長男夫妻から絶大な信頼を得、また、柳兼子のただ一人の内弟子=大島久子さん(今年92歳)との友情は、兼子さんの復権に大きな力となりました。わたしが、我孫子市に「白樺文学館」を創設した時(建設費用と発案はわたしの哲学会の生徒であり友であった佐野力さんによる)、柳兼子さんを白樺派の中心人物の一人として加え、地下に音楽室をつくったのは、松橋さんの著した『柳兼子伝』との出会いによります。
今日は、白樺同人(副館長)の古林 治さんに頼んで、クルマで松橋さんの公団に行き、北海道から上京している二人の妹さん(松橋さんは10人兄弟)と長時間にわたり思い出話をし、清瀬保二さんについて書かれた手書きの資料=詳細な年表などと、たくさんの楽譜を頂いてきました。カセットテープやLPなども。白樺教育館に保存します。
妹さんお二人。
わたしの撮った写真(白樺教育館で)が飾ってありました。
郷里の釧路のお墓に入るそうです。妹さんの敷地は2万8千坪とのことで、
あまりのスケールに唖然としました。後で、大きな写真を送ります。
一日に3時間の練習を欠かさなかった松橋さん愛用のグランドピアノは、大変よい状態でした。
松橋さんが上京して、劇団に所属していた若き頃の写真です。
1981年9月 清瀬保二さんの葬儀で。弟子の武満徹(51才)松橋桂子(47歳)
中野区 白鷺の公団 19ー20 古林さんのクルマ
武田康弘(「白樺文学館」初代館長・「白樺教育館」館長)
はじめまして。松橋桂子さんと母が高校時代の同級生で親しくしておりました。母が昭和54年に他界した後は、我が家(札幌)にお参りにいらしてくださって、音楽の話、柳兼子さんの話等してくださいました。
そのようなことを昨日思い出し、ブログを書いておりました。
続いて調べておりましたら、
白樺文学館創世記の方のページに行き着き、たくさんの写真があって、親しくなさっていらした様子もあって、泣けました。
このブログでは、ピアノ型の墓誌?のことも知りました。ありがとうございます。釧路へ行った際にはお参りしたいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!