今日のNHKの後鳥羽上皇の紹介番組(歴史探偵)は驚きです。
まるでよい人のような紹介が続き、朝廷が鎌倉幕府=北条政権を抑え込もうとしたことをプラスに見るような話には呆れました。
1221年の承久の乱(後鳥羽42歳)は、東国も実際上、朝廷がコントロールしようとして、義時を討てとの院宣を出したわけですが、それは、京都の朝廷支配から脱して、兄の意思を受け継ぎ、東国を自立させようという北条義時の強靭な理念をつぶそうとした後鳥羽という人間の激しい権力欲であることを等閑に付すもので、ひどい番組でした。
そもそもその14年前の1207年(後鳥羽28歳)に、日本史上一度もなかった僧侶4名を死罪にするというとてつもない悪行を働いたのが後鳥羽上皇で、しかもそれは、後鳥羽が熊野詣で留守にしていたとき、女官二人が、法然の念仏宗に惹かれて出家してしまったことに怒り狂ってのことでした(後鳥羽は法然門下の僧に劣っていたことの証明)。親鸞の兄弟子4名を、罪状も告げず、取り調べもせずに死罪にしたこと、それは決して許さない、と親鸞は主著「教行信証」の末尾で怒りをこめて書いています。
男盛りの28歳の時の愛欲がらみの権力欲の激しさと、承久の乱で東国を再び自分のコントロール下に置こうとした「義時を討て」の政治権力欲とは二つで一つのことなのです。
法然門下の法然、親鸞など7名を流罪にし、親鸞の兄弟子4名を死刑にした史上最悪の建永の法難にはまったく触れない番組は、綜合的判断力のない教養に不足する番組制作者の無能ぶり(それともわざと?)を露わにしていました。
武田康弘