思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ピント外れですね、コメンテーターは。 憲法改正問題は、自民党憲法案の思想こそ検討すべきでしょうに。

2016-06-05 | 社会批評

どの国の人間も、人間である限り、「思想=価値観の束」をもっています。それを自覚しているか、いないかの違いはありますが、誰でもが思想をもっています。

憲法を改正するか否か、何を改正するのか、どのように改正するのか。それこそが問題ですが、

それは、背後に必ず、「思想」をもっているのです。

自民党憲法改正案を読めば、天皇元首であり、「個人」という概念=言葉をすべて削除しているのですから、
わたしたち一人ひとりの個人が「感じ・想い・考える」を公共の原理とする民主政治(古代アテナの直接民主政も、近代のロックのピューリタン宗教に基づく民主政も、アテネに範をとり宗教によらない市民主義のルソーの民主政もその点はみな同じ)は、
自民党憲法案の思想とは土台が異なることが明白です。

そういう思想(それを国体思想と呼びます)をよしとするのか、民主政をさらに発展させ、自治政治を広げる方向で憲法を見直すのかでは、まったく正反対の思想です。

安倍首相以下、自民党の閣僚と、多数の自民党議員が戦前のウヨク国体思想の焼き直しである「日本会議」の有力メンバーであるという事実は、実に恐ろしい話ですが、なぜ、このなによりも一番先に問題としなければならない「思想」について検討しないのでしょうか?

あまりの思想音痴にただ呆れるだけです。日本人も人間であり、一人ひとりは「自由と責任」をもつ個人であることは否定できないはずなのに、です。

もう目を覚ましましょうよ、尊王主義を掲げる伊藤博文らが仕掛けた罠(「個人」消去のための滅私奉公=ニッポン全体主義)から解放されないと、いつまでも「人間を幸福にしないシステム」(ウォルフレン)の内部で不幸な生が続きます。また思想は戦前戻りでよいのでしょうか。

 

武田康弘
 (元参議院行政監視委員会調査室・客員ー哲学と「日本国憲法の哲学的土台」を講義)

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3 コメント

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Unknown (とろ)
2016-06-05 21:16:48
思想について検討するのはいいとして、
それを誰のどういった基準で判断するんですか?
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自問自答と対話・討論を (武田康弘)
2016-06-08 01:05:26
国連の世界人権宣言は基準になります。

自らのもつ思想がどのようなものかの自覚は、自問自答と対話や討論をする習慣から生まれます。

それがないのがわが日本の現実ですから、気づいた人から、練習することです。
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がんば (宇佐美)
2016-06-24 04:02:57
死んでも私だけを恨むな
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